2013年06月30日 19時12分

日本最東端の駅・東根室(13)東根室駅から乗車。

東根室でワンマンの列車に乗り、降車駅で清算するより手元に残る乗車券が欲しくて、根室駅にて「東根室」~「釧路」間の乗車券をあらかじめ買っておきました。

実はこのブログの受け狙いで、北海道に出かける前にこの乗車券を名古屋で買っておこうかとつまらないことを一瞬ですが考えたことを白状しておきます。まあ一応順当なところに落ち着きました。

いよいよ「東根室」駅から乗車する時間が近づいてきました。この写真は16:01の撮影。

更に列車は近づいてきましたが、この駅の線形を知らない人が見ると、この写真はまるで鉄道用地に立ち入って撮影したみたいに見えます。実際には駅がカーブしているところにあるため、ホームでちゃんと撮影しています。

この駅のホームで列車を待っていた時、私以外に乗客がいてビックリしました。1人の女子高生で、ホームに佇んでいる雰囲気があまりにも良かったので思わず撮影させてもらおうかとも考えたのですが、それはそれで結構怪しいオジサンになりそうなので止めることにし、事情を説明して写らない場所で待ってもらうことにしました。と言ってもほぼ乗車位置でしたが…。いやあやっぱり利用者はいるんですね。根室市街地にある駅ですからまあ当たり前ですね。

2013年06月29日 20時10分

日本最東端の駅・東根室(12)雨宿りに最適、歩行者通路を発見。

「東根室」駅は自分が勝手に作り上げていたイメージと異なり住宅街の中にあります。

その入り口は2車線の道路にあり看板も出ています。

看板をUPにするとこんな感じ。「日本最東端の駅 JR 東根室駅 100m先」とあり、どこからどう見ても観光地の案内っぽいですね。

この看板から駅の方に向かうと、駅の周りだけ哀愁が漂っています。

ところでこの駅にはトイレが無いのは当たり前だとして駅舎もなければ北海道でよく見かける列車待ち用の“改造貨車”もありません。5月10日の根室地方の天気予報は、前日までは「雨」で、当日になって曇り時々雨まで持ち直したものの結構ドキドキ。しかもこの日の気温は8度で結構寒い!

さて万が一に備え、風雨をしのぐ場所がないものかと周りを散策していたら築堤となっている根室本線の線路を潜る道「東根室地下道」を発見!「地下」でもないのに「地下道」はないだろうと思いつつ、地下道の入り口にあった「チカンに注意」の看板には妙に納得させられました。

この地下道の場所はホームの階段を下り、昨日UPした記念碑の先、20メートルほど行ったところです。雨の時はここで到着の1分前までいても大丈夫そうです。但し、雪の日は2分前には出た方が良いでしょう。

「東根室地下道」で検索すると結構ヒットしますが、『雨宿りの場所』と言う見方は無さそうでした。

ひょっとして日本最東端の地下道?

2013年06月28日 20時07分

日本最東端の駅・東根室(11)東根室駅に到着。

やって来ました「東根室」駅。昭和49年は通り過ぎただけで今回、初めての探訪となりました。

観光タクシーは原則、根室駅発着とのことでしたが柔軟に対応していただけました。発車の20分ほど前の15時40分頃に着きたいとお願いしており、予定通りの到着でした。またタクシー移動のおかげでこうして記念写真も撮影できました。

「日本最東端の駅 ひがしねむろ」の記念碑の横にある何故かホームに背を向けて立つ駅名標に単純に面白いと思ったのですが、列車に乗らない観光客の訪問も多いとのことで、狭いホームでは記念写真が撮りにくい(危ない?)のでこんな格好になっているのかも知れません。

また北海道と言えば旅するライダー(オートバイ)が多いのですが、タクシーの運転手さんによれば根室駅からタクシーでここまで来て列車で根室駅まで戻るライダーも結構いるそうです。何となく納得です。

ところでホームにある駅名標ですが、そこの裏面には『東根室駅中心 滝川起点444K780m…』の文字がありますが、滝川起点では442.3キロのはずでさてこの数字は???

なおこの駅名標は間違いなくJR北海道が作ったものです。因みにホームからは絶対に見えません。駅外から見られることを意識しているとしか思えませんでした。

ホームから釧路方面を見るとこんな感じ。

逆の根室方面はこんな感じです。

2013年06月27日 20時06分

日本最東端の駅・東根室(10)根室半島の自然。

昨日に引き続き「鉄」分の無い話しです。明日からは鉄道話しに戻りますが、これも「鉄」旅ということでお付き合い下さい。

納沙布岬までの道が太平洋側とオホーツク海側の2本あることを今回知りました。路線バスは太平洋側を走っており、タクシー等の車でないとオホーツク海側を走る事はないでしょう。

そのオホーツク海側にあるのが北方原生花園です。花のシーズンには100種類の花が咲き揃うとのことでしたが、如何せん5月10日時点は原生花園の「花」の時期ではなく、かろうじて湿原の水芭蕉(テレビ放送では植物はカタカナ表記が原則ですが、私は漢字が好きです。)が咲きかけていただけでした。

その湿原にツルが!

タクシーの運転手さんが最後に案内してくれたのが根室港。サンマの季節になるとニュースでよく見かける港ですが、そこには「えとぴりか」号が停泊していました。「エトピリカ」というのは根室半島から北方領土で見られる海鳥だそうですが、船の方は北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)とのビザなし交流事業等に使用する船舶で、総トン数は1,124トンの大きな船。昨年デビューしたばかりの新造船です。(「ピリカ」とはアイヌ語で「美しい」の意)

昨日UPした納沙布岬には「北方館」という北方領土に関する展示館もあり、根室に来ると北方領土問題と向き合うことになります。今回、納沙布岬からは歯舞群島は島影らしきものが見えた程度でしたが、昭和49年に来た時は沖を流れゆく流氷の向こうに真っ白な歯舞の島々が見えていました。はっきりと覚えています。

2013年06月26日 20時03分

日本最東端の駅・東根室(9)納沙布岬から北方領土を臨む。

「根室」に13:08に着いて帰りは「東根室」発16:02。「東根室」から“乗る”ことだけが目的なら、乗ってきた列車の折り返しが「東根室」発13:52。東根室まではタクシーでも5分ほど距離とのことでしたのでそれも良いかと思ったもののあまりに勿体ない。そこで納沙布(ノサップ)岬に行くことにしました。昭和49年(1974年)2月18日以来です。

根室駅前~納沙布岬間には根室交通のバスもあり、その場合、根室駅前発13:15で納沙布岬着13:59。折り返しは15:10発で駅前着15:54。これだと東根室への移動リスクが大きく、その手段は諦めました。

それで駅前の観光案内所で納沙布岬までのタクシー代について聞いたら片道7000円程度とのこと。やっぱり「駄目だ」と思ったら「納沙布岬+北方原生花園を回って2時間で駅まで戻る観光タクシーはどうですか?」と勧められ10800円也のタクシー旅行をすることにしました。

納沙布岬に観光客の姿は全くなく、この写真はタクシーの運転手さんに撮ってもらいました。因みに納沙布岬の記念碑の上にいるカモメは生きています。

カモメの向こうにいるのは多分、オオワシ。自然が息づいています。

同じ場所から納沙布岬灯台方向をパチリ。

この日は北方領土歯舞群島貝殻島灯台が微かに見えました。画面で灯台が傾いて見えますが私の撮影が傾いているわけではなく、灯台そのものが今は傾いているとのことでした。

2013年06月25日 21時28分

祝!富士山の世界文化遺産登録決定。

遅まきながら祝!富士山の世界文化遺産登録決定。

まずは2008年(平成20年)11月5日の富士山。名古屋から仙台に向かう飛行機の中から撮影したものです。

 この日は好天に恵まれ、かなり長時間にわたって富士山を望むことが出来ました。

なお、鉄道が絡んだ富士山の写真を発掘することができませんでした。もっともそもそも撮っていなさそうです。

また今回の世界遺産登録に当たりめでたく三保松原が含まれたいうことで、今はなき国鉄清水港線「三保駅」の駅舎をUPします。1979年(昭和54年)9月16日の撮影で、この日は朝から二俣線、静岡鉄道と乗りつぶしをしていて、「新清水駅」からバスで国鉄「三保駅」にアプローチしました。

何せ清水港線は驚異の1日1往復しかなく、鉄道で往復するのは1日がかりとなってしまうためそれははなから頭にありませんでした。

乗車したのは668レで「三保駅」発16:14、「清水駅」着16:38。

「三保駅」の入場券。 1日1往復(朝:清水発三保行き、夕:三保発清水行き)しか走っていなかった超閑散路線にも関わらず有人駅でした。もっとも当時の清水港線は貨物列車が運転されていたのでそのために駅員さんがいたのかも知れませんが実際のところがどうなのかまでは分かりません。無責任極まりない情報をお許しください。

清水港線乗車後は身延線に向かいました。

2013年06月25日 20時01分

日本最東端の駅・東根室(8)東根室駅グッズ&緑色の日本そば。

最果てと言ったら根室の方に叱られそうですが、この駅は「最果て」の駅の雰囲気を持っておりホッとしました。実は稚内駅がすっかり様変わりしてしまい、私の持っていた「最北」のイメージからかけ離れ戸惑っていましたが、ここはイメージ通りでした。

その駅前にある根室市観光インフォメーションセンターの中には土産物屋さんもあります。

「東根室駅」グッズも販売しており、何かと買い込んでしまいました。昔(昭和49年)はこうしたグッズは無かったはず。

さて昼ごはんはどうしようかと思っていたら、少し歩いたところのおそば屋さんがあるということで早速向かいました。

注文したのは「かしわそば」。かしわ(鶏肉)について『歯ごたえがあり旨味の濃さが特徴です』とメニューに書いてあったので選びました。

それより釧路・根室地方に「ある」とは聞いていたものの実物は見るのも食べるのも初めての“緑色”の日本そば。クロレラ入りとのことで味はさてと…勿体をつけるほどの事もなく、見た目の慣れはありますが美味しかったです。

2013年06月24日 19時56分

日本最東端の駅・東根室(7)根室駅到着。

13:08、3631D快速「ノサップ」は終着の根室駅に無事到着。乗客数は数え忘れましたが、少なくとも10人以上いたのは間違いありません。その数は果たして多いのか???

1面1線のシンプルなホーム。昭和の時代もこうだったっけ?と思いつつ、きっと当時もこうだったはずです。なお、ホームで撮影している少しの時間の間に方向幕は「釧路」に変わっていました。

「駅の先に線路は繋がっていません」といいつつ、この先にも線路があったらそのまま西に進んで行き、国道44号線沿いに厚床駅の方に行ってしまうことになります。それはそれで面白いと思うのですが、実現性どころか考える人も皆無でしょう。

さてホームには『日本最東端有人の駅「根室駅」』の看板があり、その右下には『日本最西端の「佐世保駅」』とありました。「ん?」。日本最西端はゆいレールの「那覇空港」駅のはずで、2本のレールでということなら松浦鉄道の「たびら平戸口」駅のはず。「佐世保」は『JRグループなら』という条件付きとなります。突っ込みを入れたくなる看板でした。それにしても「鉄」ちゃん以外の人は「日本最西端⇒佐世保」って信じる人、いるだろうなあ。

最東端の「有人駅」の駅名標には「東根室」の名があり、隣の顔出し看板には「日本最東端の街にようこそ!」でした。その不思議な組み合わせにどれほどの人が気付くのでしょうか?

ところでこの根室駅では「根室駅」だけではなく「東根室駅」の入場券、しかも硬券を売っていました。勿論買いました。

2013年06月23日 20時56分

日本最東端の駅・東根室(6)東根室駅通過。

厚床の次の停車駅「落石」駅が近づいて来たころ、車窓に太平洋が見えてきました。

この辺りの風景も本当に雄大で、撮り鉄スポットとしても知られています。それにしてもここで撮り鉄するのはさぞかし大変であろうと思いきや、この辺りの状況に詳しい知人から「国道から近い場所にいいところがある」そうで、原野の中を延々と歩くという事はないそうです。

「落石」駅は12:50頃到着。定時の出発時刻が12:50ですので途中で最大2分ほどあった遅れはもう無くなっていました。

交換列車は5632D。キハ54-521の単行。

そしていよいよ日本最東端の駅「東根室駅」とご対面。通過したのは13:05頃でした。降り立ったわけではないのでこの時点ではまだ『感無量』というところまで気分は高揚していませんでした。な~んて書いていますが、この一枚は他の乗客の視線も気にせず、かなり前から運転席横に陣取って撮影しており、私にとっては“渾身”の一枚です。

2013年06月22日 20時49分

日本最東端の駅・東根室(5)標津線乗換駅「厚床」。

花咲線の厚床駅。この列車は12:27の着発です。

ここ厚床駅にある珍しいモニュメント。『旧標津線分岐厚床駅』と書いてあり、そもそも廃線となった線名の分岐駅であることをこうして記録(記憶)として残している例を私は知りませんが他にもあるのでしょうか?

根室標津駅と泉川駅の入場券のことは後程。

標津線は昭和49年2月18日にまずは

*厚床発15:20、355D乗車

*中標津着16:25

*中標津発17:05、327D乗車

*根室標津着17:34。

翌2月19日、

*根室標津発9:00、326D乗車

*標茶着10:50

以上の足取りで完乗しています。

にも関わらず昭和52年の北海道完乗の旅の際に、釧路から根室標津まで釧網本線~標津線でわざわざ往復し、この2枚の入場券を買っています。根室標津に行った理由は残っている写真からすると恐らく白鳥と流氷を見に行ったものと思われます。「鉄」だけではないのんびり「旅」だったようです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!