2020年04月26日 21時00分
不要不急という言葉ですが、鉄道の歴史に興味を持つ人間にとって遠い存在ではありません。
第二次世界大戦中、鉄道省(後の国鉄)であったり民営鉄道において、かなり多くの路線が「不要不急線」ということで休止され、他線への転用であったり金属供出のため線路が剥がされました。
この写真は紀勢本線(1959年以前は参宮線)阿漕駅から高茶屋駅方面を撮影したものですが、この阿漕~高茶屋間は戦争前は複線だったのが、不要不急線ということで単線化されました。
その後、複線に戻されることはなく今も単線のままですが、この区間が複線だった言う事は、鉄道の歴史に詳しい方に教えられ、その時は随分驚いたものです。
もっとも調べてみれば戦前の参宮線はかなりの区間が複線で、それだけ乗客が多かったということでしょうし、一方で戦争の激化で複線区間の「不要不急線」としての単線化は止むを得ない状況だったのはきっとその通りなのでしょう。
参考までに「Wikipedia」に記載の不要不急線の類型は下記のとおりです。
1)輸送量が小さく、撤去されても軍事輸送上影響の少ない路線
2)観光輸送などが主力の路線であり、軍事上重要度の低い路線
3)近接して並行路線があり、代替輸送が可能な路線
4)過剰設備となった複線の1線撤去による単線化
線路の配置を改めて見れば、成程かつて複線だったのかと得心が行きます。
この「不要不急」という言葉について、知人からその言葉がもとは鉄道用語という説があると聞き、今回ここに書いたのですが、戦時の不要不急線はかなりの路線がそのまま休止~廃止となっただけではなく、復活した路線もその後、廃止されたケースが多く見られます。
つまりそれが不要不急というものの実態なのでしょうが、今、自分自身の行動においての不要不急は何なのかが問われているのかも知れません。