2020年05月04日 23時45分

いえてつ!「いい旅チャレンジ20,000km」と出会う。

私は乗り鉄です。もともとはどこかに出かけるのが好きな子供でした。その後、大学生になり全国を旅しました。さていよいよ大学を卒業する段になり、改めて時刻表の路線図を見てみれば、全国津々浦々結構乗っていることに気づき、だったら日本中の鉄道路線を乗ってみようと決意したのは、就職直前の2月に入ってからでした。それは昭和52年のことで、乗り鉄のバイブルとも言える宮脇俊三さんが書かれた『時刻表2万キロ』(昭和53年刊)が世に出る前でかつ『いい旅チャレンジ20,000km』キャンペーンが始まったのが1980年(昭和55年)ですから時代を先取りしていたのかもしれません。

私の乗り鉄で一番残念なのは、そもそも全路線を乗ろうと思って旅をしていたわけではないので、『いい旅チャレンジ20,000km』のようなルールを自分に課していなかったこと。駅名標と自分が一緒に写るどころか、駅舎の写真も、ホームに停車中の列車の写真もほぼなし。あるのは私がつけていた乗車列車に関する記録ノートのみ。まあ趣味の世界なのでそこに嘘やごまかしは無いとはいえ、時計は逆には回ってくれません。

ところで全線完乗を達成したのは1980年(昭和55年)8月24日。キャンペーンの完乗ルールが発表されてからということもあり、それ故上記の「残念」に繋がるのでした。

さて今日は「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンのテーマソングのレコードを見つけたので、本格的な乗り鉄になったきっかけを書いてみました。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!