2020年11月27日 11時56分
昨日の続きです。
名古屋市内の鉄道の変遷は本当に一筋縄ではいきません。また私の手元の資料では追いつかない面もあります。今日も分かる範囲ということで…。
1922年(大正11年)、名古屋市電気局が当時の名古屋市内の路面電車を運営していた名古屋電気鉄道の路線を買収、それにより名古屋に名実共の「市電」が誕生しました。この覚王山線は1911年(明治44年)、名古屋電気鉄道の手で開業しています。当初、その終点の電停名は「月見坂」で、市営化後に「覚王山」となったのは分かったのですが、その時期が不明。なおこの「覚王山」から先、東山公園まで市電が伸びるのは1937年(昭和12年)の事です。
なおネットで検索していたところ、大正11年の市営化時に改称したような記述もありましたが、ここから先は名古屋市交通局の市営交通資料センターに行かないと辿れなさそうです。
ところでなぜこうして路線の歴史を辿っているかと言えば、この絵はがきが作られた時期を特定するため。結果、少なくとも「市電」の時代なのは間違いないので、1922年(大正11年)以降であることは確実です。
名鉄の前身、愛知電気鉄道。神宮前が起点であったことはあらかじめの知識として持っていました。ただこの路線図には「堀田」が無く、その変わりと言っては何ですが「井戸田(いどた)」があります。井戸田駅は1917年(大正6年)、愛知電気鉄道が神宮前駅 ~ 笠寺駅間を開業させた際に誕生しており、一方堀田駅が開業したのは1928年(昭和3年)です。
熱田神宮から南陽館前を結ぶ「名古屋市電」。熱田電気軌道により1910年(明治43年)に開業し、その後名古屋電気鉄道に買収~市営化されて東築地線となった路線です。南陽館前はその後、東築地に改称されていることは調べて分かりましたがやはりその時期が特定できず。今回紹介しているこの路線図の電停名が正しいとすれば、早くとも1922年(大正11年)以降となり、名古屋電気鉄道時代には改称されなかったこととなります。
さて最後にこの路線図の作成時期です。昨日UPした「中村電車線」が「中村電気軌道」になってからの通称とするならば大正15年/昭和元年頃と考えるのが妥当という結論に至りましたが、そこから時代が遡ることも現代に近づくこともあまり無かろうとは思っています。