2017年05月31日 20時36分

1936年(昭和11年)10月25日発行    名古屋鉄道局編纂 車窓展望 第一編

昭和の時代に入り、鉄道を利用した旅は結構一般的になっていたということでしょうか?

名古屋鉄道局が作った「車窓展望」という本。名古屋鉄道局管内の旅行案内で、もっとも表紙の絶景撮り鉄ポイントの場所は不明。

内容は東海道本線を中心に関西本線等の『車窓』が解説されています。

ただ『車窓』とはあるものの実際の中身は簡単な観光案内です。

さて名古屋エリアの地図。①番は何でしょう?

答えは大高駅から最寄りの「桶狭間古戦場」になります。

私の気持ち的には名古屋の①と言えばやはり熱田駅近くの熱田神宮なのですが、当時「桶狭間古戦場」はそれほど皆さんに知られた存在だったのでしょう。もっとも駅から約5キロですから、今思えば随分遠い印象です。まあ当時としては「最寄り」の感覚なのでしょう。

特急「つばめ」号の展望車。きっと憧れの「旅」の象徴だったのでしょう。

2017年05月30日 15時35分

1935年(昭和10年)10月14日発行 絵葉書「鉄道展」

昭和10年の鉄道記念日(当時。今の「鉄道の日」)に名古屋で「鉄道展」が開催されたようで、その記念の絵葉書集。1937年(昭和12年)2月1日開業の三代目「名古屋駅」の模型の写真と1886年(明治19年)5月1日開業の初代名古屋駅が一枚に収められています。

一方こちらは1891年(明治24年)に初代名古屋駅が濃尾地震で倒壊後、再建された2代目名古屋駅。

C53の流線形。今も残っていたらどれだけ人気者だったであろう。と思っても仕方がない。

上がD50。下が流線形ではないC53。

D50は現役時代をかろうじて知っています。

6200型は「へーぇ」。

42000型汽動車。キハ07形と書いた方がまだ馴染みがあるでしょうか?同型機で同和鉱業片上鉄道で活躍した車両は「柵原ふれあい鉱山公園」で動態保存されており、今も見ることができます。

この写真が古ぼけているので「年季が入った」感じがしますが、この形式は昭和10年登場のバリバリの最新鋭。因みに前の写真のC53形流線形も改造直後の最新鋭機です。

珍しいと思ったのが除雪車。こちらは仙台鉄道局所属であることがボディーの「仙」から読み取れます。また当時の実際の除雪作業の写真は貴重な歴史の証人とも思っています。

掻寄せ排雪車。「マックレー車」の方が通りが良いかも。

キマロキ編成(機関車+マックレー車+ロータリー車+機関車)は名寄市に保存されており、今も往時の雪掻きに思いをはせることができます。所属の「札」は札幌で札幌鉄道局の所属であることが分かります。

ところで私が調べた限りですが、昭和10年に名古屋で大規模な鉄道車両展示の催事があったのかが見つかりません。本物の車両を名古屋駅もしくは貨物駅のどこかに並べ、この絵葉書集はその記念の発行と思いたいところですが、さて…。今そのようなイベントがあったら、どれだけの人が集まるかにつき考えただけでも恐ろしいことになりそうです。

2017年05月29日 15時34分

1924年(大正13年)頃?発行 名古屋市発行の観光絵葉書

名古屋市役所が発行したと思われる絵葉書。

当時は市役所がこうした発行物を作り、配布していたということでしょう。

この図は当時の鉄道の状況の把握もありますが、当時、名古屋市の各区がどんな風になっていたかが一目瞭然なのでUPしました。

中区を中心に、東区、西区、南区があるのですが、以上の4つしかなく、例えば南区ならば現在の南区にプラス、熱田区、港区、中川区が入っています。また各区の区役所の場所の違いも興味を引きます

栄町通の写真。街並みだけを見ていれば、今でもヨーロッパのどこかにありそうな風景ですね。

一方こちらは名古屋港。ベースの図柄がタツノオトシゴなのがご愛嬌。

2017年05月28日 15時33分

1923年(大正12年)5月20日発行 名古屋駅ヨリ主要駅ニ至ル/交通社出版部

「名古屋駅より主要駅に至る 賃金、里程、到着時間表」。

そのその昔、運賃は「賃金」と言っていたのですね。知りませんでした。

参考までに名古屋=東京間は234.6マイル。賃金は4円49銭。所要時間は9時間で隔世の感あり。豊橋と蒲郡の間に「御油」がありますが、これは今の愛知御津駅で、昭和23年に改称されています。一方の「御油」は名鉄の駅名になっています。

東海道53次の宿場町として栄えた「御油」を名乗るには、東海道本線はあまりに遠く、まあ当然の帰結と言えます。

名古屋駅発時間表。東海道本線の上りはほぼ東京行きで、その間に武豊や沼津、豊橋の名前が見られます。

一方、下りは下関、神戸といった有名どころが並ぶ半面、恐らくマイナーと思える「糸崎」は、昭和の鉄道ファンならともかく、今やほとんどの人には馴染みが無いはず。

かつて糸崎(広島県三原市)には大きな機関区があり、昭和40年代、大型蒸気が走る路線として人気のあった呉線のC59,C62と言った機関車が集結していました。ということで大正時代も同様に糸崎が重要な拠点だったことがうかがい知れます。

もう一つ中央本線に注目!朝5:45に出る列車は何と飯田町行き。当時、すでに中央本線は東京まで開業していましたが、長距離列車は今の飯田橋駅に近い「飯田町」を起点にしていました。

この冊子はまさに歴史の生き証人。

鉄道公徳當(当)選モットー。当時、すでに「モットー」が外来語として定着していたのが面白い。一方「当選」の意味は今一つ分からない。公募でもしたのかな?

それはともかく「1降り2乗り3発車」とか「押すな、離るな、割込むな」とかもさることながら「お互いに座席を譲り合いましょう」など今の時代にも通じる『標語』が並んでおり90年以上前も今もあまり変わっていない…。

2017年05月27日 20時14分

1922年( 大正11年)4月5日発行 名古屋市内図/奥村栄助・大昌堂

大正11年発行の「名古屋市内図」。

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

全体図も随分今の名古屋市に近づいてきました。

名古屋駅前の電停名は「笹島」。「名古屋駅前」ではありません。

大正11年の8月に名古屋電気鉄道から名古屋市営(名古屋市電気局)になっており、この地図が発行された4月5日時点ではまだ市営にはなっていないもののその表記はなく、地図中の「赤い実線」は『市内電車』との凡例が出ていました。

もう一つトピックなのは、金山にあった東海道本線と中央本線の連絡線。

1918年(大正7年)に開通し、1930年(昭和5年)に廃止された短命な路線ですが、もっともこの線の存在自体を私は最近まで知らず、こうした古い地図に接してから、名古屋の鉄道史を研究している知人に教えを請い、解説を受けて驚いた次第です。とか書いてみたものの「金山」駅も「金山橋」駅も無い時代なので「これはどこですか?」とかなりそうですね。

三角形の左側の線路の合流点が今の「金山」駅です。

2017年05月26日 20時12分

1913年(大正2年) 陸軍特別大演習/新愛知新聞社

今日は地図ではなく絵葉書。新愛知新聞が1913年(大正2年)の陸軍特別大演習に合わせて発行したもの。

名古屋駅前広場(という表現で良いのかな?)に巨大な記念の門が作られています。陸軍の演習に参加した兵士の方たちはこの門を通って演習場に向かったのでしょうか?

2017年05月25日 20時04分

1910年(明治43年)1月20日発行 名古屋市内図/星野松次郎

明治43年発行の「名古屋市内図」。

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

この地図のトピックは幾つかありますが、まず目を引くのが画面左側の囲みにある名古屋港。1907年(明治40年)に開業しており、それもあってか、陸地が広くなっているのが分かります。

1896年(明治29年)に熱田駅も現在の場所に移っていますが、何と駅前まで運河が作られており、当時の水運の状況が分かります。

一方、名古屋駅は広小路通りの西端にありますが、東側の市街地に比べ、西側はまだ開発されていません。

我が笹島の地は「大字平野」の場所。

この地図の裏面には当時の写真もあり、これは2代目の名古屋駅。

名古屋駅から東に向かった広小路。

遥か彼方の時代ですので、懐かしいとかの感想は当然のごとくなく、ただ「へーっ」と思うばかり。

当時の名古屋から各地への距離の一覧もあり、そこでは鉄道よりも海路に目が点。大阪、神戸、横浜に並んで、「篠島」「常滑」「大野」とあるのが当時の海運を象徴していますが、そもそも「神社」ってどこよって調べたら、伊勢の川湊(かわみなと)で「神社(かみやしろ)」港を発見。地図はやっぱり面白い。

2017年05月24日 20時24分

1906年(明治39年)発行 鉄道五千哩祝賀会紀念絵葉書

今日から名古屋(駅)に縁のある絵葉書も紹介します。

五千哩(5000マイル)=8046.72キロ。

日本の鉄道が5000マイルになったことを記念した式典は名古屋で開催されました。

東京ではなく、なぜ名古屋だったのかという理由は私には分かりませんが、楽しい絵葉書が後世に伝えられました。

この絵の模様みたく見えるものは当時、開通していた鉄道会社の社章とのこと。それぞれの色が、そもそも各社の“色”だったのでしょうか?などと興味は尽きません。

その真ん中にある絵は、明治5年、鉄道の歴史がいよいよ始まるとして新橋駅にて行われた記念式典のもので、「新橋横浜間鉄道開業式御臨幸之」とあるので、天皇陛下が列席された様子を描いています。

今も美しい色が残る1枚。距離標には5000Mと書かれていますが、この絵の場所がズバリ5000マイルということではなく富士山を背景にしたイメージ画でしょう。

ところでいつもならキロポストと書くところを、今回は哩(マイル)に敬意を表して距離標と書いてみました。

名古屋城と蒸気機関車。名古屋のシンボルはやはり名古屋城!

絵葉書の表面(宛名面)。スタンプにはしっかり英語表記もあり、明治時代の国際化の一端が垣間見えると言ったら言い過ぎでしょうか?

上の写真はセットなのですが、それとは別に手に入れた鉄道五千哩祝賀紀念の絵葉書。鉄道写真を撮り始めた時に、まさにこの角度で撮影していたと言いたくなるほど私にとって鉄道写真のお手本の様な一枚。というのが私の感想。

2017年05月23日 20時00分

1894年(明治27年)2月9日発行 尋常小学 愛知県地理歴史/沢辺慶作

明治27年発行の「愛知県地理歴史」は小学校の社会科の教科書といったところでしょう。

そこにある「名古屋は熱田の北にあり…」がまさしく当時の“日本国内”における名古屋の地位を如実に物語っています。

「市街縦横に通じ、家並み正しく、商工業頗る(すこぶる)盛(さかん)にして…」とあるのですが、碁盤の目の「名古屋の街並み」は当時から知られていたようです。余談ですが、名古屋の人は道を聞かれると、「そこの交差点を北に…」といったように東西南北で教えたりしますが、これは全国的には珍しい部類です。(東京では「右」「左」です)

大きな2重丸の名古屋と直下の小さな2重丸の「アツタ」を見れば「なるほど、ふむふむ」と相成ります。

個人的には「天パク川」に馴染みがありますが、驚きなのは「アツタ湾」の名前。当時はまだ「名古屋港」が無かったとはいえ、こんな時代があったのですね。

最後に尾張全体の地図。こちらも興味津々。明治から現代までのあまりの変化に驚くばかりです。

2017年05月22日 20時56分

1887年(明治20年)6月15日発行 名古屋明細全図/川瀬善一

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

明治20年発行の名古屋明細全図。

そのエリアを現在のグーグルマップで当てはめるとこんな感じ。今の名古屋市と比べるべくもありません。

明治19年5月1日に「名護屋駅」(明治20年に「名古屋」に改称)が開業しているので、地図には「ステーション」があります。

よく見れば広小路通りが開通しており、他の道路に比べて格段の広さで東西を走っているのが見て取れます。

矢印で「愛知県庁」とした場所が今の栄に当たります。

熱田神宮の近くには蒸気機関車が牽く列車も描かれていますが、その南にあるはずの「熱田駅」がありません。

そこからはるか南の地、今の新堀川の南に当時の「熱田駅」はありました。図の右下に「蒸気船」の絵があるのが分かりますでしょうか?当時、名古屋の水運の玄関口は熱田にあり、その熱田港から近いところに鉄道との荷物の積み替え拠点としての駅を設置することは必然だったようです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!