2011年04月29日 0時00分

懐かしのズームイン!!その4 本田恵美キャスター

1997年から番組終了まで中京テレビのキャスターを務めた本田恵美アナウンサー。「ズームイン」にレギュラー出演した女性アナウンサーは1990年から1年間担当した田中千寿江さんと本田アナの2人だけです。
今でこそ恩田千佐子アナに次ぐベテラン女性アナとして活躍していますが、入社当時、彼女ほど頼りなく見えた後輩はいませんでした。アナウンス技術は低く表現力も乏しく、新人時代の忘年会では「仕事に自信が持てない」と泣き出し場の雰囲気を壊すありさま。正直言って将来性を全く感じなかった私は「すぐ辞めるだろう」と思っていました。
最初は「ズームイン‼朝!」でこの地方の天気だけを担当する「お天気キャスター」だった彼女。転機はネタも担当する全国中継のキャスターに起用されたことでした。場を与えられると頑張るタイプ。度胸は抜群で怖いもの知らず。あっという間に人気者になりました。
 バレンタインデーにキャンプ中の星野監督(当時中日)へアポなしでチョコレートを渡すという企画に挑戦した時は、取材規制の厳しい中、ベンチ裏で闘将に果敢に手作りチョコを渡し笑顔をGET。この作品で彼女は番組内の表彰制度の「キャスター賞」と系列局の「アナウンス大賞優秀賞」を受賞しました。
当時私は後者の賞に3回挑戦したものの逸していたため、先を越されて多いに焦ったものです。
 本田アナとは「白川郷合掌集落」や「中部国際空港開港日」、「二足歩行犬記録挑戦」等、大掛かりな中継の時に二箇所から交互にリポートするスタイルでよく共演しました。その頃にはもう新人時代の「かわいいだけの恵美ちゃん」は姿を消し、堂々たる中継キャスターとして番組に貢献していました。
 「ズームイン‼SUPER」のローカルコーナーから始まった彼女のフィギュアスケート取材は、「ストレイトニュース」の「チュッキョフィギュア」や「THE ICE」に引き継がれ、アナウンサーとしてのライフワークになりつつあります。

2011年04月28日 0時02分

懐かしのズームイン!!その3 大藤晋司キャスター

 きくち教児さんに代わるキャスターを誰にするか…。中京テレビでは当初、私とのバランスを考え女性アナウンサーの起用を考えていました。しかし、当時系列各局のキャスターは女性が多かったため、日本テレビから「できれば男性で」と頼まれ白羽の矢が立ったのが私の1年後輩のアナウンサー・大藤晋司君でした。
 デビューは1995年3月、渥美半島からの全編生中継。彼はサイクリングしながら伊良湖岬をリポートするアクティブな出番でした。 当時、「オウム真理教事件」の真っ只中。せっかく「春の渥美半島」の魅力を伝える日に日本テレビのスタジオから「オウム幹部生出演」が決まったため、中京テレビに割かれていた時間が大幅にカットされた中での出演でした。
 その後、私の「槍ヶ岳中継」の続編として彼は「奥穂高岳中継」を担当。体を張った出番が多かった印象があります。
 大藤君は1996年にスタートした「ズームイン‼サタデー」では、中京テレビ初代キャスターに起用されました。養蜂場からの中継で、リポート中に鼻の穴にミツバチが入っていくシーンが大写しになり、多くの視聴者が彼の身を案じることなく笑いました。
 現在、彼はテレビ北海道のアナウンサーです。私が札幌に出張する際は会って旧交を温めています。写真は去年、彼が名古屋出張の際、若手時代の思い出が詰まった中京テレビのアナウンス部に顔を出してくれた時のもの。律儀な男です。

2011年04月27日 0時00分

懐かしのズームイン!!その2 きくち教児さん

 3月31日に終了した「ズームイン‼SUPER」。私は3月半ばまでこのブログで「さよなら、ズームイン‼」という惜別企画を書いてきました。一か月の集中連載を試みていたのですが、東日本大震災の取材や年度末業務に追われたまま連載を中断し、番組も最終回を迎えてしまいました。書き残したエピソードは、これから随時、書いていきます。
「ズームイン」は1979年3月、「ズームイン‼朝!」としてスタート。中京テレビの初代中継キャスターは西山幸子さんという一般の主婦の方でした。番組開始から3ヶ月後、月曜日から金曜日まで毎日中継を行うことが決まった時に起用されたのがきくち教児さんでした。
 テンポのいい軽妙なしゃべりとハッピの背中に旗を立てて「ドラゴンズ愛」を貫いた「プロ野球いれコミ情報」で全国的な人気を博しました。元々ホテルの料理人だった教児さんは、得意の料理の知識を生かしたコーナーを持つなど、名物キャスターとして1995年3月まで17年間「中京ズームイン」の顔として大活躍されました。
 1991年、私が「ズームイン」に新加入した時は月・火・水が教児さん、木・金が私の担当だったので、共演することは少なかったのですが、元日の朝などは「2人キャスター」で出演することがありました。
 一度、プロ野球開幕日の朝、ナゴヤ球場前で教児さんと一緒に中継した際、リハーサルで掛け合いのタイミングを私が一瞬遅らせてしまったことがありました。すかさず「テンポが悪くなると面白くなくなるから僕のコメントが終わったらすぐに入ってきてよ」と一言。本番、言われた通り若干フライング気味にしゃべりだすと確かにリズムのいい「いれコミ情報」になったのです。コーナー自体が各局キャスターの「まくしたて合戦」の様相を呈していたので、教児さんのアドバイスが非常に参考になったのを覚えています。
 写真は1995年3月8日、きくち教児さん最後の中継が終わった直後のものです。17年間の登板回数は3600回を超えます。その後、「おめざめワイド」のキャスターとしての期間を合わせると、教児さんは30年間「名古屋の朝の顔」でした。これは実力と体力と信頼あってこそ。尊敬すべきしゃべり手の大先輩です。今も「ラッキーブランチ‼」と「ラッキー‼」でスタジオを盛り上げてくださっています。でも、全国の皆さん!教児さんと言えばやっぱり「ズームイン」ですよね。

2011年04月26日 13時30分

懐かしのズームイン!!その1 ラストリポート

 3月31日に終了した「ズームイン‼SUPER」。最終回を終えた後、会社に戻って書いたブログ以来の再開です。私は3月半ばまで「さよなら、ズームイン‼」という惜別企画を書いてきました。
 最終回までの一か月、集中連載を試みていましたが、東日本大震災で中継キャスターとして宮城・岩手に出張した後、年度末業務に追われ中断していました。これから随時、書いていきます。
 ズームキャスター歴20年。私の最後のリポートは被災地・岩手県陸前高田市の避難所となっている小学校からの中継でした。被災者の方々にメッセージボードを持ってもらって出演していただきました。通信手段が復旧しない中、遠方の親戚や知人にテレビを通して自身の無事を知らせてもらおうという意図です。全国ネットの生中継、「ズームイン」ならではの企画でした。
 厳しい避難所生活にもかかわらず、テレビカメラの前で懸命に手を振り無事を伝える皆さんの姿に私は全身が熱くなりました。生放送で32年間「今」を見せてきた「ズームイン」。
 現場から被災者の皆さんの「今」を伝えた3月18日の中継が私のラストリポートでした。



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