2010年09月30日 18時34分

「RH&DH」車内からの1枚

「RH&DH」が如何に小さいサイズの鉄道かを
実感してください。

私としては、この目線の低さを何とか写真にしたいと
往路にいろいろと考えていました。
その時たまたま踏み切りがあり、
乗用車の運転席と視点が同じくらいであることに
気がつきました。
これでやることは決定。
しかし、そう上手く踏み切りに車がいるであろうか?
またこの鉄道、何せ半端でなく揺れるのです。
写真がブレたら使い物になりません。

でも全ては杞憂に終わりました。
カメラを構えて確か2~3つ目の踏切でこの写真を
モノにしました。

見ていただいたとおり、
ビスタカー等の2階建て電車の階下席よりも
はるかに視点が低いです。

はっきり言って5月10日にUPした紀和鉱山のトロッコと
車内の広さも視点の低さも“どっこい”と感じました。
まるで、公園のベンチに腰掛けて周りの風景を
見ている気分でした。

2010年09月30日 8時09分

「RH&DR」ダンジネス駅

定刻では11:35に終点のダンジネス着。
実際には10分ほど遅れたと記憶しています。

雨が降っていたのと、そのせいかとても寒く
折り返しの12:05まで
駅舎の中でじっと待っていました。

この日、私が乗った列車は客車を12両繋いでおり
結構な大編成でした。
が、途中で交換した列車も数えたわけではないものの
同じ位の長さだったこともあり
小さな機関車ながら、この鉄道のSLたちの
力強さを伺い知ることが出来ました。

ところで「ハイス」駅からここ「ダンジネス」駅まで
通しで乗ったお客さんは半分ほど。
半分は途中の「ニュー・ロムニー」駅で下車。
それとこのダンジネス駅まで乗ってきたお客さんの大半は
駅前に待ち構えていた「観光バス」に乗って
消えていきました。
ということは、ツアーのお客さんが大半?

残った数少ないお客さんは駅舎の中で暖を取るため
コーヒーなどを飲みながら時間を過ごしていました。

かくして定刻12:05の列車はガラガラ。
(私の乗った客車の乗客は私だけ)
因みにこの駅はループ線になっており、
機関車の付け替えはなく、そのままこのホームから
グルッと右回りに出発して行きました。

2010年09月29日 18時40分

「RH&DR」の客車内

「RH&DR」の客車内は、4人掛けのボックスシートです。
●座った感じはキハ10系のボックスシート。
 例えが難しいですが分かってください。

このシートが1両に4組(この車両の場合)あり、
当然、通路は無いためそれぞれのシートに対応した
個別のドアからの乗り降りでした。

一旦座れば立つことは許されません。
中腰になったところで頭がつかえます。
横も2人で一杯一杯で、最初に書いたとおり
キハ10系に座った気分でした。
(113系の席とはチト違う)

大きな荷物を持って乗ることなど不可能で
もしも持っていたならばハイス駅で預けて往復するしか
無いと思われました。

で、私が乗った列車はほぼ満席でハイス駅を出発しました。

2010年09月29日 9時06分

「RH&DR」ハイス駅

「RH&DR」のハイス駅での出発待ちです。

私が乗ろうとしていた10:30発の列車は
画面右側の列車ではなく、乗客が待っているホームから出ます。
(乗客の向こうに客車がチラッと見えます)
その客車にはもう人が乗り始めていますが
乗客が待っているところには
まだ客車と機関車が着いておらず
ここに写っている大勢のかたと到着を
今や遅しと待っていました。

最初、人の向こう側に見える客車に
私は乗ろうとした(混んでいた)のですが
近くにいた人(乗客)が、「まだ客車が増結されるから」と
ホームの先端まで案内してくれました。
イギリス人は結構親切です。

当初から長い編成で発車する予定だったが
とりあえず一部の客車をホームにつけたのかどうかは
計り知れませんが、
とにかく増結しても直ぐに満席となり
私は否が応でもこの鉄道の小ささを実感することになりました。
それにしても平日(火曜日)にも係わらずとても
大勢のお客さんがいてビックリしました。

ところでここで注目はやはり線路の幅。
381ミリという、日本で特殊狭軌と呼ばれる
ナローの半分しかありません。

2010年09月28日 18時02分

「RH&DR」ハイス駅の転車台

今回は「ロムニー、ハイス&ディムチャーチ鉄道」
(RH&DR)の出来る限り本や雑誌、HPなどに
出ていなさそうな話題を幾つか選んでUPする予定です。

まずはハイス駅の転車台。
やはりここの鉄道の大きさは、人や何か比較対象物が無いと
よく分かりません。
もしもここに人が写っていなければ
間違いなくこの機関車は堂々たる大型蒸気に見えること
請け合いです。

さてこの機関車ですが、
No.5「HERCULES」で1927年製。
(「ヘラクレス」とでも呼ぶのでしょうか?)
軸配置は国鉄式でいうと『2-D-1』“マウンテン”と
呼ばれるもので、日本でこの軸配置の機関車は無いはずです。

さてこの機関車の色ですが、日本風に言えば「えんじ」に
近いと思われますが、「RH&DR」のガイド本によれば
「Metropolitan Railway Red」ということで
まあ、“赤”は“赤”でも、『ロンドン鉄道の赤』とでも
言えば良いのでしょうか?
他にも「British Railways Green」や
「Caledpnian Railways Blue」などの鉄道色(?)の機関車が
あります。

ここの機関車の素晴らしさは、まずはピカピカに
磨き上げられていること。
当たり前と言えば当たり前かもしれませんが
それ故、各機関車の美しさが際立っているといっても
過言ではありません。

2010年09月28日 9時08分

世界最“狭”の公共鉄道への道

9月21日(火)のブラックプール市電に続く
イギリス編の再スタート。

今日からはかの有名は
「ロムニー、ハイス&ディムチャーチ鉄道」です。
通常この鉄道は『世界最小』の公共鉄道と言われていますが
私は敢えて『世界最“狭”』と題させていただきます。
(以後、この鉄道は「RH&DR」と書きます)

乗りに行ったのは平成17年10月25日の給料日です。
給料日と言っても単に口座に振り込まれるだけですが
休暇で遊んでいても「今日は給料日」とつい思ってしまいます。

さて写真は鉄道ではなく「バス」。
「RH&DR」への道は、
ロンドンの『チャリング・クロス』駅から始まります。
そして『フォークストン・セントラル』で電車を降り
ガイドブック等にはそこから「バス」に乗車と書いてありますが
私の場合は、『フォークストン・バスステーション』から
バスに乗りました。そのバスステーションが今回の写真です。
●いわゆる地方都市のバスターミナルをイメージして下さい。
●鉄道駅からこのバスステーションまでは徒歩10分。

そこから2階建てバス(如何にもイギリス)に乗り
フォークストンの住宅街を通り抜けて
目指す停留所は「Hythe Light Railways Station」。
●バスセンターの案内所で降りる停留所を
 教えてもらいました。
●乗車時間は約20分。バスの運転間隔は15分毎。
●もしも「RH&DR」へ行かれる方がいらっしゃいましたら
 フォークストンからこのバスに乗ることをお勧めします。

2010年09月27日 17時49分

国鉄只見線の入場券

昭和53年7月17日に購入した只見線の入場券です。

423Dが途中で列車交換のため長めに停車した全ての駅で
買っています。
これらの入場券を購入した駅も無人化され
今や入場券が買えない駅も多くなりましたが
これは時代の流れということで致し方のないところでしょう。

ところで写真の入場券で注目してほしいのはその料金!
実は只見線に乗った直前の7月8日に国鉄運賃が改定され
入場券もそれまでの60円から80円に値上げされました。

で、会津坂下・会津柳津は60円の額面のままですが
会津宮下・大白川・小出の各駅の入場券には
それぞれ「料金変更」「運賃変更」の印が見えます。
一方で越後須原は80円になっています。
ただ発行No.は“00016”で、
新しく印刷された入場券としては何と16枚目という
私の持っている入場券の中では『快挙』とも言える
若いNo.でした。

今や硬券の入場券は「化石」の様な存在ですが
当時はこれが当たり前。
但し、乗車券の方が深刻ですが
運賃改定の際にすぐに新しい切符を用意せず
旧運賃や「運賃変更」の印で“しのいでいた”ということは
私の記憶の中に今も残っています。

2010年09月27日 9時02分

国鉄只見線「越後須原」駅

昭和53年7月17日、
国鉄只見線の423Dは、『会津坂下』(422D)・
『会津柳津』(急行いなわしろ1号)・
『会津宮下』(424D)・『会津川口』(426D)と
全て『会津』の冠付きの駅で交換しながら
写真の新潟県『“越後”須原』では428Dと交換しました。
●5時間近く乗って5本の列車と交換は少ない?

沿線の車窓については、今更書くまでもないので
あえて触れませんが、飛びっきりであったと断言できます。

さて、途中の「会津宮下」での停車時間が長く、
駅前に出た記憶がありますが、出たというだけで
何があったかという記憶はなく、
その後、ガラガラの車内の自席に戻り
全開の窓に手を付き、その上に顔を置いて
ただ「ボーっ」としながら夏を感じていたと思います。
何故ここまで具体的に書けるのか?
実は、この駅のトイレに行ったのを覚えているのです。
車内にもトイレはあるのですが
長時間停車ゆえ「背に腹は代えられない」状況に追い込まれ
止むを得ず…。
当時、停車中の車内トイレの使用はご法度でした。
以上、写真と全然つながらない話しで申し訳ありません。

ところで鉄道ピクトリアル11月号に、
只見線全駅の写真が出ていましたが
「越後須原」は30年以上前と全く変わっておらず
違うとすれば駅舎の前(駅名の直下)に
「鉄道で送る小荷物」らしきものが写っていること。
それだけは今は絶対にないと言えます。

2010年09月26日 20時09分

国鉄只見線は昭和53年に乗車

今、発売中の「鉄道ピクトリアル11月号」の特集は
『只見線』です。

その最初の特集記事を執筆された岩成政和氏は
『只見線』を他のローカル線と比して
「単独で特集となりうる路線」とされていますが、
その通りであると私も思います。

私が只見線に乗ったのは昭和53年7月17日、
会津若松発5:22、小出着10:14の423Dでした。
写真の『南東北周遊乗車券』を使い、
7月15日に名古屋を出発。
16日に国鉄長井線・左沢線、福島交通、更に会津線を乗り
17日早朝に会津若松駅を後にしました。
※『南東北周遊乗車券』と言うより、
 『みなみ東北ワイド周遊券』と言った方が
 きっと馴染みがあるのでは?
※周遊券に駅名の「印」が一杯ありますが
 これは「途中下車印」です。
 本来ならこの「印」は途中下車時に
 必ず押さなければならなかったはずですが
 実際には駅員さんにお願いして押してもらっていました。
 また、1枚の切符に押された数が多いほど
 マニアの中では「勇者」として扱ってもらえました。

当時、地方都市の駅前にはビジネスホテルなどはなく
ご存知の方は年齢がバレますが
その代わりに「商人宿」という旅館がちょっとした町なら
必ず駅前にあり、私も会津若松ではそこに泊まっていたと
思われます。
また朝が早いのは「乗りつぶし」の旅のいつもの
パターンで、特に夏場は日も上がっており
大して気にもしていませんでした。

2010年09月26日 8時06分

昭和55年4月5日の東武鉄道乗りつぶし 乗車券編

私は「乗り鉄」の時に使用した乗車券類を
アルバムに貼っていました。
(今はやっていませんが…)

左上の乗車券は見にくいですが
伊勢崎~230円区間(軟券)。多分西小泉まで。
右上は西小泉から葛生まで乗った260円の乗車券(?)。
左下が葛生から北千住までの580円の乗車券。
右下が「りょうもう28号」の急行券で
館林から61キロ以上区間用の600円のものです。
因みに指定席は2号車42番です。
(運賃・料金が時代を映しています)

この時代にはまだ硬券の乗車券が普通にあったんですね。
それと「りょうもう号」の急行券が
乗車券サイズの硬券で、日付と号車がスタンプで
かつ席番が手書きというのも思わぬ発見をした気分です。

またいつかここに書いたことを忘れて再度書きそうですが
当時の『乗り鉄』に必須の鉄道(電車)の時刻は、
交通公社発行の「時刻表」だけが唯一の手がかりと言っても
過言ではありませんでした。
ところが私鉄の全駅・全列車の時刻などは掲載されておらず
この東武鉄道の乗りつぶしにしても
思いっきり“行き当たりばったり”で
それでも各区間の所要時間だけは「時刻表」でわかるので
それであたりをつけながら乗っていたと記憶しています。

はっきり言って、とまでは言い切れませんが
葛生まで乗りに行き、もしも最終の新幹線に乗り遅れたら
多分、『大垣夜行』で帰る位の覚悟はしていたと思われます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!