2019年10月10日 22時35分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(6)30.3‰。

足尾線の廃線区間で最急勾配の場所。しかもカーブがきつい。さてこの勾配標を裏から見れば…。

どちらにしてもあり得ないきつさであることは間違いありません。という解説がここではありましたが、勾配そのものの話より、参加者の笑いを誘っていたのは、この勾配標が、この「廃瀬跡を歩こう」が始まってから設置されたとのこと。ここから先は是非、このツアーに参加し、そこで聞いて下さい。

山間(やまあい)の廃線跡を歩く。1987年(昭和62年)、正式に列車が走ることが無くなったこの間藤~足尾本山間。赤さびたレールもさることながらあまりに貧弱なレールに驚きました。軽量級とは言え、C12~DE10が通った道。一見の印象は機関車の入らなかった超ローカルの私鉄線。

向赤倉トンネル。腕木式の信号機が目を惹きます。でもこの信号機は何故「進行」表示なのでしょうか?腕木式信号機は、何も力がかからなければ、羽は横位置、つまり停止表示になります。これは安全上の観点から、当然のことです。

つまりこの信号機は何か、しかけがしてあることになります。

2019年10月09日 17時30分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(5)第二松木川橋梁。

間藤駅を11:30過ぎに出発。松木街道踏切までは一般道を歩きます。

そして第二松木川橋梁からいよいよ廃線跡を歩きます。どうです。この橋を歩いて渡るのです。廃線跡は何度か歩いていますが、これほどの「橋」を歩いて渡ったことは流石にありません。

もっとも歩いたのは側道で、線路の間にある板張りの“通路”を歩くことはありません。

参加者が60名と多いこともあり、3班に分かれた渡ります。怖くはありませんが、足元はなかなか。

続いて渡った小さな橋はこの板の上を歩きます。わたらせ渓谷鐡道で安全確認をしたう上で私たちを案内しているとはいえ、得難い経験。

続いて向間藤トンネルに入るのですが…。

向間藤トンネルの暗さは本物でした。わたらせ渓谷鐡道から事前に懐中電灯は必ずお持ちくださいとの案内はあったものの、ある程度の人数がいればそれなりにトンネル内は明るくなるはずなのですが、前後に少し間隔が開くとご覧の通り。この写真では手前の線路を私が自分の懐中電灯で照らして撮影しています。

2019年10月08日 22時15分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(4)わてつに廃線区間って??

トロッコ車両からの絶景。釧網本線/ノロッコ号、嵯峨野観光鉄道、黒部峡谷鉄道、瀬戸大橋線/アンパンマントロッコ、門司港レトロ緩行線、、、私がこれまで乗ったトロッコ列車のラインナップ。それぞれの路線にそれぞれの風景あり。ここわたらせ渓谷鐡道も絶景の連続です。

間藤駅11:08着。

これからこの先に進みます。

ここで今回の廃線跡巡りの概略を紹介。わたらせ渓谷鐡道のわたらせ渓谷鐡道線は国鉄~JR東日本足尾線を引き継いだ路線であることは、まあここまでは常識の範囲ですね。

かつて、そして今も旅客列車の終点はここ間藤駅で、初めて間藤の地に足を踏み入れた、今を去ること40年以上前の1979年4月7日以来、私はこの先に鉄道線があったことは全く知りませんでした。

事の経緯。今回、たまたまネットで関東の鉄道を調べていて、わたらせ渓谷鐡道のウェブサイトで「廃線跡を歩こう」というツアーを発見した時は、頭の中に?????と疑問符が回りました。わたらせ渓谷鐡道に廃線ってあったっけ?一瞬、何が起きたか分かりませんでした。で、調べました。結果です。間藤駅から先に1.9キロの貨物線が伸びており、その終点が足尾本山駅であることを初めて知りました。今回のツアーでは、その廃線跡の線路を歩くもので、案内の写真も興味をそそり、これはわたらせ渓谷鐡道が私を呼んでいるに違いないとばかりに参加を決意したものです。

参加した感想は、面白かった!に尽きます。これは個人の感想で、万人に保証するものではありませんが、信じても損はしないと断言します。

2019年10月07日 22時38分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(3)トロッコ弁当。

久野知美さん曰く「まばたきをすると見逃してしまう小さな滝」は神戸(ごうど)駅の手前にあります。それにしてもほんの一瞬の出来事。それを逃すまいと車内でユーモアたっぷりの説明が入れるのですが、これを「名所」にしようと思いついた人に拍手!!!パチパチ。

それにしても滝が列車に近すぎて、一番ワイドで撮ってもこれが限界。比較の対象がないのですが、この滝の横幅は1m程度だと思います。ただ高低差は結構あって、上を見上げると首が痛くなる角度になります。

10:25、神戸駅入線。

この駅は10:28発の2分停車ですが、何と立売りがあり、コーヒーなどを売っています。私は帰路にコーヒーを買い増したが、行きは様子見。

わたらせ渓谷鐡道トロッコ名物、草木トンネルのイルミネーション。このトンネルは神戸駅~沢入駅間にあり、全長5242メートル。そこをゆっくり10分ほどかけて走るのですが、このイルミネーションのおかげで飽きることはありません。

何故?って、こうして色が変わるから。実は私に割り当てられていた席は、往路が普通の気動車だった(帰路はトロッコ)のですが、私も含めて多くの方がトロッコに移動されていました。

ちょっと早かったのですが、「夢鉄道 トロッコ弁当」を食す。

地元産の舞茸も入っておいしゅうございました。

それにしても第3話が終わっても「廃線跡」が出てこない。

2019年10月06日 16時25分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(2)子供優先席。

さてこれからが本題です。9月28日(土)、わたらせ渓谷鐡道を訪ねた理由は「足尾銅山観光の見学つき 廃線跡を歩こう」への参加。既に満席なのは承知していたものの駄目元で電話をし、キャンセル待ちをお願いして待つことしばし。運よく参加できることになりました。

で、往路はトロッコわっし―1号に乗車。

開放的なトロッコ列車に乗るには丁度良い30度越えの気温。(この写真を撮影したのは間藤駅です)

桐生駅を9:30に出発し、直ぐの下新田駅を通過したところで左手にJR下新田車両基地を見る。

運転室の右側に注目。

「子供優先席」あり。大人が座るには狭いこともあり流石に遠慮しましたが、あくまでも「後学のため」マスコン、ブレーキハンドルは操作しました。ところで私にとり国鉄足尾線からわたらせ渓谷鐡道になって初の乗車なので新しい発見が幾つもあり、こんな感じで2両編成の車内をあちこち散歩。とても席に座っていられない。

10:05に水沼駅到着。水沼駅温泉センターという施設が併設されています。

水沼駅10:09発の716Dと交換。除草作業が追い付いていない線に入っていく姿はローカル線の典型的な風景。ここわたらせ渓谷鐡道ではない鉄道事業者の方から聞いたのですが、昨今、夏場の除草はとても大変で、特に田畑に近い所では除草剤を撒くのも時期など地元との調整が必要であり、かといって手作業でやるには人手が足りる訳もなく、やれる範囲で粛々と進めるだけですとの事でした。

2019年10月05日 15時38分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(1)桐生のトレインビューホテル。

9月27日(金)、東京での仕事を無事終えて新幹線に乗車。

まずはぐんまちゃんにご挨拶。

この日は予定より30分ほど早い列車の乗れた(上野発20:42、高崎着21:26 あさま629号)ので若干、余裕ももって撮影。高崎からは21:42発の両毛線で桐生着は22:27。

どうでも良いことですが、両毛線の前橋駅、伊勢崎駅って高架になっていたんですね。私の時計は昭和のままで止まっている。(^-^;

朝、泊まったホテルの窓外を見たら、よもやのトレインビュー。何となくそんな気はしていましたが、正直、期待はしていなかっただけに単純に得した気分。時間は6:55。429M、高崎発小山行き。

桐生駅で429Mと交換した426M。(小山発高崎行き)

ふと視線を左に移すと渡良瀬川の鉄橋が見える。そこを通過する426Mを狙ったのですが、何か電車が何本か停まっており、そこは下新田車両基地であると後で判明。

高架線を行くわたらせ渓谷鐡道の単行列車。間藤からの始発列車は7:06に桐生駅に到着。

桐生駅の南口。ここから徒歩直ぐの所にホテルがあったのですが、南口を見るのは多分、初めてのこと。

2019年10月04日 22時45分

大井川鐡道生ビール列車、三等車。

ハロウィン仕様のHIROを横目に、生ビール列車は19:30に出発。それにしてもISO 12800の力は凄い。

日本国内で三等車が現役なのはここ大井川鐡道だけ。そしてその三等車に乗りたい人が全国からやってくる。は、大げさかもしれませんが、少なくとも名古屋から1人は来ています。

三等車の出入口は手動。「走行中に開けてはいけません」これ、常識。もっともそのその昔のラッシュ時は、車内に入れないどころか、この写真に写っている手すりにつかまり、ステップに足を置いて身体は車体の外!なんという経験もある昭和オヤジの私です。

もっとも私が知っているのは電化区間ですが、蒸気機関車が牽く列車で、なおかつ沿線にトンネルがある場合は、軍手が必須だったのではないでしょうか?何故っかって、言うまでもなく、手すりが煤で真っ黒だったからです。

20:44に新金谷駅着。乗継列車は20:50発で金谷駅着20:54。その乗継列車の吊り革はTOKYU!

2015年から運用を開始し、今はもうすっかり大井川鐡道に馴染んだ感ありの東急7200系。
私ではなく、今回のお仲間の乗車券。連絡切符が新金谷駅で発行可能ということもあり、わざわざこれを購入して帰ります。以前から知ってはいるものの私は買った経験なし。

2019年10月03日 22時42分

大井川鐡道生ビール列車、千頭駅。

新金谷駅を18:00に出た生ビール列車は19:13に千頭駅着。早速機回し。

機関車が牽引する列車だけの風景。夜の帳が下りた中、より風情を感じます。

この時間に千頭駅にいるのは生ビール列車の乗客だけ。

車輪をモチーフにした改札の扉。

南アルプスあぷとラインは既にこの日の運転は終了しており、静かに翌日を待っている。

HIROと旧型客車。結構似合っていると思うのだけど如何でしょうか。

2019年10月02日 23時15分

大井川鐡道生ビール列車、オハに机がついた。

大井川鐡道の話題を一週間ぶりに投稿。9月14日の大井川鐡道撮影行は昼の部で、夜の部は「生ビール列車」。毎年とまでは言わないまでも今回で5回目の参加。いつもの幹事さんが毎年頑張って予約してくれており、今年も無事乗車。

E101が牽く客車列車。蒸気機関車が牽く列車はここ大井川鐡道も含め全国にあり、またディーゼル機関車が牽く列車もあります。しかし意外とないのが電気機関車が牽くと分かっていて乗れる列車。そうそうあるものではありません。

ところで生ビール列車名物、千頭駅側に連結されているオハが今年からその席が販売されることになり、「机」が用意されているとは聞いていたものの9月6日のスタート以来、その様子が全くネットに上がってこない。

そして少しだけドキドキしながらオハフ33215に乗車。

座席の販売は1ボックス1人と聞いていたのですが、料理とコップの準備は1ボックスに2つずつあり。まあ妥当な配置でしょうが、これがもしも本当に1ボックスに1人ならば仲間との距離が遠く、ものすごく寂しい生ビール列車になるところでした。ところで机は固定式ではなく簡易な組立式。机と料理・コップの間にあるのは滑り止めでさもありなんでした。

いざ昭和の旅立ち。

旧客の窓越しに旧客を眺め、「乾杯!」をする贅沢な時間。

この方、大井川鐡道をこよなく愛する方の一人で、トーマス号やこの生ビール列車の出発時にホームで見送りをされています。この写真は出発前に撮影させてもらったもので、生ビール列車の出発時はちゃんとホームにおられました。ところで大井川鐡道のきかんしゃトーマス号はもう6年になるんですね。この方がこうした見送りをするきっかけがトーマス号の運転開始だったそうで、月日の流れは早いものです。

2019年10月01日 22時46分

本日から企画展「鉄道の記録 1969–1976 名古屋レール・アーカイブス」スタート!

カメラにおける世界のトップメーカーの一つであるニコン。そのニコンのカメラの歴史を展示する「ニコンミュージアム」が東京・品川にあります。

(住所)東京都港区港南2-15-3 品川インターシティC棟2F

(休館日)日曜日、祝日、および当館の定める日

(入館料)無料

これでもっか!というほどニコンのカメラが並んでいるのは壮観です。これがニコンミュージアムです。

そしてこのミュージアムの中にあるギャラリースペースで、企画展「鉄道の記録 1969–1976 名古屋レール・アーカイブス」が今日から始まりました。

展示パネル数は185枚。ニコンミュージアム史上最多だそうです。タイトルの通り、撮影時期はほぼ昭和40年代。撮影地は南は九州から北は北海道まで全国を網羅しています。また撮影に使われたカメラはニコンミュージアムだけあって全てニコンです。

展示期間は2019年10月1日(火)~12月26日(木)ですのでよろしければ足をお運びください。

ところでNPO法人名古屋レール・アーカイブス(以下、NRA)は、私も会員となっている鉄道に関する資料、写真等を収集し、公開している団体ですが、なぜ名古屋の団体の写真展が東京で行われることになったのでしょう?

ニコンミュージアムさんからの最初のアプローチは、「昭和40年代にニコンのカメラで撮影した鉄道写真はお持ちではないでしょうか?」「点数が揃えばそれで企画展を実施したい」でした。多くの方から写真の寄贈を受けているNRAなので、その時代の写真はあるものの、流石に撮影機材のリストはありません。さてどうしたものかと思ったものの、現役の会員さんに「昭和40年代にニコンのカメラで撮影していた方を大募集」と呼び掛けたところ、ドンピシャの写真が集まり、今回の開催に繋がりました。

おっと、何故「名古屋の団体なの?」ですね。実は法人でこうした活動を行っている団体が、東京にはありません。(趣味の任意団体はあります)

また鉄道系のNPOは他にもありますが、写真と資料収集だけを行っているのはどうもNRAだけのようです。調べが追い付いていない面もあるので、この件は「稲見調べ」とさせて下さい。

ということでこの会場で写真パネルの下に置いてあるこのカメラ、ニコマートFTN。私が使っていたカメラで、高校の入学祝に両親が買ってくれたものです。おかげさまで私の撮影した写真も展示されています。

もっともこの写真展を両親に見てもらえないのが残念でなりません。

※カメラは今回の展示用にニコンの方が整備されており、購入時の輝きが戻っています。(驚&嬉)

(おまけ)

写真はありませんが、この会場では昭和40年代の時刻表等々、全8冊を手にとってご覧いただくことも出来ます。何があるかは会場でのお楽しみ。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!