2020年11月19日 22時06分
「名古屋名所」の絵はがき。場所は広小路通り。
『名古屋駅と千種駅との中間で銀行、会社等宏大なる建物数知れず市内最も目抜きの街である
夜は露天の数々 一層の美観である』
当時の地図を見ると市街地と呼べる家並みが続く風景の東の端は「千種」となりそうで、それで『名古屋駅と千種駅との中間」という表現となったと思われます。
余談ですが、千種区(ちくさく)、千種高校(ちぐさこうこう)と読み方が異なるのを知っているのは卒業生もしくは友達がこの高校に通っていた人くらいでは?
参考までに1924 年(大正13年)4月8日発行「 大名古屋市街地図 中島大助 」によると駅名が「ちぐさ」となっています。が、これが当時の駅名の読み方として正解かどうかを判断する資料が少なすぎてギブアップ。
話を絵はがきに戻しますが、この絵はがきと対のものを見ても、撮影日時のヒントになるものが少ない。
唯一ヒントになりそうな1枚。「松坂屋呉服店」となっており、これが決め手で1925年(大正14年)以降の撮影であることは確定。何故って、全国で「松坂屋」の称号に統一され、かつ現在の位置に松坂屋が出来たのが大正14年なのです。