2020年06月17日 17時17分

「日本旅行便覧」での発見。

1895年( 明治28年10月2 日発行の「日本旅行便覧」(発行:文昌堂)。読んでみればいろいろ面白い発見あり。

要するに旅の持ち物。初めて旅に出る人への参考資料でしょうか?肌着や寝間着を持って行くようにとか、梅干は宿屋で買いましょうとか考えようによっては、海外旅行に出かける人が多くなり始めた頃のガイドブックに書いてあった内容とでもいいましょうか。

ということで明治28年の旅行ガイドには「海外渡航手続」の項目もありました。

何せ日本語が難しいので、詳細は省略するとして、私が引っかかったのは「美濃紙」。行政に提出する証明は「美濃紙」限定だったようです。

一方こちらは当時の鉄道事情。全国の鉄道は私鉄が中心となって敷設されていたことが分かりますが、それぞれの鉄道会社がどことどこを結んでいたのかパっと見では分からない。

特に未成線の多いこちらのブロックでは、ネットで調べても???の連続。以外なところに明治のこの時代に鉄道を作ろうとした先人たちの気概にただただ驚くのみ。

皆さんも一度、各鉄道会社の名前を検索してみて下さい。

2020年06月17日 0時03分

「日本旅行便覧」を紐解く。

1895年( 明治28年10月2 日発行の「日本旅行便覧」(発行:文昌堂)。表題からすると今で言う旅行ガイドブックの原点とも言える本だと思って買ったのですが、内容は少々想像と異なっていました。

まず最上段は「東海道53次」の宿場町の名前。その下に東海道本線の駅名。これが一対の対比となっており、下段に各町の概要と観光案内があります。確かに「旅行」案内はあるもののやはり物足りない感ありです。

こちらは名古屋界隈の巻。「宮」の宿では「是ヨリ伊勢へ航路アリ」との表記あり。鉄道開通以前は「宮」~「桑名」に航路があったのですが、さすがに東海道本線開業後だけあってそれは無く、その代わりなのか「伊勢」(方面)への航路が案内されているようです。もっとも「桑名」も伊勢と言えば伊勢なのですが、多分、ここでは「桑名」のことでは無かろうと判断。

街道と鉄道のブロックが終わると続いて航路のブロック。

「仝(どう)」は「同じ」と同じ意味のようですので、そうすると右側は越前(今の福井県)から北陸、東北、北海道を結ぶ航路の運賃表。

一方左は「四日市」~「横浜」間の航路の時刻表。更にその左側には「四日市」~「熱田」(名古屋市熱田区)の航路が掲載されており、これが熱田から伊勢への航路のことなのでしょう。鉄道史と言うより交通史の勉強をしている気分です。

2020年06月15日 23時26分

「日本旅行便覧」をスキャンしました。

1895年( 明治28年10月2 日発行の「日本旅行便覧」(発行:文昌堂)をスキャンしました。

明治時代のその当時の旅行事情が読み取れる1冊です。

奥付を見るとこの出版社は何と名古屋の会社。まあ私はこの地元「名古屋」という言葉にからきし弱い。

ところで表紙をめくるとそこには江戸時代かと思う旅人の姿と、文明開化の象徴たる蒸気機関車の姿あり。

2020年06月13日 21時33分

加悦(かや)SL広場(6)デッキ付きの気動車。

独断と偏見ですが、非電化のローカル私鉄の典型だと思っているのがデッキ付きの気動車。

加悦SL広場にいたのはこのキハ101。

キハ101より一回り大きいキハユニ51。

「キハユニ」ということで「ユ」がついていますので郵便物を扱う場所が車内にあります。鉄道で郵便が運ばれていた現役時代を知っている人はすでに限られた存在ですが、鉄道が日本の郵便輸送を支え、それが大都市間だけではなく、地方まで及んでいたのはまごう事なき事実です。ただこの郵便室は1993年(平成5年)の復元で、それは少し残念ではあるものの、それでこの車両の価値が下がるものではありません。

ところでここ加悦SL広場は閉園となったあとの情報が出てきません。一部車両について地元与謝野町での保存話も出ていましたがどうなったのでしょう。コロナ禍が少し落ち着けば情報も出てくるでしょうからそれをしばし待つことにしています。

2020年06月12日 22時47分

父の日のプレゼント。

父の日を前に娘からのプレゼントが到着。

蚊遣り豚 (かやりぶた) ならぬ蚊遣りD51。

DGO-1をデゴイチと呼ばせるというか呼んで欲しいのでしょうね。

秀逸なのは煙突から煙が出ること。

力強さや迫力は望むべくもないのですが、雰囲気は伝わってきます。

よく考えた品だと思うのと、何よりこれを見つけてくれた娘に感謝です。

2020年06月11日 22時22分

加悦(かや)SL広場(5)キハ08 3。

特徴のある個性的な古典機が並んでいた加悦SL広場。その中で私のお気に入りはこのキハ08 2。

客車改造気動車。その独特のフォルム/形状は気動車らしくなく客車そのもの。

いろいろな角度から撮影してみる。

これはちょっと狙いすぎました。

2020年06月10日 23時09分

加悦(かや)SL広場(4)令和2 年2月29日の加悦鉄道。

今年の2月29日(土)。この頃は鉄活に出かけていました。

今日は4月4日にUPした「加悦(かや)SL広場(1)昭和51 年8月21日の加悦鉄道。」の続きです。

加悦SL広場が3月31日をもって閉園と言うことでやってきたのですが、新型コロナウィルスの影響で出かける人は既に減っていた時期で、想像していたよりも少ない人出でした。もっとも何事も無ければこれほどがらんとした写真は撮れなかったでしょう。

加悦SL広場は、名古屋からだけではなく、関西圏に住んでいる方にとっても決して交通の便が良い場所ではありませんでした。それでも展示車両は鉄道愛好家の心の琴線に触れるものがあり、この日の行動は関東地方から来た方を中心にした30名の団体に混ぜてもらっていたのですが、私を含め皆さん閉園を前に見納めに来られた方たちでした。

ここにどんな車両がいたかなどの解説はこのブログでは抜きにして、今は見られない風景の余韻に浸って下さい。

2020年06月07日 23時37分

1976年度版 名古屋鉄道配線図集。

NPO法人名古屋レール・アーカイブスの所蔵品から今日は表題の「1976年度版 名古屋鉄道配線図集」を紹介。

見たとおり、販売物ではなく私家版です。(そう言えば「私家版」って言葉を最近、聞かないですね)

その当時の名鉄神宮前駅の配線。今との違いは一目瞭然。しかも常滑線ホームは6両編成対応だった記憶です。

改めてこの一冊を読んでみて、四十有余年の月日の流れの長さに驚きます。

※配線図は書店で買える本として登場したのは、私の記憶では平成に入ってからで、昭和51年当時に、こつこつと調べ歩いた人がいるのが驚きです。ところでこれは「本物の配線図」ですが、妄想鉄道マニアの方にとって、架空の鉄道でこうした配線図を想像して書くのは楽しいそうです。「うっ!」それは中学生時代の私かも知れません。

2020年06月05日 22時48分

三陸鉄道の「さんてつサイダー」。

5月9日にこのブログで紹介しました「さんてつサイダー」。

今日も暑かった!ということでキンキンに冷えたサイダーの栓を抜きました。

気分はさんてつカフェ。

2020年06月04日 21時48分

モノクロ写真のカラー化

最近はモノクロ写真をカラー化するソフトがあります。かつてはそんなことは思いもよらなかったのですが、それが今ではネットで無償でできたりする訳でして時代の進化には目を見張るものがあります。

1974年3月撮影のモノクロ写真。名古屋市電の終焉を前に、私には珍しく「撮り」に行っていました。

有償で購入した画像加工ソフトを使ってのカラー化。

まるで最初からカラーで撮影したような感じ。思ったよりも夕方の雰囲気が出ていました。優美さも醸し出していると言ったら、、、それはさすがに大仰ですね。

またその内に遊んでみよう。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!