2020年04月04日 22時56分

加悦(かや)SL広場(1)昭和51 年8月21日の加悦鉄道。

加悦鉄道。国鉄宮津線(現在の京都丹後鉄道宮豊線)丹後山田駅(現在の与謝野駅/よさのえき)と5.7キロ離れた加悦駅を結んでいた鉄道。1926年(大正15年)の開業で1985年(昭和60年)に廃止されました。

1976年(昭和51年)8月21日、能天気な大学4年生は加悦鉄道に乗りに行っていました。

国鉄キハ08形/キハ40は客車を気動車に改造した車両。昭和46年(1971年)に加悦鉄道にやってきました。丹後山田駅発11:35に乗車。

加悦駅着11:52。

今改めて見て思うのは、昭和51年であってもこれほど時代がかった風景はそうは無かったはず、という事。

当時、駅構内には蒸気機関車が保存されていたのですが、若かりし頃の私は全くそれに気が無く、折角の蒸気機関車を撮影した写真はこれ一枚。んーっ、残念。

ところで何故今になって加悦鉄道かっていうと、先月31日をもって加悦鉄道の名残である「加悦SL広場」が閉園したことによります。

2020年04月02日 22時55分

北丹鉄道の廃線跡トンネル。

大阪市と京都府宮津市を結ぶ国道176号線。その道路を福知山から京都丹後鉄道宮福線に寄り添うように北上し、宮福線下天津(しもあまづ)駅を過ぎて直ぐの場所。

トンネルが見えますがこれが北丹鉄道の廃線跡。

ここは2つのトンネルが連続しており、こうして先が見通せます。

ところでこのトンネルですが、実際に歩いてみて感じたのは随分小さい(高さが低い)なあということ。いくら1923年(大正12年)9月22日開業で、鉄道車両が小さかった可能性はあるもののそれだけでは説明がつかないというのが私たちの感想。恐らくですが、廃線後にここを道路にした際、線路面を道路にせず嵩上げして舗装したと考えると、合点がいくよねとなりましたが、さて真相や如何に?

さて1枚目の写真に戻ります。そこにあった案内看板。

「元伊勢」という地名?場所?もさることながら、内宮(ないくう)、外宮(げぐう)まであります。本家との違いは、三重県伊勢市では外宮=「げくう」であり、どうやらここ京都府福知山市では外宮=「げぐう」と読み方が違うようです。

2020年04月01日 20時42分

北丹鉄道を知っていますか?

京都府福知山市にある今も昔も鉄道の要衝、福知山駅。そこから京都丹後鉄道宮福線が京都府宮津市に向けて分岐します。

福知山駅からその宮福線の途中にある「大江駅」の近くまで、かつて北丹鉄道(ほくたんてつどう)という鉄道が走っていました。

3月1日の京都駅。その頃はまだ鉄道を求めて出かけることが出来ました。ここで全員集合。バスでまず向かったのは1971年(昭和46年)に休止、その後廃止された北丹鉄道の廃線跡巡り。

福知山駅から北へ1キロ少々。かつての北丹鉄道の本社があった場所。

そこには福知山西駅という駅があったからだと思うのですが、今は「西駅公園」という名の場所です。

滑り台もある公園に集う大きなお友達たち。んっ、奥にいるのは蒸気機関車?

2号機関車。1923年(大正12年)9月の開業に際して作られた機関車なのですが、何とこの機関車は実物大のレプリカ。

どこからどうみても本物にしか見えません。

強いて言うならばこの銘板の美しさがレプリカの象徴。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!