2020年08月09日 22時32分

1974年(昭和49年)3月31日。名古屋市電の終焉。

大学1年生の春休み。アルバイトと旅行に明け暮れる中、この日の直前に実家に戻りました。

61号系統の南の終点、名古屋市港区の昭和町電停。文字通りの最終電車は「市大病院」行きでした。

大江町電停。真っ直ぐ行けば熱田神宮前方面となりますが、同年の2月16日に廃止となっており、一見現役の路線に見えますが、全廃より一足先に電車が走らなくなっていました。

当時、実家のあった桜本町一丁目電停で下車。高校に通っていた頃は、ここから毎日乗って市大病院に向かっていた(そこからバスに乗り換え)のですが、最終日は何と、市大病院行きから降りるという幕切れ。何せ市大病院まで乗っていっても戻ってくる電車はなく、それはそれとしてもバスで帰って来るという発想はありませんでした。今なら間違いなく最終電車の終点まで乗ったいったことでしょう。

葬式鉄と言う言葉はなく、この最終電車も混んではいても乗り切れないほどではなく、なんとも平和な時代でした。

最終日の最終電車の運行表。何故にこれがあるかと言えば、最終電車の運転士さんからもらった記憶あり。一番前に陣取っていたら「市電が好きか?」と聞かれ、「毎日、市電で学校に通っていました」と答えたら、「やるよ」と言われてもらったような、、、。

名古屋市交通局にこれが残っているかどうかは不明ですが、私にとってはとても大切な宝物です。10歳の時に桜本町に引っ越してきてそれから10年弱。学校だけではなく繁華街の栄も、叔母の家に行く時もいつも市電に乗っていました。いまだに鮮明な記憶にある名古屋市電。資料を整理しつつ思い出が蘇り、作業が進まない日々。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!