2020年11月30日 22時21分

晩秋 大井川鐵道(1)SLも良いけどEL急行も良いね。

昨日は晩秋の大井川鐡道を訪ねました。
名古屋~浜松間は「ひかり」号でワープ。何と現れたのはN700S。当然私は初乗車。
雰囲気も座席の座り心地も随分変わった印象。
金谷駅で友人二人と待ち合わせ。
浜松発8:37、金谷着9:19の電車で到着。
※上り電車の電光掲示板は既に次の列車に変わっています。
この駅から程近い場所でレンタカーを調達。
最初の撮影地は福用~大和田間。喫茶店のコーヒーを飲みつつ、目の前に現れる列車の到着を待つ。
ここで撮影したのは2本。
まずは上り普通6列車(南海車)で10:16頃通過。
下りのEL急行。11:00頃。旧型の電気機関車が3両の客車を牽く姿は美しいと思う。考えようによっては蒸気機関車が牽く列車より貴重な存在。

2020年11月29日 20時00分

絵はがきに見る鉄道史(36)御大典奉祝名古屋博覧会。

御大典奉祝名古屋博覧会(ごたいてんほうしゅくなごやはくらんかい)。

1928年(昭和3年)9月15日から11月30日の間、名古屋市の鶴舞公園において開催された昭和天皇の即位を記念する博覧会です。

今年の9月29日にUPした「絵はがきに見る鉄道史(16)御大典奉祝名古屋博覧会」の続きと言えば続きですが、その際に書いた14枚の絵はがきとは別モノです。

この絵はがきのタイトルは「子供の汽車」。いわゆる遊覧鉄道のはしりでしょうか?

架線が無いので電車もしくは電気機関車の牽引ではなさそうです。ただガソリンカーでも無さそう。可能性としては出始めの蓄電池(バッテリー)駆動ではないかと?ただどれほどの性能があったのでしょう?気になります。

2020年11月28日 11時31分

絵はがきに見る鉄道史(35)鳥羽駅2題。

三重県の鳥羽駅。今は近鉄の駅というイメージですがJRの駅でもあります。

1911年(明治44年)7月21日、鉄道院参宮線の山田~鳥羽間の延伸に伴い開業。

※参考:主に国土交通省/鉄道主要年表から抜粋

*1870年(明治3年)民部大蔵省に鉄道掛 を設置

*1871年(明治4年)工部省に鉄道寮を設置

*1877年(明治10年)工部省に鉄道局設置(鉄道寮廃止)

*1885年(明治18年)工部省の廃止に伴い、鉄道局は内閣直轄となる

*1890年(明治23年)鉄道局を鉄道庁と改称、内務大臣直轄となる

*1892年(明治25年)鉄道庁、内閣府から逓信省に移管

*1893年(明治26年)鉄道庁は鉄道局と改称されて逓信省の内局となる

*1897年(明治30年)現業部門は逓信省外局の鉄道作業局に分離

*1906年(明治39年)鉄道国有法公布(4/20 施行):日本、山陽、九州など全国主要 17 私鉄、総延長 4,800 ㎞を買収

*1907年(明治40年)帝国鉄道庁官制公布(4/1 施行)

*1908年(明治41年)鉄道院官制公布施行:鉄道行政を逓信省から内閣に移管

*1920年(大正9年)鉄道省設置

*1922年(大正11年)鉄道大臣通達により毎年 10 月 14 日を「鉄道記念日」と定められる

*1948年(昭和23年)日本国有鉄道法公布(24/6/1 施行)

*1949年(昭和24年)日本国有鉄道(JNR)設立、運輸省設置(日本国有鉄道を分離)

まあざっくりですし、それぞれを語れば本が一冊どころかとんでもないことになりそうです。そもそも私の手に負える話ではありません。でもなぜこの年表を書いたかと言えば、鳥羽駅の開業が、誰の手で行われたかを知るためです。この辺りの時代考証を誤り、不正確な内容をこのブログで書き連ねることは本意ではありませんので一応は念には念をいれています。

こちらはカラー。と言ってもカラー写真ではなく、間違いなく彩色写真。彩色写真とはモノクロ写真の撮影後に手作業で丁寧に色づけするもので、完成度というか色の信頼度はある程度確保されていると思っています。

さていつ撮影されたかの検証。列車の向こうにある鉄塔。かつてあった展望施設「日和山エレベーター」(1934年(昭和9年)7月完成)とは思えず、何か電波塔の様な感じ。

鳥羽市観光サイトに「無線電話発祥記念碑」の記述があり、『大正3年(1914)12月には、鳥羽~答志島~神島間の連絡用として、世界ではじめて実用化に成功』との解説があり、ひょっとするとそれかもと思ったりしています。であれば少なくともこの写真の撮影時は大正時代には入っています。

もっとも蒸気機関車、客車、しかも手前には単車の客車らしき姿もあるのですが、そこから時代を特定する術がなし。

一方、彩色写真。モノクロ写真と写っているものがほぼ同じなので同時代のものと推察しています。

ところで鳥羽駅は建設時に海を埋め立てて作られています。2枚目の全景でもよく分かりますが、見る限り、埋め立て後の工事がまだ終わっていない感じもします。

ということで私の推理…大正10年前後、遅くとも昭和に入った頃。

2020年11月27日 11時56分

絵はがきに見る鉄道史(34)名古屋市内電車路線図-2。

昨日の続きです。

名古屋市内の鉄道の変遷は本当に一筋縄ではいきません。また私の手元の資料では追いつかない面もあります。今日も分かる範囲ということで…。

1922年(大正11年)、名古屋市電気局が当時の名古屋市内の路面電車を運営していた名古屋電気鉄道の路線を買収、それにより名古屋に名実共の「市電」が誕生しました。この覚王山線は1911年(明治44年)、名古屋電気鉄道の手で開業しています。当初、その終点の電停名は「月見坂」で、市営化後に「覚王山」となったのは分かったのですが、その時期が不明。なおこの「覚王山」から先、東山公園まで市電が伸びるのは1937年(昭和12年)の事です。

なおネットで検索していたところ、大正11年の市営化時に改称したような記述もありましたが、ここから先は名古屋市交通局の市営交通資料センターに行かないと辿れなさそうです。

ところでなぜこうして路線の歴史を辿っているかと言えば、この絵はがきが作られた時期を特定するため。結果、少なくとも「市電」の時代なのは間違いないので、1922年(大正11年)以降であることは確実です。

名鉄の前身、愛知電気鉄道。神宮前が起点であったことはあらかじめの知識として持っていました。ただこの路線図には「堀田」が無く、その変わりと言っては何ですが「井戸田(いどた)」があります。井戸田駅は1917年(大正6年)、愛知電気鉄道が神宮前駅 ~ 笠寺駅間を開業させた際に誕生しており、一方堀田駅が開業したのは1928年(昭和3年)です。

熱田神宮から南陽館前を結ぶ「名古屋市電」。熱田電気軌道により1910年(明治43年)に開業し、その後名古屋電気鉄道に買収~市営化されて東築地線となった路線です。南陽館前はその後、東築地に改称されていることは調べて分かりましたがやはりその時期が特定できず。今回紹介しているこの路線図の電停名が正しいとすれば、早くとも1922年(大正11年)以降となり、名古屋電気鉄道時代には改称されなかったこととなります。

さて最後にこの路線図の作成時期です。昨日UPした「中村電車線」が「中村電気軌道」になってからの通称とするならば大正15年/昭和元年頃と考えるのが妥当という結論に至りましたが、そこから時代が遡ることも現代に近づくこともあまり無かろうとは思っています。

2020年11月26日 23時10分

絵はがきに見る鉄道史(34)名古屋市内電車路線図。

名古屋市内電車路線図。これも絵はがきです。

中村電気軌道。ここでは中村電車線と表示されています。

「明治橋」=今の笹島交差点の西、中村警察署あたりのようです。当時の東海道本線、中央本線は地上駅で、そのため名古屋駅を挟んで路面電車は名古屋市内を横断しての直通は出来ませんでした。開業は1913年(大正2年)10月17日。ただ開業時の社名はで名古屋土地で中村電気軌道となるのは1926年(大正15年)6月1日のこと。ただ「中村電車線」がそもそもの通称なのか中村電気軌道と社名が変わってからなのかは不明です。

 

こちらは尾張電車線。正確には尾張電気軌道。その後1929年(昭和4年)に新三河鉄道となり、1937年(昭和12年)には名古屋市に買収され、八事線となります。

今池、千早、天道の電停名があるので、1912年(大正元年)以降の路線図。で、天道という電停がいつまで天道だったのかが探りきれず。私が知っているのは「八事」電停です。

2020年11月25日 23時01分

絵はがきに見る鉄道史(33)キカン車。

「キカン車」というタイトルの絵はがき。

ドイツ最新タービン式機関車。この絵はがきを見て初めてタービン式蒸気機関車という存在を知りました。そもそもタービンの仕組みは私には分からない。ただ何か凄い技術のようには見えます。

米国東部の強力機関車。見るからにそう思います。

ニューヨーク・ダンカーク州世界最大強力機関車。一体何両の客車を牽いているのだろう?

ニューヨーク中央鉄道輸送機関車。ニューヨーク・セントラル鉄道。

シカゴ鉄道会社強力電気機関車。日本の機関車とは比ぶべくもないもないが何でも大きいアメリカンサイズと言いたい。

今日は何も解説が書けません。ただ見て下さい!というのみ。

無軌道蒸気機関車。恐らく遊具。ロードトレインとかランドトレインと呼ばれる鉄道車両を模した路上を走る乗り物なのでしょうが、絵はがきのタイトルは無軌道蒸気機関車。恐らく日本語にする相応しい言葉が無かったのでしょう。

ドイツ最近強力大機関車。何とも凄い形をした機関車があったものですね。

2020年11月24日 16時04分

昨今、名古屋で話題の五重塔。

昨今、名古屋で話題の五重塔。
正確には塗り替え作業中のNTTコミュニケーションズ名古屋栄ビル鉄塔。
何と鉄友Kさんが五重塔+鉄道という場所を探し出し、そこを教えて頂きました。
既に半分は元の鉄塔に戻り、ちょっと残念な図ではありますが何とか雰囲気だけは…。
ところでこの場所、数年前まで人間ドックで年に1回近くまで来ていたのに、全く気付かず。私は五重塔+鉄道が写るポイントが無いかと地図で探したものの見つけられないでいました。それにしてもここを見つけたKさんには脱帽です。

2020年11月23日 11時24分

絵はがきに見る鉄道史(32)東京駅。

東京駅。年代特定の難しい1枚。駅頭の雰囲気から1914年(大正3年)12月20日の開業以降であることは確定として、では何時なのだろう?

写っている東京市電の形式が特定できれば、、、と思いつつも手元に資料無し。2扉のボギー車、2重屋根(ダブルルーフ)、運転台がオープン(吹きさらし)までは何とか分かる。

その条件に当てはまる(言葉であって、形そのものではありません)電車を探してみると、1915年(大正4年)に登場した東京市電気局の路面電車/1471形電車が近いと思うのですが、、、。

また手前に自動車が停車(?)していますが、電車の横には荷馬車もいます。ただ荷馬車では時代特定が出来ません。自動車ならば可能かと思いつつ、自動車の博物館で、日本の自動車史に詳しい方にお聞きするしか無さそうです。

※この絵はがきは2018年11月25日にもアップしています。

まあそんな堅苦しいことはともかく、今の東京駅。

2012年10月17撮影。日本の駅の中で、「優美さ」において私の中では一番の存在です。

おっと本題から外れましたが、絵はがきの撮影時期は昭和に入った1925年前後と思っています。

2020年11月21日 22時32分

鉄道模型(Nゲージ)ジオラマ製作講座に通っています。

この10月から月に1回、鉄道模型(Nゲージ)ジオラマ製作講座に通っています。

建材のスタイロフォームを加工して作ります。

削り始めました。

今日はここまで。さあ12月はどこまで進めるかな?

因みにここまで削るのにかかった時間は約4時間。無口でコツコツとひたすら削って行く。

2020年11月20日 22時46分

絵はがきに見る鉄道史(31)名古屋名所 名古屋城が見える。

松坂屋屋上から見た大津通り(北側)。

高い建物が殆どなく見通しが良い。ふと左上を見てみれば…。

名古屋城が見える。松坂屋と名古屋城の間には広小路通りもあるので、当時とは言え高い建物もあったはずと思いつつ昨日UPした写真も見てみる。

私の結論。松坂屋が如何に高い建物だったかという点に行き着きました。今では考えられないですね。

天平七年ですから何と西暦735年の建立。大須の南エリアにある七ッ寺(長福寺)。私にとってはこの地にある小劇場、七ツ寺共同スタジオは何度も足を運んだ場所ですが、この前そこで演劇を見たのはいつの事だろう?2~30年は経っていそう。

かつては大規模なお寺だったようですが、戦災の結果、今の大須の街の一角といった佇まいとなったようです。

今回の絵はがきの最後は名古屋港。ふ頭が狭いのと線路が真ん中を走っているのが新鮮です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!