2012年10月31日 22時24分

「時刻表」に無いバスの旅(2)「稲見」到着。

「時刻表」に無い、函館バス『稲見~館』線「稲見」行きのバスに揺られること39分。7:22の定刻に「稲見」バス停に到着しました。

この写真は「稲見」到着直前に車内から撮影したもので、この風景が「稲見」でした。日本海沿いに暫く走ったバスはその後内陸に向けてハンドルを切り、到着したのが北海道檜山郡(ひやまぐん)厚沢部町(あっさぶちょう)稲見でした。

片道950円の小さな旅が終わりました。バスの終点らしからぬ何もないところで、私を下ろしたバスは、直ぐに出発し転回場に向かいました。もっとも「何もない」というのは私の“期待通り”だったような気もします。でもここが終点と言うことは恐らく、この道路ではここかから先に集落が無くなるということだったのでしょうか?それとももともとは先までバスが通っていたのがここまで短縮されたのでしょうか?調べればわかるのでしょうが、ここまでが今回の楽しみと言うか単に私の無精な性格が出てしまっています。

※バス停の「稲見」の名前が輝いて見えました。あくまでも私の個人的な感想です。

2012年10月30日 21時39分

「時刻表」に無いバスの旅(1)。

「時刻表」に“乗っていない”ではなく“載っていない”バス路線。「のっていない」をかな漢字変換すると“乗っていない”がまず出てきます。などということはさておきバス路線は市販の「時刻表」に載っていない方が圧倒的に多数派です。でもそんな「時刻表」に載らないバス路線をわざわざ乗りに行くという目標を持つには相当な理由が必要ではないでしょうか?

話しは変わって、インターネット時代になり例えば同じ姓名の人を検索したことはありませんか?私はあります。でも同じ苗字はあっても同姓同名は検索でひっかかりませんでした。その流れで「稲見」という地名を検索しました。あるものですね。そうっ!あったのです。更に調べたらバスが通っており、しかもそれがバスの終点!とあれば、しばし「鉄」を離れてでも行かざるを得ません。

今回、10月11日(木)から北海道に出かけた最大の理由だったと言っても過言ではないのが「稲見」行きのバスに乗ることでした。

そのバスは10月12日(金)、宿泊したホテルの目の前にある北海道江差町「新地町」バス停に定刻の6:43に到着し、私を乗せて出発しました。このバスの「方向幕」を見たその瞬間の私の興奮度は…是非、お察しください。さて函館バスの『稲見~館』線は「江差ターミナル」~「稲見」間を1日2往復。その2往復の内、私が乗った朝の1往復は日曜・祝日運休。もう1往復の夕方便は土・日・祝日・学校休日運休と、乗車のハードルは思いっきり高く、「折角北海道に行くのなら…」という“ついで”感覚では到底乗車できる路線ではなく、「はやぶさ乗車」「江差線名残り乗車」「札沼線(学園都市線)のDC札幌駅名残り乗車」…などを組み合わせ、パズルを解くような日程を組み、なおかつ会社に「木~日」の4連休をお願いし、上司のOKと同僚の理解があったことで実現しました。

江差の街中で乗車したバスは直ぐに日本海へ。この時、雨こそ降っていませんでしたが、鉛色の空が、すっかり海に溶け込んでいました。

※函館バスのHPではこの路線の時刻表は出ていません。私の気のせいではありません。自信があります。

2012年10月29日 21時44分

北海道への道(13)「キハ」車内に、あるものが…。

この写真は、「江差」まで乗ってきた『キハ40 1807』ではなく、翌10月12日(金)に「江差」から「木古内」まで乗車した4175D『キハ40 1810』で撮影したものですが、真新しいナイロン製と思しき黄色いバッグに『鉄道車両用 非常脱出ハシゴ』と書いてありました。今までこうしたものをあまり気に留めたことが無かったのですが、以前からあったのでしょうか?

※その用途については容易に想像がつきますのでここで詳しく書く必要はないのでしょう。

 

去年(2011年)の7月12日、2429D(「滝川」発「釧路」行き)に乗った際のキハ40『キハ40 737』『キハ40 739』が北海道で一番近々に乗車した一般形気動車なのですが、その車両の中にこれと同様のものを見かけた記憶が私にはありません。もっと言えばこれほど鮮やかな黄色のバッグを見落とすとは考えられません。

一方こちらは一昨日(10月27日)、JR九州の日田彦山線に乗車した際、『キハ147 184』の車内で撮影したものです。『非常用梯子』とあり、用途はキハ40の車内と同一でしょうが、こちらの袋は随分、年季が入っており、しかも荷物棚への簡易的な固定ではなく座席にしっかりと据え付けられていました。各社各様に順々に整備されているということでしょうか?

 

2012年10月28日 23時05分

北海道への道(12)乗車記念の『乗車券・特急券の収集』。

「名古屋」~「東京」間はいつものJR東海の「エクスプレス・カード」で移動し、「東京」から「江差」までの乗車券、特急券を別途購入しました。

昭和の時代に、『「乗車券」を記念で頂きたいのですが…』と下車駅の駅員さんにお願いすると「無効」という印が押され、使用済みの「乗車券」が私の手元にやってきました。もっとも国鉄・東京(北・南・西)鉄道管理局管内の駅ではその「無効」の措置があったと聞いたことはなく、実際に私の手元にも残っていません。それはJR東日本に移管後も変わりはなかったという記憶だったのですが、ある時、そのJR東日本でも使用済み「乗車券」が記念にもらえるようになったという話しを聞き、実際に私の手元にも“合法的(?)”に「乗車券」が残るようになりました。

それが今や乗車券には「乗車記念 使用済」の印が押される時代となり、今回は上から「JR東日本」「JR北海道」の「乗車記念」印も収集できました。

では、一番下の乗車券の「済」の印は「江差」駅で押されたものでしょうか?という書き方をすれば『駅』で押されたものではないとお察しいただけると思いますが、これは4174Dの運転士さんが押してくれたものです。ワンマン運転のこの列車の終点「江差」到着時、車内で運賃の清算を行っていたので、駄目で元々と思いつつ運転士さんに「乗車券がほしいのですが…」と遠慮がち(本当です)にお願いしたところ、カバンの中からこの印が出てきて、結果として私の手元に「東京」~「江差」間の乗車券が残りました。一応お断りしておきますが、他の乗客の方が全員下車するのを見届け、それからこの行動をしています。ですから『江差駅』構内で押されたものですが、『駅舎』で駅員さんに押されたものではないというのが正解と言ったところでしょうか?

ところで…、という書き方を敢えてさせていただきますが、「江差駅」は有人駅です。但し、窓口が開いているのは9:00~17:00であり、出札業務はしていますが、改札・集札業務はしていません。

そのため「済」の印を運転士さんが押してくれたもので、駅員さんがいても「乗車記念」の印は押してもらえません。もっともこれは駅員さんに確かめたわけではなく、運転士さんの行動が自然だったので私はそう思っているのですが、間違いはないはずです。

ただ「入場券」が無いというのは駅員さんに確かめました。ですから昨日のブログでUPしたような入場券は、たとえマルス発券であっても今は存在しません。

2012年10月27日 22時46分

北海道への道(11)「江差」駅に到着。

4174D「江差」駅に到着。15:51の定時でした。下車したのは6人。

10月11日(木)の江差地方の天候はとても不安定で、写真では駅舎の前は雨ですが、後ろを見ると晴れ間もあり、それからしばらく経って江差町の『防災放送』では「竜巻の発生」を伝えていました。夕方の北海道ローカルのテレビニュースでは、正に江差町で発生した竜巻が『写真』を使って放送され、正直言って「ゾっ!」としました。

駅を出て2~3分で目の前には日本海の荒々しい海が広がり、砕け散る波にこの日の天気が象徴されていました。

ところでこの写真は昭和52年2月10日発行の「入場券」で、この日は駅に降り立っただけでしたが、今回はここ江差で一泊しました。15:51について何故宿泊までしたかは近いうちにこのブログで書きましが、利用者の少ない原因が一つ分かった気がしました。

それは街の中心部から駅が少々離れていること。

歩くと20分くらいかかり、私は荷物があったのと雨が降っていたのと両方の理由から予約していたホテルまでタクシーを利用したのですが、要はそれ位の距離です。また函館起点で考えれば路線バスもあり、そのバスは街をほぼ縦断するように走っており、それも江差線の利用者数に影響しているのかもしれません。

2012年10月26日 20時11分

北海道への道(10)「湯ノ岱」駅の出来事。

今回「江差」駅を目指した目的の一つは、2015年の「北海道新幹線」の開業で、“江差線”「木古内」~「江差」間の廃止が取り沙汰されているからです。

4174Dは「木古内」から私を含め6名の乗客で出発し、この乗客数がいつもと比べて多いのか少ないのかは結局分かりませんでしたが、ともかく10月11日(木)はそうした状況でした。

侘しい話しはそれ位にして、1日6往復の“江差線”は途中の「湯ノ岱」駅で交換が可能です。42.1キロで1時間以上かかりますから、まあ交換駅は必要なのでしょうし、実際に交換もあります。ということで交換を一番簡便に行う閉塞方式の選択として、「木古内」~「湯ノ岱」間は特殊自動閉塞式、「湯ノ岱」~「江差」間はスタフ閉塞式となっています。

考えてみれば不思議ではないのですが、駅舎から駅員さんが“何か”を持って出てきて運転士さんに“あるモノ”を渡したのを見た瞬間、私の背筋が伸びました。

その何かの受け渡しがこの風景で、そうっ!「タブレット」が受け渡されていたのです。棒状の『スタフ』ではなく、「タブレット」が『スタフ』として使われていたのです。このパターンはJRに限らず私鉄でも『スタフ』閉塞を行っている路線で見かけることがありますが、ただ何せ「湯ノ岱」駅の雰囲気があまりにも良くて、この写真は帰路(10月12日)に狙って撮影しました。ということでこれは駅員さん⇒運転士さんの“タブレット”渡しではなく、運転士さん⇒駅員さんのパターンでした。

さてその『スタフ』ですが、こちらは10月11日に「江差」駅到着時、運転士さんにお願いして撮影させてもらったのです。ちゃんと「タブレット」の玉が入っており、とっても『昭和』でした。

※昭和52年2月10日発行の「入場券」です。

2012年10月25日 21時46分

北海道への道(9)「北海道新幹線への期待」。

JR北海道「木古内」駅に「スーパー白鳥」は14:33の定時到着。ここから“江差線”江差行きに乗り換えです。

手前に停車中のディーゼルカーが江差行き4174D。14:44発で11分の乗り継ぎ時間ですが、跨線橋を渡るため、大きな荷物を持った身としてはあまりゆとりがありませんでした。

「北海道新幹線」の工事は、青森県側でも津軽海峡線と交差するところもあるのでそれまでにも見てはいるのですが、この「木古内」の手前というか、3線区間が終わるあたりからやっと工事らしい工事が見えるようになった感じです。ただここ「木古内」には新幹線『駅』が出来ることから工事の状況は手に取るように見ることが出来ます。

「木古内」駅には駅名よりも目立つ『北の大地の始発駅』の看板があって地元の期待を感じますが、更に駅舎内のコンコースには「北海道新幹線」工事についての写真と地図等を使った展示があり、この「木古内」駅を利用され、かつ10分ほどの時間があれば一応ですが、「北海道新幹線」が分かるようになっています。

※駅舎の写真は10月12日(金)の帰路での乗換時に撮影。

(追伸)駅前に「急行」という名の食堂がありました。時間があれば入ってみたかった…。

2012年10月24日 23時04分

北海道への道(8)「スーパー白鳥」にて。

「青森」を13:17に出発し、取り敢えず腹ごしらえです。

車内販売で買ったのは伯養軒の「むつ湾産 帆立釜めし」(900円)。「新青森」での17分の乗り継ぎ時間では駅弁を買う時間が無かっただけに、昼飯時の車内販売での購入はある種の賭けでした。まずは名物駅弁が買えたのはラッキーだったかもしれません。

前にも(1年以上前?)書きましたが、30年以上前の私が全国の鉄道をひたすら乗っていた頃の駅弁は、一部の名物駅弁を除き、やや割高であり内容・味も今一つの印象でした。こういう書き方をするとお叱りを受けかねないことは承知で書いていますが私の戯言(たわごと)と言うことでお許しください。

その“駅弁”が変わったきっかけは、『持ち帰り弁当』の登場から始まり、怒涛の勢いで一気に普及した『コンビニ弁当』という強力な競争相手の登場。そして“窓の開かない列車”が増えたことなどではなかったかと私は思っています。その中でこの『帆立釜めし』は、私の記憶間違いでなければ「青森」駅で昭和49年頃にも売っていたはずで、ひょっとしたらその時に食べていたかもしれません。長く愛されている駅弁が今もあるのには『理由』があると実感しながら食べていました。お勧めです。

そうこうする内に「スーパー白鳥19号」はいつの間にか青函トンネルに入っていました。

青函トンネルを抜けると待っていたのは、標準軌との3線区間。2015年度開通予定の北海道新幹線の工事は着実に進んでいるようでした。

2012年10月23日 20時49分

北海道への道(7)「青森」駅にて。

13:03に「新青森」を出発した「スーパー白鳥19号」は「青森」に13:10に到着。ここで7分停車。かっては上野・大阪からの“長大編成”の長距離列車が到着する度に、青函連絡船に乗り込む乗客が先を争っていた広々としたホームも今は…。

私が連絡船に乗ったのは4回(2往復)。最初は1974年(昭和49年)2月8日、上野発20:50の201レ急行「十和田2号」は26分遅れて9:30に「青森」に到着。連絡の7便「大雪丸」は15分遅れで「青森」を出発しました。正に石川さゆりの『津軽海峡冬景色』の世界でしたが、息でくもる窓のガラスをふいてみても小雪舞う冬の海に「竜飛岬」は見えませんでした。

「青い森鉄道」が開業してもう10年。「青森」駅に停まっていた電車は「701-101」+「700-101」という「青い森鉄道」開業時の新製車両でした。しかしこの電車をじっくり見る時間はなく、「スーパー白鳥」の「青森」到着から3分後の13:03に「八戸」に向けて出発していきました。

キャラクターのイラストも可愛いこの電車。私の鉄道ライブラリーにまた一つ新しい歴史が刻まれました。

2012年10月22日 21時47分

北海道への道(6)「はやぶさ」から「スーパー白鳥」へ。

「新青森」着12:46で、乗継の「スーパー白鳥19号」の出発は13:03。乗継時間の17分は長いようで短く、まあ雨が降っていたこともありますが、駅の改札を出て駅舎の外景を撮影するほどのゆとりまではありませんでした。

こちらはマクドナルドのハッピーセット『プラレール』の「スーパー白鳥」です。ところで話しが少々脱線しますが、マクドナルドに私が一人で入り、ハッピーセットを買うのは少々“ハードル”が高く感じたので、実は娘に買ってきてもらいました。何が入っているかは封を開けてからのお楽しみと言うことで、2セット購入した内の一つがこれでした。

「スーパー白鳥」はシールが入っており、それを車体に貼り付けて完成となるのですが、これがまた細かい作業で、私はピンセットも使って「やっとこさ」で作り上げたのですが、そのおかげでこれを知りました。

789系「スーパー白鳥」は考えてみれば初乗車で、その乗降用ドアの横には如何にも「青函トンネル」を通過する電車らしく本州北部と北海道の地図が描かれ、その中間の場所がまるでターゲットが如くなっていました。因みにデッキ仕切りドアのガラス部分にも同様の地図が透かしでありました。この電車が存在する目的が明確で好ましく思えました。

 



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!