2015年01月17日 18時18分
阪神・淡路大震災から20年
きょうで、あの震災から20年です。
もう、20年・・・というのが正直な気持ちです。
大学を卒業するまでは、兵庫県神戸市中央区に住んでいました。
もちろん、あの震災のときも。
あの日から、しばらくは電気・ガス・水道のない生活が始まりました。
学校も休みになり、見なれた三宮の街は壊滅状態。
学校の友だちや塾の友だちのなかにも、連絡が取れない子がしばらくはいました。
当時は中学3年生。
2月には、第一志望の受験を控えているなかでの被災。
「いつまでこの生活は続くんやろ」
「受験は大丈夫なんやろか、あかんのちゃうか」
「元通りの生活って、ほんまにできるんかな」
考えれば考えるほど(なんの根拠もないんですが)物事を悪い方へ悪い方へと、一人で考えていました。
ところが、その考えから僕を救い出してくれたのは、
たしかな「情報」です。
「JRの一部区間が復旧し・・・・」
「支援物資が送られて・・・・」
「ボランティアの皆さんが・・・・」
新聞・ラジオ・テレビが伝える報道。
もちろん、中には増え続ける死者数や、倒壊家屋の数など、震災のつらい惨状を伝える情報もありました。
ただ、自分の中に、少しずつ明るさを取り戻してくれたのは、やはりメディアが伝える、一番新しい「情報」だったんです。
「自分が置かれている現状がこうなっている」と認識することが、当時の自分の安心感につながっていったんだと思います。
いま、こうしてこの仕事をしているのも、あの地震があったからなんだと、改めて感じる20年目の1月17日です。