2020年05月11日 20時52分

豊橋鉄道と大井川鐡道。

豊橋鉄道の夏の風物詩、ビール電車。その電車の運行を今夏はしないという発表が出ました。

流石に現在の状況では致し方ないですね。何せ車内は間違いなく3密だからですが、今は未来に目を向けて、呑み仲間の皆さん、いつかまたお会いしましょう。

一方こちらは大井川鐡道。今月一杯、朝の3本の列車を除き、終日バスでの代行運転となりました。しかも昼間はそのバスも運転されないという極端な運転形態となります。

かつて岐阜県を走っていた北恵那鉄道はその末期、廃線までの数年間、昼間の運行をバス代行としていましたが、新型コロナウイルスの影響はそれよりも更に深刻であることは間違いありません。

私にとってこれまでの鉄道は主には趣味の対象でしたが、今は存続をかけ、各社が行っている施策から目が離せない状況です。公共交通が風前の灯となっているエリアは限りなくあります。特に民営のバス会社の経営の厳しさは察するに余りあります。

2020年05月09日 19時59分

うちで鉄活 三陸鉄道

三陸鉄道。

旧JR山田線の宮古~釜石間が昨年3月に三陸鉄道リアス線として復活した時に、早々に乗りに行こうと思っていたもののなかなかチャンスに恵まれませんでした。

そこに今回の新型コロナウイルスの発生があり、いつ行けるかは全く分からない状況となっています。

そこでうちで出来る細やかな三鉄乗車気分。

夏に向けてサイダーのセット。

生きていればきっと三鉄に行ける日が来る。

2020年05月08日 22時27分

マッチのラベル。

今は昔。

かつては広告媒体としてマッチのラベルが使われていました。

例えば喫茶店などではマッチはほぼ置いてあり、その箱は概ねそのお店のオリジナルデザインでした。企業においてもそれは同様で、中京テレビでもかつてはそうしたマッチがありました。で、ここまで書くと「どうしてこんなにマッチが世間にあったのですか?」という声が聞こえてきそうです。その答は喫煙者がとても多かったということになるのですが、今と違って、全国どこでもいつでもタバコが吸える時代があったのです。

名鉄の広告。

名古屋市営地下鉄東山線の栄町~池下が開通したのは、1960年(昭和35年)のこと。

生命保険会社のマッチ。写真のぼかしの部分は個人名が書いてあり、保健勧誘時に「担当者名」を覚えてもらうためのツールの一つであったことは容易に想像がつきます。

2020年05月07日 22時31分

うちわ/団扇の乗車券。

いえてつ!=発見の日々。

かつて岡山県を走っていた同和鉱業片上鉄道の乗車券。記念乗車券とはいえ「うちわスタイル」はかなり珍しいはず。参考までに私が知っている「うちわスタイル」はこれだけです。ひょっとするとオンリーワン。

乗車券面もユニークですね。

この同和鉱業片上鉄道は、『片上鉄道保存会』の手で保存活動が行われています。もしその会がこの乗車券を所蔵していないならば、いつかは寄贈をしたいと考えています。

2020年05月06日 23時23分

駅のスタンプをスキャンしました。

私は駅のスタンプをかつては積極的に押していました。もっともそれも20代の頃までで、熱心に押さなくなって早40年近くが経過しています。

そのスタンプはご覧のようにアルバムに整理して貼ってあり、今回、これを初めてスキャンしました。いえてつ!の一環です。

1972年3月に出かけた大糸線の旅。18歳の春。ではなく、浪人が決まった春でした。それはさておき「DISCOVER JAPAN」が懐かしいですね。

こんな写真を撮りつつ大糸線をいったり来たりしながらスタンプを押していました。

2020年05月04日 23時45分

いえてつ!「いい旅チャレンジ20,000km」と出会う。

私は乗り鉄です。もともとはどこかに出かけるのが好きな子供でした。その後、大学生になり全国を旅しました。さていよいよ大学を卒業する段になり、改めて時刻表の路線図を見てみれば、全国津々浦々結構乗っていることに気づき、だったら日本中の鉄道路線を乗ってみようと決意したのは、就職直前の2月に入ってからでした。それは昭和52年のことで、乗り鉄のバイブルとも言える宮脇俊三さんが書かれた『時刻表2万キロ』(昭和53年刊)が世に出る前でかつ『いい旅チャレンジ20,000km』キャンペーンが始まったのが1980年(昭和55年)ですから時代を先取りしていたのかもしれません。

私の乗り鉄で一番残念なのは、そもそも全路線を乗ろうと思って旅をしていたわけではないので、『いい旅チャレンジ20,000km』のようなルールを自分に課していなかったこと。駅名標と自分が一緒に写るどころか、駅舎の写真も、ホームに停車中の列車の写真もほぼなし。あるのは私がつけていた乗車列車に関する記録ノートのみ。まあ趣味の世界なのでそこに嘘やごまかしは無いとはいえ、時計は逆には回ってくれません。

ところで全線完乗を達成したのは1980年(昭和55年)8月24日。キャンペーンの完乗ルールが発表されてからということもあり、それ故上記の「残念」に繋がるのでした。

さて今日は「いい旅チャレンジ20,000km」キャンペーンのテーマソングのレコードを見つけたので、本格的な乗り鉄になったきっかけを書いてみました。

2020年05月02日 22時46分

銚子電気鉄道。

本夕、荷物が到着。発送者は銚子電気鉄道。

内容はぬれ煎餅他。

銚子電鉄は鉄道部門の収入の8割以上が定期外旅客。つまり観光客。

ゴールデンウィークは、本来その定期外旅客の稼ぎ時なのですが、今年はその収入はありません。ささやかですが私に出来る銚子電鉄支援。

2020年05月02日 0時06分

いえてつ!乗車券と入場券を整理していたら新十津川駅を発見。

1974年(昭和49年)2月8日から25日まで北海道を旅していました。何でよりによって夏ではなく冬に行ったかと言えば、特段の考えがあったわけではなく、氷点下二桁の世界を体験したいとか流氷が見たいとか理由は多少あったりしたもののそれは取るに足らないものでした。

その後社会人となり、仕事やプライベートで渡道するようになって思ったことは、冬の北海道はどこに行っても白一色で、景色の代わり映えがしないこと夥しいと言うことでした。もっとも白い世界を2週間以上旅することは、時間にゆとりのある大学生ならではであって、冬の北海道では列車の運休や遅延は日常茶飯事だったのでまあ良い体験をしたとも言えます。

当時流行っていた途中下車印集め。その右下の方に…。

ありました。廃止された「新十津川」駅の途中下車印。この駅は1986年(昭和61年)に無人化されていますが、昭和49年当時は「乗り鉄」趣味が一般的ではなく、そもそも私自身が乗り鉄を始める前なのですが、この駅で下車したほんの数人の内、明らかに鉄道趣味者と覚しき人は私だけでした。

●札幌駅発13:08 627D 新十津川駅着15:34

駅員さんがいるということは入場券あり。「0367」の数字は裏面にある発行No.です。

この日、この後は駅近くを通る路線バスで滝川駅に抜けています。

●新十津川駅近くの橋本町発15:58 滝川駅前着16:13(国鉄バス沼田線)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!