2020年08月12日 23時10分
1972年(昭和47年)3月14日の中央本線木曽福島機関区。ここ木曽福島機関区も入り口でノートに住所、氏名を書けば中に入れて頂くことが出来ました。
働く多くの人の姿をこうして間近に見ることで、蒸気機関車(鉄道)を動かすということはなかなか大変なことだと学んでいったのだ思います。
三脚+長時間露光の夜間撮影。私はまだ高校生。経験不足もありこうした写真に挑戦する余裕、それは物理的な時間であったり、気持ちの問題だけではなく、当時の1枚あたりの写真にかかる費用が高額のため、未知の世界へ踏み込むにはあまりにハードルが高すぎたことにもよります。それでも鉄道の雑誌などに出ている写真の露光時間を参考に、一歩踏み出すこともありました。
5月2日の上松駅近く。「えっ!」の1枚。ゴールデンウィークの最中とは言え、貨物列車が機関車だけで来るとは思わなかった。
1973年(昭和48年)6月10日。大学に入り間もないころ。贄川(にえかわ)駅近くの鉄橋と記憶しています。写真自体は特に特徴があるものではありませんが、この架線の張り方が味噌です。
よく見ると気がついてもらえるのですが、架線柱が鉄橋にありません。つまり電化はするもののこの鉄橋には、物理的に架線柱を立てるスペースがなかったのです。そこで架線そのものを工夫しています。そう思ってこの写真を見て頂くと三角形の吊り架線に気がつきます。雑誌に珍しい架線の張り方をしているという記事が載っているのを見て、ここに出かけた記憶が薄らとあります。