2020年03月11日 22時50分

東日本大震災を忘れない。繋がること。

東日本大震災から今日で9年の歳月が流れました。

東日本大震災後に、初めて訪れた三陸鉄道北リアス線。2014年5月31日のこと。ここは陸中野田間~十府ヶ浦海岸駅間。線路の道床の色の違いは、そこからが復旧工事により、繋がった証です。

大幅な付け替え工事が行われた仙石線野蒜駅は2016年2月19日に訪れました。

石巻線女川駅。高台に移転して復旧を果たしました。上の写真と同日での訪問です。

2013年9月28日の女川の街。震災から2年経ってなお、これが女川の現実でした。

私がその裁判の行方を注目していた石巻市の大川小学校。この地でご遺族の方から聞いた避難の経緯、そして市役所の職員も原告団におられ、苦渋の判断を迫られながら、それでも訴えなければ真実は明らかにならないと振り絞るように発した言葉を私は一生忘れません。

この地をはじめ2013年9月27日は、宮城県内の被災地を回り、津波に襲われながら九死に一生を得た方の体験談を聞いたり、仮設住宅で実際にそこで暮らす方からの話も聞きました。

宮城県南三陸町防災対策庁舎。住所は 宮城県本吉郡南三陸町志津川塩入77。ここに防災対策庁舎を建設することは、すんなり決まったわけではなく、町議会では「塩入」の地名のある場所、かつ標高の低い地に作ることは反対もあったそうです。

忘れない。これは大切なこと。そしてもう一つ私たちに出来ることは被災地と繋がること。久慈を起点に、太平洋岸をまずは仙台まで鉄路とバスで繋げてみようと思っている。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!