2011年06月30日 19時19分

桜通線の可動式ホーム柵、「新瑞橋」近日稼動!

最近、名古屋市営地下鉄の『可動式ホーム柵』について
全く書いていませんでしたが、ついに「新瑞橋駅」での稼動が
近くなって来ました。

写真のように本体部分が設置されたのに気づいたのは今週の月曜日
(6月27日)の通勤時。
そしてそこには、7月2日(土)に稼動開始予定とありました。
思えば当初の予定通りならば、ここ「新瑞橋駅」の稼動は6月18日(土)の
はずでした。
遅れに遅れたと言って良いのか、これ位なら“止むを得ない”範囲なのかは
判断に迷うところですが、それでも、7月中には見慣れなかった風景も、
きっと見慣れた風景になることでしょう。

因みに「瑞穂運動場西駅」は既に稼動しており、一方、次の設置駅である
桜本町駅に本体部分はまだ設置されていません。(今朝の段階)

ところで今、国土交通省では「ホームドアの整備促進等に関する検討会」を
定期的に開催しています。
その目的については、ここで書くまでもありませんが、
そこには15の鉄道事業者が参加しているのですが、そこに名古屋市交通局の
名前はありません。
*JR北海道*JR東日本*JR東海*東武*西武*京成*京王*小田急
*東急*京急*相鉄*東京メトロ*仙台市*東京都*横浜市

もうお気付きでしょうが、西日本の鉄道事業者の名前は無く、
『国土交通省』では西日本でも今後、開催予定としており、
その内に名古屋市交通局も入った検討会が開催されるのでしょう。

話しは変わり、実は今回がこのブログの1000本目の記事となりました。
昨年の2月26日(金)からスタートして、今日で490日目。
途中で東日本大震災の発生もあり、このブログを更新しなかった
日もありましたが、何とかここまで続けられたのは、
読んでくださる皆様方がいたからこそです。

そもそも番組「芸能界鉄道研究会 鉄研」が終了後に始めたこともあり、
当初は殆ど読まれることも無く、訪問者は私の知り合いの方たちが
中心と思われました。
それが最近は信じられないほど多くの方においでいただけるようになり、
感謝の念にたえません。
ここで皆様に厚く御礼申し上げますとともに、
今後も引き続きこのブログをお読みいただければ嬉しく存じます。
よろしくお願い申し上げます。

今回は1000回記念ということで名古屋市営地下鉄の話しにしました。

2011年06月30日 8時08分

房総半島横断(2)外房線「大原駅」の今昔。

最上段写真は、平成23年6月3日の「大原駅」です。
中段写真は今を去ること32年前、昭和54年1月15日の「大原駅」です。
そして下段写真は、その当時の入場券で同年1月14日の発行です。

現在の駅そのものは、屋根の色は鮮やかになっていますが、
外形的には以前のままの姿を保っています。
また駅舎の中も、私が「わかしお号」を降りて改札を通った時、
その雰囲気が昭和の時代とさほど変わっていないことに驚くとともに、
何か懐かしさを覚えました。

ところで今回の房総半島横断は「東」から「西」へ向かいましたが、
昭和54年は「西」から「東」への旅でした。つまり「小湊鉄道」
(たしか当時は「鐵」では無かった気が・・・)⇒「国鉄木原線」
(今の「いすみ鉄道」)のルートでした。
ということで、大原駅の入場券は「木原線」を乗り終えた直後の
1月14日に購入し、そして「大原」で1泊し、翌1月15日に、
ここをスタートに“乗りつぶし”に出かけたため、「大原駅」の写真は
“1月15日”というタイムラグが発生しているのです。
※昭和の時代に“乗りつぶし”をしていた頃、私は『日付入り』で
写真を撮っていました。
今のデジカメの様に、プリントをする時に『日付』をいれるかどうか
選択できる時代が来るとは、夢にも思いませんでした。

2011年06月29日 18時07分

房総半島横断(1)いざ、外房線「大原」へ。

平成23年6月3日、先に書いた「小湊鐵道」の体験運転を前に、
「いすみ鉄道」~「小湊鐵道」と乗り継いで、房総半島を横断しました。

出発点は「蘇我駅」。
この日、新幹線からの乗り換えの際の手間と移動時間を考え、
「名古屋」~「品川」~「蘇我」と乗り継いで来ました。

で、ここから乗った外房線の電車は、「蘇我」発14:34の特急
「わかしお13号」。
私にとって多分、2回目の乗車のE257系500番代の
勝手な第一印象ですが、正面の表情は「キハ90系(キハ91系と
いうべきか???)に何となく雰囲気が似ているなあ」というものでした。
キハ90系は中央西線を走っていたので、見かけた記憶があったのですが、
残念ながら現役時代の写真は1枚も撮っていません。
※最初のE257系体験は、仕事で『幕張メッセ』に行った帰りの
「海浜幕張」~「東京」間でした。

そんな話しはともかく「大原」には定刻の15:11に到着しました。

話しは蘇我駅での電車待ちの時間に戻りますが、昭和の時代、
私が最初に房総半島に乗り入れた頃は当然の事ながら“京葉線”はなく、
今回、蘇我駅でこの電車を待つ間、京葉線のE233系や
内房線・外房線の209系等の4ドア電車が雁行する姿には
感慨深いものがありました。

2011年06月29日 8時03分

春日井市の静態保存機「D51792」(7)元機関士さんの話しを聞く楽しみ。

『春日井市D51792蒸気機関車保存会』の活動の楽しみの一つは、
整備作業さることながらそれが終わってから、実際に蒸気機関車を
運転されていた機関士さんから当時の話しを聞いたり、当日の参加者で
“鉄道”の話しをすることだそうです。

この日は、たまたまかもしれませんが、
元機関士の「川端新二さん」(82歳)の話しを、「D51792」を前に
私たちも含めて聞きました。
その話しの一端を今回、紹介させていただきます。

最初に、この「D51792」の国鉄の購入価格が当時、
『10万7400円』であることの説明があり、
そこから「機関士」の“仕事”についての貴重(希少?)な体験談が
始まりました。
※(参考)樽見鉄道のハイモ330の購入価格が1億2900万円です。

●蒸気機関車の機関士と言う仕事は、一言で言えば『過酷』。
 そして残酷で厳しい仕事。
●「煙」を吸い、「石炭粉」を吸い、「鉄粉(ブレーキをかける時に出る)」を
吸う。決して体に良いとは思えない。
●運転室内の夏の暑さは地獄。冬でも『温かくて快適』はありえない。
●機関車の掃除係りから始まり、釜焚き(機関助士)になり、
そしてやっと機関士になり運転できる。
●それでも、蒸気機関車の機関士は面白く“やりがい”のある仕事だった。
●蒸気機関車の後、電気機関車の運転をしていたが、その差は大きい。
●特に今時の電車は、直ぐに運転できるようになる。
●蒸気機関車の撮影をする人は何も知らないが、
その運転は簡単なことではない。

などなど、現場で働いた方だからこその話しが聞け、私にとって
楽しいひと時でした。
そして『仕事』に必要なのは、“情熱”“誇り”“努力”と言った、
考えてみれば当たり前のことに、どれだけ心を砕いて取り組めるかと
いうことだと改めて感じました。

春日井市の静態保存機「D51792」(完)。

2011年06月28日 19時51分

春日井市の静態保存機「D51792」(6)この日の作業終了。

『春日井市D51792蒸気機関車保存会』の方たちの手による整備作業は、
午前11時を少し回ったところで終了。
躍動感あふれる動輪部分もピカピカです。

この「D51792」は、普段は勿論、煙室扉は閉まった状態ですが、
「春日井市交通児童遊園」の開館日には見学することができます。
今シリーズの(1)の写真では、この機関車がフェンスの中なのが
見て取れますが、そのため私は一瞬、開館日であってもフェンスの中までは
入れないのではと思っていたらそんなことはなく、入り口の鍵は開けられ、
誰でも入れるそうです。
開館日時は、原則、月曜日を除く9時~18時(一部16時半まで)と
なっています。
駐車場はありますが、止められる台数に限りがありますので、
JR春日井駅から15分ほど歩くことをお勧めします。

保存状態の良くない“静態保存”をそれなりに見てきた私としては、
ここの「D51792」は一見の価値があると思います。
それは、『蒸気機関車を見る』ということもさることながら、
如何に“保存活動”を日常的に続けることが大切かを考えるきっかけとしてと
いう意味もあります。

と言った固い話しはさておき、ともかくこの機関車を楽しんでください。
また、写真を撮影する場合ですが、何せフェンスの中なので、全体を写し込むにはワイドレンズが必要で、参考までに上段写真は
“24ミリ”です。
(最近のコンデジはワイドがきき、こういう時は便利です)

2011年06月28日 8時08分

春日井市の静態保存機「D51792」(5)煙室オープン。

6月26日(日)、この日、折角だからということで、
煙室の扉が開かれました。
ただ、静態保存の「D51792」でも、毎回開放しているわけでは
なさそうな感じでした。

私は今年の2月19日に、「JR北海道釧路運輸車両所」で
『C11207』が煙室扉を開けている写真をUPしましたが、
それでも、下段写真のように、中を覗き見るというか、この場に居合わせた
子供は中に入り込んでおり、通常なら考えられない経験が出来、大喜びでした。
因みに下段写真の最上部にある、『ラッパの口』のようなものの上が
煙突でした。

ところでこの煙室扉ですが、開閉にはなかなかコツがいるようで、
そうそう簡単には開かず、また閉めることも出来ないようで、
かつ力仕事のようでした。
それもそのはずで、この扉がガタついて、煙が漏れるようなことがあれば、
運転に支障が出そうなのは、その構造をチャンとは理解できていない私でも
察しがつくというものです。

それとは別に私が「へーっ」と思ったのが、煙室内が綺麗であったこと。
通常は閉まりっぱなしなので、この保存状態の中で汚れることは
考え難いのですが、それでも『ラッパの口』が黒光りしているのは
思いのほか気持ちが良いものです。

2011年06月27日 17時45分

春日井市の静態保存機「D51792」(4)フランジ塗油器。

写真の真ん中にある小さな車輪の様な部品は「フランジ塗油器」と
いうそうです。

作業をされている方に、「この動輪にくっついている“輪っか”は
何ですか?」と聞いたら教えてもらえました。
※一番下にある黒い輪の一部分は、第一動輪の最上部で所謂フランジの
部分です。
※そもそも私がこの装置に興味を持ったのは、動輪に付随しているように見え、
「速度を計測」もしくは「空転の検知」でもするのかと思えたからです。

で、「フランジ塗油器」とは何かということですが、蒸気機関車の車輪は、
一度取り付けたら、廃車になるまでそのままだそうで、
それだけに大事に大事に使う必要があるそうです。
その動輪にとって、一番負荷の掛かる時というか“傷みやすい”のは
動き出しや停止時もさることながら『カーブ』の通過があるそうです。
そこで登場するのがこの装置で、カーブに差し掛かると動輪のフランジ部に、
潤滑油を流し、動輪のフランジ部分がレールとの摩擦で磨り減ることを
減らすのだそうです。
とここまで聞いたところで、『この塗油器からは「流す」ではなく、
「滲みでる」と言った方が正しいですね』と解説されました。

既にご存じの方にとっては今更でしょうが、
私にとっては『お初』ということで今回もお許し下さい。

単に「保存車両」を見ただけでは、こうした一つ一つの部品まで
私が目を向けることは少ないのでしょうが、
『春日井市D51792蒸気機関車保存会』の方達が
丁寧に丁寧に細部にわたって作業されていたおかげで、こちらも細部まで
興味を持つことが出来、“新発見”が続出でした。

2011年06月27日 8時01分

春日井市の静態保存機「D51792」(3)部品の刻印。

私は蒸気機関車の構造等が詳しくありません。
もっとも蒸気機関車だけではなく、全ての車両についても同様です。
こう書くとまるで開き直っているみたいですが、そう指摘されれば
「その通りです」と素直に認めてしまいます。
その変わり、最近は、新しい知識に出会えると嬉しくなってしまい、
ここに“周知”のことかもと思いながら書いてしまっています。

今回は、機関車の様々なパーツに刻印された「D51792」を
見付けました。
上段写真はシリンダー部分にあり、
下段写真は第一動輪の上にあるクロスロッドのところであったもので、
“L”の文字があるのは、運転室から見て左側のパーツへの
刻印であるというのがその理由のようです。

因みに、上段写真は、ここで静態保存していることから
文字が見えるそうですが、現役時代は、黒色に塗られており、
ここまではっきりとは見えなかったはずとのことでした。

「D51792」は昭和17年10月31日、三菱重工業で製造され、
昭和48年2月3日に廃車となり、岐阜県の『中津川』が最後の配属先の
機関区でした。

この刻印の存在を私は初めて知ったのですが、
この刻印も「D51192」と共にその歴史を刻んできたかと思うと
感慨深いものがありました。

2011年06月26日 21時11分

春日井市の静態保存機「D51792」(2)整備中。

静態保存機「D51792」の整備を何故毎月一回という、
考えてみればなかなかの頻度とも思える間隔で行うのでしょう?

実は、それほどの回数をこなさないと、ちょっとした“錆び”が
直ぐに浮いてきて、今の美しい姿が維持できないのだそうです。

ということで、この蒸気機関車の象徴とも言えるナンバープレートを
丁寧に磨き上げ、動輪やロッド部分もサンドペーパーで綺麗にした後、
灯油で少し薄めたマシン油を塗り込んでいくのだそうです。

下段写真のバケツの中にマシン油が入っており、作業をされている方の
右手に持った小型のモップに油を浸し、
一か所ずつ進めていきます。
手間仕事というには、少々手が掛かり過ぎる感が無きにしもあらずですが、
手を抜くわけにはいかないとのことで、毎度毎度書いていますが、
話しはちゃんと聞くまでは、何事も分からないものです。

とりあえず写真に撮影したのは、目立った動きの部分だけですが、
実際には、この大きな機関車の隅から隅まで同様の作業が行われていました。

ここでちょっと感じたことが一つ。
蒸気機関車が現役だった頃、銀色に光る動輪のその美しさは、
それをどんな言葉で表現しても、口にした段階で、
陳腐になっていく気がしていました。
果たして今日私が目にした整備を日常的に行っていたのでしょうか?
また、今や動態保存の蒸気機関車が全国で走っていますが、
やはりこうした整備を行っているのでしょうか?
もしもそうであれば、恐ろしく手間暇の掛かることであり、
整備をされている方達の努力に頭の下がる思いです。

2011年06月26日 20時04分

春日井市の静態保存機「D51792」(1)。

今日(6月26日)、愛知県春日井市にある「春日井市交通児童遊園」に
静態保存されています「D51792」に会ってきました。

全国各地で静態保存されている蒸気機関車の中でも、
この「D51792」の保存状態の良さでつとに有名で、
それもそのはず、毎月第4日曜日の午前10時から11時半まで、
月に一回、整備活動が行われているのです。

整備をしているのは、旧国鉄で蒸気機関車の機関士をされていた方や
整備をされていた方もメンバーにいるボランティア団体
『春日井市D51792蒸気機関車保存会』で、毎回約60名の会員の内、
25名くらいの方が参加しているそうです。

今回、私がここをお邪魔したのは、
先回までの『三岐鉄道』の乗りつぶし~『軽便鉄道博物館』~
『貨物鉄道博物館』同様、守山生涯学習センター主催の「鉄道の楽しみ」の
講座の一環で、最終回がこの保存活動への参加だったことによります。

そこで、しばらく『春日井市D51792蒸気機関車保存会』の方たちの
活動話しにお付き合いください。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!