2020年11月12日 15時17分
昭和42年(1967年)10月発行のボロボロの時刻表。国鉄583系(私にとっては「月光形電車」)運転開始と言うエポックメイキングな号なのですが、今回はその話ではなく中央本線の急行列車の話。
当時13歳の中学生にとって時刻表は正に大人への入り口。隅から隅まで読んでいたというのは大袈裟ですが、それでもそんな気分であったのは間違いありません。
その中でまあ地元でもある中央本線に目が行くのは自然の理(ことわり)。注目は急行「きそこま」。多治見始発の長野行きで、4:55という早朝と言うにもあまりにも早い時間の出発。そして停車駅はまあこんなに停まる急行があって良いものかと思うほどですが、後に沿線市町村の代表駅すべてに停車していたことを知ります。
更に長じてこの列車の目的は、長野県木曽地区の町村と県庁所在地長野市を結ぶ足であることを認識することとなります。
では戻りはどうでしょう。そこには急行「きそこま」の名前はありません。
強いてあげれば急行「第4しなの」が上松で普通列車(客車)に接続し、それで各町村に戻る設定がされているように見えます。
時は変わって令和2年。
今はどうなっているかと言えば、塩尻発18:50の普通電車は、上松着19:44。
ここで後続の特急「しなの24号」が19:54に追いつき、接続を取るようになっています。中央本線では木曽福島駅での優等列車退避が出来ないためこうしたダイヤなのでしょうが、もしも木曽福島で緩急接続が出来れば、「しなの」が上松に停まらなかったかもと思ったりしています。
話を急行「きそこま」に戻しますが、片道しか運転されない急行があることを発見し、当時、私は大きなショックを受けました。それが今回、上松での緩急接続を見て、記憶の海の奥深くからいきなりそのことが浮上してきました。
ところでなぜ「きそこま」が片道運転だったかという探求をしなかったのかと言うと、それは自分でも良く分かりません。多分、ずぼらな性格のせいでしょう。きっと。