2020年01月10日 23時27分

台湾の鉄道/旧山線レールバイク(3)勝興站。

勝興站。站=駅と読み替えて下さい。

本来ならば山間(やまあい)の小駅。観光用のレールバイクが無ければこれほど人が集まる場所にはきっとなっていないはず。

駅前には観光客向けのお店が並んでいる。もっとも観光地化される前からこの場所に集落があったとのことで、鉄道が廃線され、住民の方はきっと不便を強いられているはず。公共の交通機関は無いにしても、思わぬ形で人が歩く町になっています。(私の憶測も入っています)

かつてと変わらないはずの駅舎ですが、以前はもっと地味だったかも知れません。何故かと言えば、駅員さんの人形は「禁煙」を呼びかけるものだからです。もっともこの人形と「記念」写真を撮影する方多数。

この勝興站はもと台湾の最高地点の駅です。海抜は402.326メートル。この写真は台北駅方面を望んでいますが、駅を出ると一気に下り勾配となっているのが見てとれます。

線路上はかつては通行禁止だったのが今は一通行OKとなっており、多くの観光客の方が歩いていました。

駅構内には電化された路線であった証も残っていました。

さっき通ってきたトンネルには、観光客が入れないように扉が閉められていましたが、やはり観光客を意識した意匠となっており、本当によく考えられていると感心しました。

2020年01月09日 22時43分

台湾の鉄道/旧山線レールバイク(2)トンネルがワンダーランド。

トンネルを通る。

トンネルの奥が何だか怪しい。

ライトアップ?

しかも色が変わる。だけではなく、、、

沿線の名所などが写し出されている。

そしてトンネルを出たところが終点の勝興站。

大きなハート発見。予想通りレールバイクを降りた方たちでこの後、撮影順番待ちの行列になっていました。

兎に角このレールバイクは大人気なのでそうです。そのため週末は発売直後に即全コース満席。実際には例え当初は満席であっても、当日が近づくとキャンセルがでることもあるそうです。私も11月22日の朝一番のB)コースはキャンセルが出たのに気付いて予約することが出来ました。

ところでこの人気の秘密の一つは、まずレールバイクのデザインが楽しいこと。そしてただ暗いだけのトンネルを楽しい場所に演出している事。まだ半分しか載っていない段階でそんなことを感じました。つまりアトラクションとして成立させているということでしょう。

2020年01月08日 21時38分

台湾の鉄道/旧山線レールバイク(1)出発。

「舊山線鐵道自行車」を日本語訳すると「 旧山線レールバイク」になります。で、それがどこにあるかと言えば1998年に新線に切り替えられた台湾鉄路管理局台中線(山線)三義駅~豊原駅間の旧線区間。その一部区間を使って営業しているレールバイクに乗るのが今回の訪台の2番目の目的です。

さて宿泊した三義駅近くの民宿。この建物の1番手前がそれですが、夜だと通り過ぎそうというのは納得していただけるでしょうか?

朝食。この宿のご主人は民宿ならではと言うか私がこの日行こうとしていた「舊山線鐵道自行車」について質問すると、私が分かるまで丁寧に設営してくれました。by翻訳機経由。

そしてふとテレビを見れば朝の情報番組?で「舊山線鐵道自行車」の放送中。いやあ気分が盛り上がります。

9:30。まずは龍騰站と勝興站間を往復するB路線に乗車。

●「舊山線鐵道自行車」の路線は勝興站~龍騰站~南斷橋秘境(經魚藤坪鐵橋)~6號隧道の約6キロなのですが、全線を通しで乗ることは出来ず、3つのルートに分割されています。

A)勝興站~龍騰站~南斷橋秘境(經魚藤坪鐵橋)

B)龍騰站~勝興站

C)龍騰站~南斷橋秘境(經魚藤坪鐵橋)~6號隧道

なおかつそれぞれ往復乗車がマストな為、全線乗ろうとする場合は、龍騰站を起点にB)とC)を組み合わせることになります。

そのため私がまず乗ったのはB)のコースで、写真は龍騰站です。そしてこのコースの終了後にC)コースに乗りました。

旧線と言っても電化区間でまだポールも残されています。またこのように複線区間もあったりします。ただ見て分かるように結構な勾配区間のため、自転車ではなく電動バイクとなっています。

すれ違い時には手を振りあってエールの交換。

単線区間に入るための信号待ち。もっとも信号ではなく、係員の乗車したバイクが通票替わり。

2020年01月07日 21時35分

台湾の鉄道/淡海軽軌(3)編成写真。

昨日までで淡海軽軌終了と思ったのですが、編成が分かる写真を上げていませんでした。もっとも雨が強くなっており、傘をさしていても撮るのが大変でこれが精一杯。またどこかで走っている所を撮ろうとは思ったものの同じ理由でギブアップ。ホテルにチェックインする前のトランクを持っての移動はそれなりに大変。

で、11月21日は台北泊まりではなく、これから大移動。

台北駅まで戻り、クリスマスツリーをチラッと見て新幹線ホームへ。

目的の駅に停車する新幹線は1時間に1本。17:11発の列車を待つ間に、16:50にして超遅めの昼ご飯。と言っても朝6時に家でトーストを食べ、10時過ぎに機内食を食べているので3食目と言えばその通り。毎度のことながら台湾の駅弁は安くて旨い。

17:57、新幹線を苗栗で下車。俗にネコの鳴き声のような駅名と言う人あり。

台湾高鐵(新幹線)から台灣鐵路管理局(在来線)に乗換え。写真の真ん中の横に一筋の光が在来線の駅。

毎度のことながら高鐵と台灣鐵路管理局で駅名が違うのは違和感あり。まして在来線の「苗栗」駅は乗換駅である豊富駅の隣の駅。

20分少々乗って三義駅下車。

この日の宿は表通りから一筋入った道沿いの民宿。分かってはいたもののあまりに「民家」で、何と宿の前を通り過ぎてしまうという失態を演じてしまった。

2020年01月06日 21時18分

台湾の鉄道/淡海軽軌(2)パブリックアートが素敵。

淡海軽軌に乗車するにはまず台北駅から台北MRTの淡水信義線淡水行きに乗り、紅樹林駅下車します。通常であれば34分で到着です。

ホームに降り立てばそこには淡海軽軌の案内がありますから、あとはそれに従って歩くだけ。

ホームの高さが極端に低いのを除けば一般の鉄道と同じ感じ。

ホームにオブジェがあるのは台湾ではたまに見かけますが、路面電車スタイルの鉄道では初めてだと思います。

恐らく何かこの場所に縁のあるものだと思うのですが、違っているかもしれません。

折り返し14:30発の電車の到着。今時のLRV/Light Rail Vehicle – 軽量軌道用の車両らしいスタイル。

暫くはこうした高架線を走ります。

淡水行政中心駅を出て地上に降ります。

24分で終点の崁頂駅に到着。ローマ字ではKandingなので、カンディンとでも読めば良いのでしょうか?

日本風に言えば路面電車の電停ですが、それで済ますのは少し勿体ない感じ。

ホームにはやはりオブジェあり。

※ウェブサイト「フォーカス台湾」によれば、このオブジェ(パブリックアート)は、台湾の人気絵本作家のジミー(幾米)さんが手掛けているとのこと。鉄道に興味がない方もアート巡りをされては如何でしょう。私からの提案です。

2020年01月05日 23時57分

台湾の鉄道/淡海軽軌(1)5泊6日ののんびり鉄旅。

昨年の11月21日から26日までは台湾にいました。タイ同様、自主企画のイベントを計画された方がおられ、それに乗っかって行くことにしたのですが、5泊6日と長丁場となったのには理由あり。

ところでもう忘れられた存在ではありそうですが、出発の翌日、22日から名古屋でG20の会合があり、その関係で中部国際空港はなかなかの警備体制。

まず名鉄の駅を降りたところから、航空旅客(搭乗客/搭乗券等の提示必要)、一般来港者、空港スタッフの3つの通路に振り分けられます。それぞれ検査の様なことを実施するようになっているのですが、これがまた緩い。海外でそれなりに「検査」経験はあるのですが、私からみてどれほど真剣にやっていたかに疑問符が付くほど。

日本の空港での保安検査の緩さは定評はありますが、少しは海外を見習っても良いと思う点も多々あります。

さて今回の台湾旅行は日本航空を選びました。9回目の台湾旅行で多分3回目かな?

そしてこの選択が5泊6日になった理由。実はJALのマイレージで期限切れ寸前があり、一方でJAL便を利用する場合、必要なマイル数は変動制となっており、以前なら楽々往復できたところがそうは行かず、今回の場合11月21日出発、11月26日帰国ならば使えることがわかって旅行日程をそれに合わせることにしたのです。

ただ勤労感謝の日を挟んでいる関係からかLCCを含め安いチケットが見つからなかったことも、この日程を選択した理由ではあります。

キャリアの路線だけあって、機内食にアルコール類が無償で提供されるのは、単純に嬉しい。

台湾/桃園空港に到着して真っすぐに向かったのは、丁度1年前の2018年12月に開業した新北捷運 淡海軽軌。特に下調べをぜずに出かけたのですが、路面電車の部類の電車が走る路線なのに始発駅の紅樹林駅は何と高架で、まずはいきなり驚かされました。

2020年01月04日 21時43分

2本のレールがあれば…。

那覇市の北にある北谷町。そこにある北谷公園サンセットビーチはその名の通り、東シナ海に沈む夕日の美しさから、泳ぐことのできない冬場でも、観光客がビーチに集まってきます。

北谷公園サンセットビーチに隣接するリゾートエリア/アメリカンビレッジ。

まずエリアの入り口で目につく蒸気機関車風のオブジェ。と、その前にこの時期にあってこのクリスマス感は何???聞いた話では大体11月から2月頃までこのクリスマス装飾をしているそうです。

アメリカンビレッジの奥のエリアに入っていくと2本のレールあり。

レールを辿って歩いて行く。が、その先に車両がある訳ではなく…。

可愛いクリスマス装飾の機関車あり。右側の赤色で塗りつぶしているのは、記念写真を撮影中の方。

機関車のオブジェだけではなく、ここのクリスマス装飾は相当に気合が入っており、クリスマスのテーマパーク的な要素も感じます。まあそれはさておき2本のレールがあり、鉄道に関係がありそうなものを何か見つけると取り敢えず撮影。こんな習性は今年も続きます。

※ここのクリスマス装飾…スタッフも参加しての研修で、クリスマスの本場であるヨーロッパに出かけて勉強もしているそうです。完成度の高さには納得です。

2020年01月03日 18時05分

ゆいレールの乗車券はQRコード付き。

ゆいレールの乗車券。右の部分に一般的には馴染みがあって、乗車券では馴染みのないQRコードがあります。

乗車時、降車時にはこうして自動改札の読取機にかざすことになります。日本でココだけという訳ではないのですがQRコードでの乗車はやはり慣れません。

その代わりと言っては何ですが、自動改札機に吸い込まれませんので乗車券は手元に残ることとなり、乗り鉄の記録としては、駅員さんに「乗車の記念に切符を下さい」と頼む必要はありません。

ところで今日はモノレールの分岐器の動きを紹介。てだこ浦西駅にて撮影。

ただの暇人の仕業。

でも見ていると面白いですよ。

完成!と言いたくなります。

電車の到着!

2020年01月02日 22時18分

軽便与那原駅舎。

2014年4月、かつて沖縄を走っていた沖縄県営鉄道与那原線の与那原駅が復元されました。

今回の沖縄訪問のもう一つの目的がこの駅舎を訪ねること。

この写真は2013年11月7日、沖縄県営鉄道の廃線跡を歩いていた時に撮影したもの。かつての与那原駅付近と信じて撮影したのですが、まあ良い線はいってはいたものの、駅の方向はこの撮影ポイントの反対向きでした。残念。

農協の建物が目印とは購入した資料にあり、それらしき建物はあったのですが、自信が持てませんでした。

駅の裏側。建物の手前に9本あるコンクリの柱の根本部分は、かつて(戦前まで)の駅舎で使われていたもの。少し説明するともともとコンクリ製の駅舎があり、第2次世界大戦でそれは破壊されたものの、残った壁と柱を使って建物は再建され、役場やJAとして使用されました。そして今回の駅舎の復元にあたり、かつての歴史を保全する意味でこれを残すことになったそうです。

駅の玄関から中を覗いたらなにやら意味ありげな像あり。年末年始は休館だとは承知していたもののちょっと残念。

前回の訪問では、タッチの差で間に合わなかった駅舎の復元。宿題を一つクリアした気分。

(参考)

沖縄県営鉄道与那原線…1914年(大正3年)12月1日、那覇~与那原間開業。

1945年(昭和20年)3月 運行を停止。

2020年01月01日 22時14分

あけましておめでとうございます。今年最初の鉄活はゆいレール。

皆さん、明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

ところで私は名古屋とは比べようもなく暖かい沖縄で年越しをし、今こうしてのんびりとブログを更新しています。

ということで何故沖縄か?

今年最初の鉄活は、昨年10月1日に延伸開業した沖縄都市モノレール/ゆいレールの首里~てだこ浦西間の乗車。

※首里駅近くで撮影。

那覇空港~首里間は2004年(平成16年)5月15日に乗っており、今回は既乗区間は乗らず、新規開業区間だけの乗車です。

※写真は首里駅。

14:27、首里駅発てだこ浦西行きに乗車。

首里城を背景に電車の到着。

※ガラス越しでの撮影のため、一部反射の写り込みあり。

10分乗っててだこ浦西駅着。

駅前はまだガランとした感じ。これにて今回の沖縄訪問の第一目的達成。

いつかは来なければならない沖縄。そして乗らねばならないゆいレール。思いのほか早い段階で乗ることが出来、日本の鉄道完乗は継続中となりました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!