龍馬ゆかりの旅 ~京都編⑥~

今度、向かったのは
伏見から車でおよそ40分。
龍馬最後の土地、近江屋跡地へ行きました。
 
現在、跡地にはコンビニが建っていて
そのコンビニの端に
『坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地』と
刻まれた石碑が建っているだけでした。
 
龍馬は、この近江屋で
1867年、皮肉にも龍馬32歳の誕生日
11月15日の夜に中岡慎太郎とともに
何者かに暗殺されてしまします。
 
薩長同盟を成立させた後、
大政奉還という形で、無駄な血を流さずに
平和を築こうとしていた龍馬。
 
江戸から明治へと新しい時代の到来を
夢見て奔走していた龍馬は
あと一歩のところで刺客の凶刀に倒れてしまいます。
 
龍馬にとっては、
どれ程無念だった事でしょうか。。
 
偶然にも、私も今32歳。。
そう考えるとその歳までで
現在の日本の礎を築いた龍馬はやはりすごい人物であり
私自身、何か考えさせられる場所となりました。

龍馬ゆかりの旅 ~京都編⑤~

寺田屋を見学した後は
寺田屋の前を流れる
濠川(ほりかわ)沿いを散歩しました。
 
川沿いには柳並木や酒蔵など
歴史的な風情を残していて
とてものんびり楽しめる場所でした。
 
昔は、この川を十石船や三十船が行き来して、
京と大阪を結ぶ主要な
交通手段になっていたんでしょうね。。
 
現在は、観光用として船に乗って
濠川の水上から伏見の町並みを楽しめるようです。
 
私が行ったときは天気がとてもよくて
スッキリとした青空に映えて
本当に綺麗でした。
 
さて、川沿いを散歩した後は
今度は車で北の方に向かいます。
次に行った場所は・・

龍馬ゆかりの旅 ~京都編④~

当時、龍馬が愛用していた
梅の間がありました。
6~7畳位の大きさの部屋です。
 
龍馬の直筆の書や肖像画なども
一緒に展示されてました。
 
龍馬はお龍の知らせで
梅の間に上ってきた捕り方を身構え
高杉晋作からもらった鉄砲で脅かした後
脱出に成功、近くの薩摩屋敷に入り保護された
と言われています。
(柱には鉄砲の弾痕の跡もありました。)
 
龍馬ファンにはこれ以上ないくらい
感動の場所ではないでしょうか。
 
ちょっと座って龍馬の気分を
味わっちゃいました。
 
そして十分見学した後
今度言った場所は・・

龍馬ゆかりの旅 ~京都編③~

龍馬の妻、お龍さんが
入っていたお風呂がありました。
 
寺田屋事件の時に
このお風呂に入っていたお龍が
捕り手に囲まれている事をいち早く察知し
須っ裸のままで龍馬へ危険を知らせました。
 
そのおかげで龍馬はケガはしたものの
命拾いしたと言われています。
 
風呂場は決して広くないし
すきま風が入りそうで
当時はとても寒かったんだろうな~。
 
そして次に2階に上がって行くと・・

龍馬ゆかりの旅 ~京都編①~

まず最初に行ったのは
京都伏見にあります寺田屋です。
酒蔵などの立ち並ぶ雰囲気のいい場所にあります。
 
寺田屋は、幕末の時代から続く船宿です。
船宿とは、現在の鉄道のターミナルなような所で
旅人は必ず船宿に入ってから船に乗る決まりとなっていました。
(昔の交通手段は船くらいしかなかったんですね。)
 
船宿では、旅館も兼ねていて乗客に
食事などもてなしていました。 
龍馬も常連客としてこの寺田屋によく泊まっていたようです。
 
そして、ここで有名なのは『寺田屋事件』です。
坂本龍馬が薩長同盟を成立させた2日後
寺田屋に泊まっていた龍馬が
伏見奉行所(幕府)の捕り方に襲撃された事件です。
(倒幕へ向けてのキーマンとなった龍馬は
 幕府にとって、見逃せない存在だったんですね)
 
ま、歴史の話はその辺にして・・
 
私が着いた時もたくさんの人で賑わっていました。
ここ寺田屋は中にも入れて見学ができますし、
実際に宿泊も出来るんだそうです。
 
ということで、早速中へ入ってみると・・