2018年01月05日 16時00分

仕事始め

年末年始も様々な番組やイベントに携わる人がいますが、中京テレビの仕事始めは今日5日です。

社屋の外のビジョンも新年の装い。

中はこんなものが用意されていました。

本年の業務スタートです。

2018年01月04日 11時00分

2018年、始まり始まり~っ!!

自宅近くの宅地造成地から初日の出を見ました。近所の家の屋根と雑木林の向こうから太陽が現れたのは1月1日午前7時10分。

同じ場所に住んで26回目のお正月ですが、自宅から歩いて2~3分の場所で拝むのは初めてです。この場所も今年中に新しい家が建つので今回限りの初日の出スポットです。

2018年、本年もよろしくお願い申し上げます。

2017年12月31日 13時00分

2017スマホ蔵出し再会写真 その3

年末、楽しみにしている恒例の集いに今年も参加しました。

かつての中京テレビ「ズームイン!!朝!」の一部スタッフが年の瀬に思い出話の花を咲かせる宴です。

20年前、中継現場で天気キャスターを1年間務めた西村綾子さん。

その後、日本テレビ「スッキリ」のリポーターになり全国を飛び回りました。

12月28日(木)。この日、11年出演した同番組を卒業。番組エンディングでお別れの挨拶をして、その足で帰郷した西村さん。

旧知の仲間が慰労を兼ねて集まりました。

思い出が今から増えるわけもなく、毎年同じ話をしているだけなのになぜか楽しいひと時です。

毎日あった早朝中継はエピソードの宝庫。過酷なスケジュールを頑張りぬいた「ズーム班」の仲間意識は今もなお…です。

 

2017年12月30日 10時00分

2017スマホ蔵出し再会写真 その2

3月にとても懐かしい集まりに呼ばれました。名古屋の「緑ボクシングジム」OB会です。

1994年から10年間、中京テレビはボクシング中継をやっていました。世界タイトルマッチも13試合を自社制作。

日本タイトルマッチや東洋太平洋タイトルマッチ、中日本新人王戦も中継し数々の激闘を伝えてきました。

松尾敏郎会長率いる緑ジムの選手たちとは、練習や合宿の取材や試合の中継でお付き合いがありました。

そんな緑ジムが初めてのOB会を開くことになり、我々中京テレビのかつてのスタッフにも声をかけてくれたのでした。

今年70歳になる松尾会長を慕って、かつてジムで汗を流した元ボクサーが集結しました。

なつかしい皆さんに会えた至福のひと時。その中でも、私のアナウンサー生活における特別な存在がこの人・飯田覚士さんです。

日本テレビのバラエティ番組「天才たけしの元気が出るテレビ」のコーナー・「ボクシング予備校」に出演して人気者になり日本王者から世界王者に上り詰めた飯田さん。

元WBA世界スーパーフライ級チャンピオンです。3度目の挑戦で掴んだ世界ベルト。井岡弘樹との日本人同士の世界戦。試合中の脱臼が響いた現役最後の一戦。

実況席での思い出は尽きません。

現在は東京でボクシング流トレーニングで健康増進を促す「ボックスファイ」という教室を主宰する傍ら、テレビ解説でもおなじみです。

 

この人の闘志あふれる試合は興奮しました。戸高秀樹さん。元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン・元WBA世界バンタム級暫定チャンピオンです。

実況した世界戦は両国国技館での名護明彦を寄せ付けなかった初防衛戦。アゴを粉砕されてなお前進ファイトで散ったレオ・ガメス戦。今も興奮が蘇ります。

現在は東京・自由が丘で「戸高秀樹ボクシングジム」の会長を務めています。

 

ほかにも懐かしい顔に会えました。元日本ランカーの松尾哲也さん。現在、「とよはしボクシングジム」会長です。

 

 

依田昇三さん。飯田さんに次ぐ緑ジムで2人目の全日本新人王に輝きました。

 

当時、よく名古屋市公会堂で行われた中日本新人王戦では若い選手たちのはつらつとしたファイトを収録しました。

前座戦線を沸かせた突進ファイター・サンダー伊藤。この人、世界3階級制覇のホルヘ・リナレス選手との対戦経験もあるんです。

 

リングネーム・モトシ田中こと田中基至さん。中継初期のころ実況した長身選手。20数年ぶりの再会でした。

 

中京テレビからは当時のディレクターも参加。旧交を温めました。思いは一つ、「もう一度、ボクシング中継を!」。

 

 

2017年12月29日 10時00分

2017スマホ蔵出し再会写真 その1

今年を振り返ると嬉しい再会がありました。

特に長年レギュラー出演した「ズームイン!!朝!」で共演したキャスター仲間との絆は今も健在です。

元読売テレビの脇浜紀子さん、元中京テレビの大藤晋司さんは今月会えました。

まだブログで紹介していなかったこんな再会もありました。

福島中央テレビの元アナウンサー・三冨健也さんとは20年以上、年賀状だけのやりとりでしたが

今担当されている仕事の系列会議が6月に中京テレビであったことで懐かしく食事する機会を得ました。

同期入社の私と恩田千佐子アナウンサーに挟まれて

左が南海放送の寺尾英子アナウンサー。右が青森放送の秋山博子アナウンサー。

共にアナウンス責任者として名古屋で10月に開催されたラジオ局の全国会議に出席された折、会いました。

寺尾さんと恩田さんも同期で、系列新人研修以来27年ぶりの再会。秋山さんは年次が1年下。

私は以前、家族で青森に旅行した際、秋山さんら青森放送の皆さんとねぶた祭りを楽しんだ思い出があります。

同世代っていいですね。

2017年12月27日 10時00分

井上一樹さんと初共演

12月24日(日)の「スポーツスタジアム☆魂」に旧友の覆面レスラー・ウルティモ・ドラゴン選手の特集でスタジオ出演しました。

解説を務めていただいている井上一樹さんとは番組初共演。井上さんは選手・コーチ・二軍監督としてドラゴンズ一筋24年。取材でよくお世話になりました。

私が「スポスタ」に生出演するのはMCだった時以来8年ぶり。

レギュラー最後の出演日は2009年9月27日(日)でしたが、その日のナゴヤドームのタイガース戦は井上さんの引退試合でした。

井上さんは6番ライトでスタメン出場。試合終了後、ファンの前で号泣しながら引退の挨拶をしました。

その模様を番組終了直前に速報で伝えたあと、私はラスト20秒で9年間務めたMC降板の挨拶をして役目を終えました。

その番組でご一緒するとは縁ですね。

井上さんで忘れられないシーンがあります。2006年10月16日(月)の広島市民球場。

その日はカープのシーズン最終戦で、浅井樹選手の引退試合でした。井上さんとは同い年。

試合終了後、対戦相手のドラゴンズで当時選手会長を務めていた井上さんが花束を贈呈することになっていました。

他のドラゴンズ選手が宿舎に引き上げた後、ベンチでひとり井上さんが花束を持ってじっと出番を待っていたのです。

私が話しかけると「同級生だからね。長く頑張ってきた仲間が辞めるのは寂しいよね」としんみりしていました。

「ベテランになった自分も遠くない将来、花束を渡される側になるのだろう」。

そんな思いでセレモニーを見ているのだろうと勝手に想像したのでした。

井上さんも浅井さん(現カープコーチ)も、涙にくれたいい挨拶でした。

2017年12月25日 10時00分

長寿ミニ番組「経済ア・ラ・カルト!」の集い

私がナレーションを担当して5年目という番組があります。月1回、最終火曜日に放送している「経済ア・ラ・カルト!」。

2分15秒のミニ番組ながら内容は濃く、衣食住・レジャー・生活消費財・健康といったあらゆるものごとのトレンドをコンパクトに伝えています。

先月この番組の忘年会が行われました。長寿番組ですがスタッフ・出演者・ナレーターが一堂に会するのはおそらく初めて。左はスタッフの竹岡克洋さん、私の右は出演者の鈴木結加里さん。野村證券名古屋駅前支店勤務の現役証券レディです。

ナレーション収録時にいつもVTRで鈴木さんを見ている私ですが実はこの日が初対面。文通相手と会うようなドキドキ感がありました。「お客さんから『テレビで見ましたよ!』と声をかけられるとうれしい」と話していました。

右端はナビゲーターは桐生順子さん。かつて中京テレビの「おめざめワイド600」や「心にエール!ふるさと夢図鑑」を担当。今年9月に放送1000回を突破した「スポスタ」の初代アシスタントは桐生さんでした。

私とは彼女が「ズームイン!!朝!」のお天気キャスター時代に中継現場で一緒でした。また、総合格闘技イベントをPRする深夜のミニ番組「Dream Fight」では私が「ヒクソン佐藤」として初代キャスターを務めたあと、後任キャスター「マニア順子」として出演していました。どんなジャンルでもできる守備範囲の広い彼女、「経済ア・ラ・カルト!」も長く務め、現在はラジオでも活躍している美人アナウンサーです。

そんな縁のある桐生さんとは8年ぶりの再会。楽しい会話であっという間のひとときでした。

「経済ア・ラ・カルト!」、今月は26日(火)午前11時10分から。テーマは作り置きのおかず「常備菜」です。今回と1月30日(火)放送分は鈴木さんに代わり同じく野村證券の神田裕妃子さんが出演されます。

 

2017年12月24日 17時00分

ドアラに代表質問

12月22日(金)、中日ドラゴンズの球団マスコット・ドアラの契約更改が行われた。

放送各社を代表して記者会見のインタビューを私が担当した。

毎年行われている恒例行事なのだが、私もこれまで選手の記者会見で質問したことはあったがマスコットは初めてだった。

会見と言ってもドアラはしゃべらないので質問にはスケッチブックにペンで書いて答えるスタイル。

年に一度の球団との交渉とあってスーツで臨んでいた。

ドアラの年俸は2017年は好物の「食パン600g+出来高」だった。

5年連続Bクラスに沈むチームのマスコットなので減俸が予想されたが、来季の契約内容を聞くと「→」と書き「現状維持」を明かした。

抜群の知名度を誇るドアラに球団も配慮したカタチだ。

今季、ナゴヤドームでの試合中の人気アトラクション「バック転」が成功35/失敗34と辛うじて成功率5割を確保したが

「終盤、成功率を気にするあまり着地のひねりを封印し安全策を取ったのでは」と突っ込んだところ、「いろいろありまして」と歯切れが悪かった。

1月中に入団テストが予定されている松坂大輔投手に関して聞くと激しくガッツポーズしながら「ノーコメント」と書いたので、

「ポーズとコメントが合っていないのでは」と聞いてみたが明確な理由は示さなかった。「思いつき」や「勢い」の範疇を超える深いものではなかった。

また、FAでファイターズから大野奨太捕手を獲得したことで、人的補償要員になる可能性についてはこのように不安を吐露した。

ドアラの会見は時事ネタで盛り上がるのが通例だそうだが、

新聞記者からの上野動物園の赤ちゃんパンダ「シャンシャン」について質問にこう答えたり

東山動植物園のコアラが相次いで死亡していることへの感想などきわどい質問が相次いだ。

終了後、ドアラは必要以上に胸を張り、貴乃花親方の歩き方を真似て会見場を後にするなど最後まで時事ネタにこだわる姿勢を貫いた。

コメントの反射神経は素晴らしいが、質問によっては漢字がわからず時間を要するなど、終始記者の肩が震えるシニカルな会見だった。

各社こぞって取材に来る注目度の高さはさすが人気者・ドアラだ。

 

2017年12月23日 10時00分

「スポスタ☆魂」特集は世界で戦うマスクマン

12月24日(日)午後4時55分からの「スポーツスタジアム☆魂」は名古屋出身の覆面レスラー・ウルティモ・ドラゴン選手を特集します。

私の古くからの友人でもある彼は本名浅井嘉浩。21歳の時メキシコに単身渡航しプロレスデビュー。4年後、マスクマン「ウルティモ・ドラゴン」に変身しました。それを機にアメリカのメジャー団体に進出したことで世界中に名前が知られるように。かつて入門を断られた新日本プロレスに招かれ、獣神サンダーライガー選手と東京ドームでタイトルマッチをするなど逆輸入選手として名を成しました。

デビューから30年。今もメキシコを拠点に世界で戦い、日本でもフリー参戦という形で毎年試合をしています。これまでアメリカ・カナダに中南米・欧州に遠征。北朝鮮でも試合をしています。「自分ほど多くの国で試合をした選手はいないでしょう」と胸を張ります。

1998年、アメリカの試合で左腕を負傷し手術を受けるも医療ミスで神経が切れ4年以上戦線離脱。その後左手はほとんど動かず私のそれより細くなり、握力8kgという状態で戦っています。

その後、選手のみならず、メキシコに道場を建て後進の育成にも着手。60人以上の選手が彼の門下生としてデビューしました。新日本プロレスのエース、オカダ・カズチカ選手もその1人です。

一方、私は損保会社勤務という回り道をしてアナウンサーになり、念願のプロレス中継にも関わることができました。アナウンサー生活13年目の冬、奇跡と言っていい接点が巡ってきました。

2003年2月。団体の枠を超えたジュニアヘビー級のタッグリーグ戦が東京で開催され、彼も門下生と組んで出場しました。

日本テレビがその大会を中継することになり私が彼の試合を実況。アナウンサーになって初めて彼の試合を自分の言葉で描写することができました。この仕事に就いて最もうれしい時間でした。(写真は14年前の試合後控室・ディファ有明)

その後もアクロバティックに戦い続けてきた彼は、今年でデビュー30年。「動けなくなって野次られたり同情されたりしたら潮時」と言い切り、51歳になった今もスピードとテクニックで魅せることにこだわっているウルティモ・ドラゴン。

自分の試合が終わると、会場の片隅でメキシコ製の覆面(試合用・レプリカ・子供用・キーホルダー)を売りさばきます。

「スポスタ☆魂」では最近の試合やトレーニング風景、素顔で闘うデビュー当時のメキシコでの映像を通して名古屋から世界に飛び出したレジェンドを紹介します。

私、かつてMCだったこの番組に8年ぶりに生出演します。

2017年12月22日 10時00分

デビュー30周年!旧友は現役バリバリ51歳の覆面レスラー

12月24日(日)午後4時55分からの「スポーツスタジアム☆魂」で地元出身のプロレスラーを特集します。

覆面レスラー・ウルティモ・ドラゴン選手は名古屋出身の51歳。33年前、彼が高校生、私が大学生の時に知り合いました。接点はお互い熱心なプロレスファンだったということ。

彼が通っていた高校の文化祭の出し物でプロレスのまねごとをする時には、私が実況アナ役で手伝いに行きました。

そのころから彼は「将来プロレスラーになる」と決めていました。私は「アナウンサーになりたい」と思っていました。彼は「なる」で私は「なりたい」。彼の決意を当時はそこまで本気にしていませんでした。

体操選手並みの身体能力を誇った彼は戦隊ヒーローショーでスーツアクターのアルバイトで稼ぎ、高校卒業後、実家の電気屋を継ぐべく東京で修行する傍らジムに通い身体を鍛え、新日本プロレスの道場に転がり込みました。

身長172cm。運動神経は抜群でも「体が小さい」という理由で入門はかなわず、単身メキシコに渡ってデビュー。1987年5月13日のパチューカでした。

渡航を知らなかった私は、デビューを彼からのエアメールの絵葉書で知り、すぐに当時勤務していた会社を休んでメキシコシティに応援に行きました。一緒にプロレスのまねごとで遊んでいたころから僅か3年余り。3万人が詰めかける巨大なドーム型闘牛場の特設リングで流血しながら奮闘する友人の姿に心を打たれました。

アナウンサーになれずに損保会社に就職した私にとって、彼は尊敬すべき存在になりました。その後、私が転職してアナウンサーになる時、彼の頑張りが背中を押してくれました。彼は軽量級レスラーの世界でトップを張り続けています。

「スポスタ☆魂」ではウルティモ・ドラゴン選手の現在と過去を私が30年前に撮影したデビュー当時の素顔で闘う映像も交えて特集します。

 

 

 

 

 

 

 



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