中京テレビ

2018年01月09日 15時58分

三つ子の魂いつまでも。後悔、先に立つ訳がない。

人には皆、それぞれ癖がある。

盗癖や変わった性癖など、他人には話せない癖を持つ人もいるだろうが、

私にもちゃんと癖がある。

一旦何かに興味を持つと抑えられなくなることがあるという、あまり良い癖ではない。

これは、むしろ癖というよりも「性分」と呼ぶ方が近いと思う。

それは子供の頃から、自分自身認識していたもので

どうなるか分かっていても、最後までやってみないと気が済まない、

はっきり結果を見なきゃ収まらないというものだ。

文房具屋で今でも売られていると思う30センチくらいのプラスチックの透明の定規がある。

隙間のある方を下にしないで線を引くと、インクが広がって大変になるあれ。

小学生のころ私は特に集中力が無かったので、授業中もいつもこっそり何かして遊んでいた。

ある日も、定規を両手でぐにょんぐにょんと曲げて遊んでいたら

限界近いところで真ん中に白い筋がたくさん入ることに気付いた。

ピピン、ピピン、ピピピピ!

どこまでいけるか、まだいけるかとさらに力を加えたら予想通りバキッと折れてしまった。

自分でも、ギリギリで止めれば良いと思うんだが、

でもその時は、どこが本当のギリギリか分からないじゃないか。

定規を折った後で学んだことは「ああ、あそこがギリギリだったか」ということだけ。

折れた定規の破片が顔にあたったり先生にド叱られたりしてもそんなことを繰り返す

本当にバカな子供だった。定規を何本折ったことか。でも同じ経験した人結構いないかな?

 (写真は上山アナウンサー協力)

そんなひろし少年の「性分」は成人しても変わらなかった。

大学時代、競馬場の後ろの空き地で「グリーン○○」という小冊子が売られていた。

ペラペラの小冊子で、

午前中の第3レースまでの出目(レース結果の数字)から

その後のレースの当たりの目が分かるというインチキ臭いものだ。

そこには第4レースからの結果が印字されていて

その本を売っていた、いかにも怪しいおっさんが

自分が取ったという第5レース、7レースの馬券を見せてくれた。

「ほら俺も買ったよ、5レースの配当が大穴で3-8の79200円だよ。

こっちは本命が入って3980円だけどね。」

観客がざわつく中、15000円の「グリーン○○」を私は迷わず、いや迷った末に買った。

家に戻って、早速過去の開催場のデータで試してみたら一つも当たっていなかった。

友人には笑われバカにされた。

考えてみたら、小冊子の予想も、印刷じゃなかったし、

7レースまでの結果を急いでスタンプで押していたんだな。とほほ・・。

 

そんな私の「性分」は、さらにその後も変わらなかった。

今度は30歳の頃、競輪場の横の駐車場で胡散臭い電卓を買ったことがある。

新聞予想のデータをインプットすると、当たりを含んだ予想が3点に絞られるというもの。

いつかどっかで聞いた話のようだと思いながらも、じっとその講釈に耳を傾けた。

 

「良いかい、お父さんも兄ちゃんもよく見てよ。例えば今日のこの第2レースの予想、

新聞良そうだと◎が5番で、○が7番、穴が4番車だ。

この予想の印をここに入れると、ほらコンピューターの予想は

2-4、2-5、4-7の3点に絞られます。

で、結果は何と4-7と入って、ほーら23700円高配当だ!」

そういって彼は自分が買ったという4-7の車券を客に見せびらかした。

彼は続ける。

「3レースは外しちゃったけど、4と5レースもしっかり取ったよほら。」

あれ!まさかこいつ、あの時のあいつじゃないよなと一瞬、錯覚に陥ったくらい似た話。

気を取り直して周囲を見回すと、8000円で売られていたその「コンピューター」に

他の客もうなずきながら興味を示している。

いや、でもどう考えてもインチキだ。

もし本当だったらそんなもの売らずに、当たり車券を独り占めすれば良い。

皆に売ったら配当が下がるくらいのことは分かるだろう。

この車券だって、偽造か全通り買ったうちの1枚の可能性もある。

客だってサクラかもしれない。

いろんなことを考えながらも、我慢できずに俺は言った。

「一台、下さい。」

 

私は、ペラペラの本と機械は違うんだぞと自分に言い聞かせながら

期待がかなり膨らんでいる状況で家に着いた。

犬でいうと、もう尻尾がプルプルと左右に触れて止まらない状態だ。

机に向かって早速試してみた私。答えはすぐに分かった。

今でいう携帯電話の電話帳機能だった。

登録してある名前を呼び出せば、電話番号が出てくるのと同じ。

彼は名前の代わりに新聞予想の印を入れ、

電話番号の代わりに車券の目が3点出てくるようにセットしただけの事だった。

 

己のアホさ加減に呆れながら「やっぱりなあ、何がコンピューターだ。くそっ、あのオヤジ!」

 次の日、きっちり、とっちめてやろうと同じ場所に行ったがオヤジはいるはずがなかった。

因みにあの「コンピューター」はその後しばらく電卓として活躍していました。

 

(写真の電卓はイメージです。隣の佐藤啓アナのデスクから借りたものです。

当時の電卓は笑える程ちゃちな物でした。)

人は反省をしながらも、つい同じことを繰り返してしまうものなのですね。