2020年06月25日 22時48分
本日も地図の話です。
明治11年(1878年) 発行「名古屋 熱田全図」。名古屋と熱田の間の文字は解読不能。名古屋の古い地図です。今で言う「名古屋城」「名古屋駅~栄界隈」「栄~熱田神宮」が当時の名古屋市で、それ以外は恐らく田園風景が広がっていたはずです。
驚きは、発行人の名前にある「士族」「平民」の文字。江戸時代までの身分制度は、維新から10年経ってもまだ残っていたのですね。
6月17日にUPした『「日本旅行便覧」を紐解く。』で書いた熱田から四日市の航路の続き。
東海道53次の宮の宿から伊勢方面に船便があり、伊勢国桑名までが7里(約28キロ)、そして四日市までは10里(約40キロ)と書かれています。どうも熱田(宮)と結ぶ航路は桑名というイメージがあったのですが、どうもそれは単なる思い込みだったようです。