2011年04月30日 18時49分

ゴールデンウィーク特割ドニチエコきっぷ。

名古屋市交通局の「ゴールデンウィーク特割ドニチエコきっぷ」と
名古屋の「丸栄」で開催中の「鉄道模型展」の『期間入場券』です。

まずもって「エコきっぷ」ですが、本来は4枚が1セットで
1800円なのですが、「鉄道模型展」の入場券とのバランスを考え
3枚でスキャンしました。

そんな話しは蛇足なのですが、とにかくこの「エコきっぷ」、
1枚当たり450円と本当に格安で、地下鉄の3区(260円)を
往復すれば、一般的にはマナカポイントよりも「割が良い」ものとなります。
このゴールデンウィークは、「鉄道模型展」の会場で、
『名古屋レール・アーカイブス』の写真展を行っている関係上、
私は栄まで最低4回は通う予定があったため、
発売日の4月25日に、通勤での下車駅「八事日赤駅」で購入しました。
因みに私が購入した朝9時半時点で「残り2組です」と告げられましたが、
私は必要な「1組」だけを購入しました。
ただ駅員さんは私が「鉄」と感じたのかどうかは分かりませんが
てっきり「2組」買うものと思い込んでいた節があります。
それはさておき、早々に5000組が完売となったこの「エコきっぷ」ですが
通常の「エコきっぷ」と同様に、様々な特典もあります。

それは指定の施設でこれを提示すると「入場料」の割引が
受けられるというもので、写真の「鉄道模型展」の期間入場券も
“100円”引きの400円で購入しました。
「エコきっぷ」に特典がついているのは知っていましたが
使ったのは今回(昨日)が初めてで、
実は私は「鉄道模型展」の“出展者”の立場で、
この入場券が無くても会場に出入りできます。
でも、今回の「エコきっぷ」の話しをここに書きたいがために
期間入場券を買ってしまいました。
“愚か者”と笑ってやってください。

2011年04月30日 8時00分

桜通線可動式ホーム柵「今池駅」。

写真は平成23年4月29日、名古屋市営地下鉄桜通線「今池駅」で
撮影した“動かない”「可動式ホーム柵」です。
●電車がいないのに「ホーム柵」が開いた状態です。

当初、名古屋市交通局から発表されたスケジュールでは、
「今池駅」の『可動式ホーム柵』の使用開始予定日は、4月16日でした。

それが昨日の時点で、『柵』そのものは出来上がったものの
まだ“稼働”はしていませんでした。
が…、お待たせしました。
本日からこの『柵』がちゃんと『可動』する“稼働”開始です。
※昨日、今池駅に「30日から」と書いた張り紙があったので、
ここでは断定口調で書いています。
トラブル発生による“稼働”延期が無いこを祈っています。

んなことはさておき、私は桜通線の沿線に居住しながら、通常は
新瑞橋から先の今池方面に乗車することは殆どありません。
それでも、1か月に1~2回は乗っているので
「可動式ホーム柵」を使用する駅が、一駅一駅伸びていくのを
ずーっと見ていました。

中村区役所の1月22日を皮切りに、国際センターの2月12日までは
予定通りだったのが、その後は遅れに遅れ高岳・車道にいたっては
使用開始予定日から一か月以上遅れ、それぞれ4月9日、23日に
やっと使用を始めました。

何れにしろ、「今池駅」の開きっぱなしの「ホーム柵」は昨日限りで
この写真は実に貴重な『歴史を語る』一枚となりました。
※言い方がはっきり言って“誇大”というより、“法螺”の部類です。

ところでこの先、「吹上」~「野並」間の使用開始予定日ですが、
何と名古屋市交通局のHPでは「予定が決まり次第、お知らせします。」と
なっています。何だなかなあ・・・。

最後に…。このブログで、「ホーム柵」の両端部の形状に
ストレートと斜めがある話しを2月2日・10日に書いていますが
今池駅は4か所全て『斜めタイプ』でした。その理由は???
今夜も寝られそうにありません(笑)

2011年04月29日 18時24分

鹿児島市電(10)昭和53年の路線図。

昭和53年の路線図です。電車内に掲示してあった物のため、
ピントが甘く、少しぶれているのはお許しください。
青色の線が「1系統」、黄色の線が「2系統」、赤色の線が「3系統」です。

ここで昭和53年1月31日の足跡です。
1)1系統「谷山」発16:14~「鹿児島駅前」着16:54
●谷山線「谷山」~「武之橋」、第一期線「武之橋」~「鹿児島駅前」。
●鹿児島駅前から清水町まで歩いて移動。

2)2系統「清水町」発17:19~「郡元」着17:55
●上町線「清水町」~「市役所前」、
 第二期線「高見馬場」~「西鹿児島駅前」(ここから唐湊線)~「郡元」。
●郡元発18:00の「1系統」に乗り継ぎ、高見馬場着18:16。

3)3系統「高見馬場」発18:24~「伊敷町」着18:47
●新規乗車区間は伊敷線「加治屋町」~「伊敷町」。
以上で、当時の鹿児島市電を完乗しました。たった4本の電車の旅でした。

その後、上町線(市役所前~清水町)・伊敷線(加治屋町~伊敷町)は
昭和60年に廃止になり、
「2系統」の起点(終点)は清水町から鹿児島駅前に移り、
「3系統」は無くなってしまいましたが、
その当時、市電の衰退は“当然”の様に考えられていた時代で、
今の鹿児島市電の『隆盛』は想像だにできませんでした。
というか、昭和60年当時、これ以上、短くならないでほしいと
切に願ったものです。

最近の鹿児島市交通局の「電車事業」収支は、ほぼ毎年黒字の堅調ぶりで、
電車のスピードも速く、自動車交通との分離もあって
定時性も確保されており、話しは飛躍しますが、
これが何故岐阜で出来なかったのかと思ってしまいます。

2011年04月29日 8時00分

鹿児島市電(9)「鹿児島駅前」停留所の今昔(2)。

平成の時代も、昭和の時代も変わらぬ「鹿児島駅前」停留所の
ダブルクロッシングです。

違いは、軌道敷きが現代は緑化されており、以前が敷石かであったこと。
そしてクロスの位置が、上の写真で言えば、
昭和の時代から少し次停留所方面に移動していると思われます。

『軌道敷緑化』と『センターポール』は
「鹿児島市電」の専売特許と言いたくなるほどですが、
その素晴らしさは私が改めて言うまでもなく、皆様、ご承知の通りですね。
特に、街中だけではなく、このほぼ「専用線」とも言えるこの場所における、
“緑の中のクロッシング”の造形美には惚れ惚れとしてしまいました。

ここで初告白ですが、私が小学生低学年の頃、
日常的に乗っていた名古屋市電や名鉄の「新名古屋」~「鳴海」間で、ダブルクロッシングを見かけた記憶がなく、
少し大きくなってその存在を初めて知った時、何故かそれは私の中で
『大鉄道』(国私鉄を問わず)の象徴の様に感じ、
それを持つ鉄道に“憧れ”を抱くほどでした。
(大袈裟ではなく、本当です)

更に年を重ね「鉄道」に本格的に興味を持ち始めた
高校生位だったでしょうか、
多分、皆様の中にもいるのではと思うのですが、『仮想鉄道』を作って、
ダイヤを考えたり全駅の配線図を作ったりしていました。
そしてそこには必ず『ダブルクロッシング』がありました。
ただ、その時使っていたノートは今、手元にありません。
もっともあったとしても家族には絶対に見せられません。

話しを戻して、“クロス”の位置が移動したかも?ですが、
下段写真の「815号(現、9511号)」の左側にある『建屋』と
同一と思われる建物が、上段写真の「1013号」の左側に見えるからです。
※この建物は、ひょっとしたら「塔」はないものの
「操車を行う信号扱い所」のような気もしています。

2011年04月28日 23時58分

「丸栄」鉄道模型展準備中。

明日から名古屋の丸栄百貨店で開催される「第8回鉄道模型展」で
NPO法人「名古屋レール・アーカイブス」(NRA)が行う
『名鉄特急歴代写真展」の準備を本日行いました。

通常のNRAではかって見たことが無い“ネクタイ軍団”が集合し、
改めて会員の方が普通に働いていることを知ることが出来、
結構新鮮でした。
●皆様にはあまり関係ない話しで恐縮です。

私達がセッティングに訪れたのは、仕事を終えて集合できる午後6時半過ぎで
その段階では、既に有料エリアの準備は終わっており、
残すところはNRAの展示だけといっても過言ではない状況でした。

展示する写真パネルそのものは事前に作って置いたので、
本来ならただ飾るだけであったはずであったのに
パネルを壁面にセットし、一枚一枚の写真が傾いていないか、
また隣の写真と高さのズレは無いかなどなどしているうちに
思ったより時間がかかり、結局午後8時過ぎに全作業を終えました。

今回の展示では、50年前の名鉄特急の姿もあり、
展示写真数はそれほど多くはないものの
“アーカイブ”としての貴重な写真を厳選しました。

鉄道模型を楽しむついでに是非、私たちNRAの写真展にも
お立ち寄りください。
なお申し訳ありませんが私を含め「会」のスタッフは
常駐しておりません。あらかじめご了承ください。

2011年04月28日 9時05分

明日から「鉄道模型展」。

明日29日(金)から5月5日(木)まで、名古屋の「丸栄」で、
皆様お馴染みの「鉄道模型展」が開催されます。

その会場で今回、NPO法人「名古屋レール・アーカイブス」が
『名鉄特急歴代写真展』と称した展示を行うことになりました。
詳しき書き過ぎると会場に来る楽しみが減るので避けますが、
名古屋鉄道で活躍した歴代特急車両の様々なシーンを
「名古屋レール・アーカイブス」ならではの貴重写真でお届けします。

今回UPした写真は、常滑線「古見駅」近くを走る
2000系「ミュースカイ」ですが、この写真は展示していません。
要はこうした新しい特急車両から古くは・・・、
珍しいものでは・・・と、「各種取り揃えております」という参考用です。
ところで何故「古見駅」近くで、この写真を撮影したかと言うと、
昨年の24時間テレビの際、「ハウジングパークみなと」会場で
名鉄電車の『3D映像』の上映を行ったのですが、
その撮影の下見時に何箇所か回り、参考資料としてこの写真を撮りました。
ここを選んだのは、短区間に4つの踏切が連続してある
日本でも有数の名所(?)という理由があり、
それを何とか『3D』で見せられないかと考えたからですが、
結果は「まあね~っ」といったレベルで、『3D映像』の撮影もせず、
結果、単に私の力量が知れるものとなってしまいました。残念。
※撮影日…平成22年8月5日。

展示コーナーは、“有料”のエリアとなるため、
大人で当日券が300円、期間入場券が500円となっています。
もしもよろしければ足をお運び下さい

2011年04月27日 18時14分

鹿児島市電(8)「鹿児島駅前」停留所の今昔。

「鹿児島駅前」停留所の今昔です。
上段が現在のモノで、3線4面の堂々たるターミナルです。
下段が昭和53年の姿で、規模は現在より小さく、2線2面。
屋根のない吹きさらしですが、鹿児島のシンボル、
「桜島」を背景に写真を撮影でき、乗客サービスの面を除けば、
こちらの方が、『鹿児島』らしいとも言えます。

ところで現在の「鹿児島駅前」停留所ですが、
「1系統」(鹿児島駅前~交通局前~谷山)と
「2系統」(鹿児島駅前~鹿児島中央駅前~郡元)の
2系統が折り返すのですが、何せ両系統とも本数が多く、
構内は常時満線状態。そのため折り返し電車の出発を待つため、
停留所の手前で数分程度待たされることは日常茶飯事のようです。(運転士さんに聞きました)
実は私の乗っていた電車もそうでしたが、1台前の電車もしばし待たされ、
徐(おもむろ)にクロッシングを渡って行きました。
まあ、気の短い人は停留所を前に、イラつくかもしれませんが、
鹿児島の人はきっと大らかなのでしょう。
「私は…、」と言うと、停留所への入線前、
運転士さんが進行方向左側の線路際に設置された
「信号ボックス」の様なもののスイッチを、手を伸ばして操作しており、
それが気になって、「もう少し止まっててほしい」等と
不謹慎なことを思っていました。
多分、入線する線路の選択を手動で行っていたのではと推察しています。
●運転士兼信号操作係?と言った感じ・・・。
 どこのホームに電車を入れるかは特に決まっていない様でした。

ところで下段写真の「613号」は、昭和37年『帝国車両工業』製で、
今も鹿児島の街を走っています。もうすぐ50歳を迎えますが、
これだけの齢を重ねても現役でいられるのは“鉄道”ならではの強みですね。

2011年04月27日 9時00分

鹿児島市電(7)2つの操車塔。

昨年の11月13日に函館市電の「操車塔」の話しをUPしたのですが、
その時、「あそびにん」さんから「高見馬場」と、
もう一つ「郡元」にも“らしき”ものがあるとのコメントを頂いていました。

そこで今回、それを確かめに行ってきました
左側が「高見馬場」で、右側が「郡元」です。

「操車塔」と言えば、左側の「高見馬場」のタイプ、
つまり細い足の様な柱の上に操車作業を行う建屋が乗っかっている
イメージだったのですが、「郡元」のような形態のものを私は初めて見ました。
(「気付きました」が正しいかな?一度来ている訳ですし…)

正直言って、「郡元」のモノは、場所が場所なだけに「操車塔」で
間違いないと思っていますが、あまりにも“常識”と
かけ離れた形態をしており、絶対的な『自信は無い』と
ここに弁明しておきます。
理由は、何せ作業を行う場所の目線が、他の「操車塔」に比べ低いのです。
因みにネットで『「郡元」「操車塔」』で検索したのですが、
かんばしい結果は出ませんでした。
ただ、ここが今も昔も一大ジャンクションであることは間違いなく、
昭和の時代、この地に「操車塔」が無かったということは考えられません。
また、交差点にこのような建物があること自体、
それが「操車塔」である証しとも言えます。
(他の用途を思いつかない…)
よって、前言を撤回し、この2階建ての建物は「操車塔」であるというのが
私の結論です。(「回りくどい」とお叱りを受けそうですね)

2011年04月26日 18時01分

鹿児島市電(6)リトルダンサー物語。

上段の写真は、鹿児島市電の最新鋭機「7004号(ユートラムⅡ)。
平成20年に導入でメーカーは“アルナ車両”。
リトルダンサーのタイプA5です。

下段の写真は、「1012号(ユートラム)」で、平成13年導入。
メーカーは“アルナ工機”で、同じくリトルダンサーのタイプA3ですが、
こちらは日本で初めての「リトルダンサー」としても知られていますね。
当時、客室部分のフローティング構造には驚かされたとともに、
日本でもこうした『段差がリトル』な車両が作れる!のかと驚いたものです。

この2形式は、同じ『アルナ』の製品ですが、
平成14年に“アルナ工機”は“アルナ車両”となっています。
そのため余談ですが、『1000形』の
「1011号」~「1013号」までが
“アルナ工機”で、それ以降の「1019号」までが“アルナ車両”と、
同一形式の車両で、同一製造会社にも係わらず
メーカー名が異なると言う珍しい事態が発生しています。
これも時代の流れと言うか、短い期間とは言え時代の変遷を感じます。
この車両たちというか、特に『1000形』には今回、
敬意を評して乗りたかったのですが、何故か縁が無く、
一瞬、「来るまで待とうか?」と思ったものの、
この日の早起きが祟り、疲れきっていたため断念し、
早々にホテルに向かいました。
(夕食は「回転寿司」。地元の『旬』で“プチ贅沢”)

2011年04月26日 8時58分

鹿児島市電(5)分岐器(転轍機)は地上にあった!

上段の写真の分岐器は「郡元」停留所のモノ。
下段の写真の分岐器は「高見馬場」停留所のモノです。
路面区間の電車で、分岐器の転轍機が
地上に設置されている例を私は初めて見ました。

「郡元」の停留所で降り、目の前を行き交う電車たちの写真を撮ろうとして、
「えっ!!転轍機が露出している!」と、思わず何もないところで
躓(つまず)きかけました。

で、下段の写真になるのですが、その後、「高見馬場」に移動し、
そこでも転轍機を確認したところ、「やっぱり地上だ!」と驚きました。
とはいうものの、稼動部分には鋳鉄製と思しきカバーがかけられ、
前後には敷石もあって、乗客がその上を歩いても大丈夫の様には
なっていました。

路面電車とは言え、車と分離されて走る区間が多く、
また道路幅にも余裕のある鹿児島市電ならではなのかもしれません。
もしも昭和53年当時もそうであったならば、当時は、“乗る”ことが全てで、
ここまで気が回らず、そもそも路面電車の転轍器が地上にあるなどと言う
『常識外れ???』に気を向けることはありませんでした。

いやぁ、一度乗った路線も、もう一度乗って見ると
新しい発見が一杯で面白いですね。もっとも乗るだけではなく、
降りることも肝要ですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!