2020年10月14日 22時12分

鉄道の日。

1872年(明治5年)9月12日、新橋~横浜間(29 ㎞)を結ぶ日本で最初の鉄道が開業しました。えっ?9月12日で驚くなかれ。

これは太陰暦で、その日を太陽暦にすると10月14日。まあこうしたずれは当然あるのですが、鉄道の日が旧暦で9月12日だったことはあまり知られていませんね。

※参照;鉄道主要年表 – 国土交通省

日本で太陰暦(旧暦)が太陽暦(新暦)となったのは明治5年12月3日(天保暦)を明治6年1月1日(グレゴリオ暦)とするとした『明治五年太政官布告第三百三十七号 明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)』によります。鉄道の歴史で太陰暦から太陽歴への日付変換が必要な出来事は、意外と短い期間の間であったことを今回、調べていて知りました。

鉄道開業当時を今に伝える資料に浮世絵があります。この浮世絵「従汐留横浜迄蒸気車鉄道往返之図」だけではなく、他にも多くの浮世絵が今も残されており、ネットオークションサイトでは百花繚乱(ひゃっかりょうらん)と言ったら言い過ぎでしょうか?様々な視点の作品を見ることができます。

運賃と時刻表。

運転席の右にいるのはこの鉄道の開通に尽力したイギリス人でしょうか?とか考えるとロマンがありますよね。

2020年10月14日 12時38分

突然ですが台湾の普通列車の話。

今年の12月23日限りで定期列車としての普快車が運行を修了するという情報を頂きました。もうそろそろと聞いており、どうもその時が来たようです。

さてこの普快車とは、冷房の無い3両の客車をディーゼル機関車が牽いてのんびり走る普通列車のこと。南廻線枋寮駅と台東駅の間を全ての駅に停車しながら結んでおり、台東駅行きは2時間25分。折り返しの枋寮駅行きは2時間7分で結んでいます。昭和のローカル列車の雰囲気を今も色濃く残しており、ということで私の様な日本の鉄ちゃんに愛されるだけではなく、ここ数年はこの列車を敢えて選んで乗っている台湾の方も多く見受けるようになっていました。

その列車を最初に撮影したのは2016年3月21日の南廻線太麻里駅近くの超有名撮影地。天候に恵まれず、写真の出来は今ひとつ。

2016年3月21日は、太麻里から宿を取っていた高雄に戻る際、この普快車に乗車。敢えての選択です。

2016年、すでにこの列車は日本人と台湾の人の人気列車となっており、途中の信号所での長時間停車では、私を含めて撮影大会になっていました。

2018年2月24日。再び南廻線太麻里駅近く。

同じ日の知本駅~太麻里駅間。この時の旅では残念ながら乗っていません。

2回目にして最後に乗ったのは2019年11月24日。

この時は仲間との団体乗車。いやあ楽しかったですね。

いつまでもあるとは思っていませんでしたが、もう一回位乗りたかった。

旧型客車だけが目的では無く、この絶景も乗車の楽しみ。まずは台湾海峡。

こちらは太平洋。

勿論、この風景が無くなることはありません。でも窓を開けてのこの景色はこの時が見納めとなりました。

今の身動き取れない状況では致し方ありませんが、次回南廻線に乗るときはきっと快適な電車になっているでしょう。そうなんです。恐らく今年度中にはこの線は電化開業の日を迎えます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!