2020年11月28日 11時31分

絵はがきに見る鉄道史(35)鳥羽駅2題。

三重県の鳥羽駅。今は近鉄の駅というイメージですがJRの駅でもあります。

1911年(明治44年)7月21日、鉄道院参宮線の山田~鳥羽間の延伸に伴い開業。

※参考:主に国土交通省/鉄道主要年表から抜粋

*1870年(明治3年)民部大蔵省に鉄道掛 を設置

*1871年(明治4年)工部省に鉄道寮を設置

*1877年(明治10年)工部省に鉄道局設置(鉄道寮廃止)

*1885年(明治18年)工部省の廃止に伴い、鉄道局は内閣直轄となる

*1890年(明治23年)鉄道局を鉄道庁と改称、内務大臣直轄となる

*1892年(明治25年)鉄道庁、内閣府から逓信省に移管

*1893年(明治26年)鉄道庁は鉄道局と改称されて逓信省の内局となる

*1897年(明治30年)現業部門は逓信省外局の鉄道作業局に分離

*1906年(明治39年)鉄道国有法公布(4/20 施行):日本、山陽、九州など全国主要 17 私鉄、総延長 4,800 ㎞を買収

*1907年(明治40年)帝国鉄道庁官制公布(4/1 施行)

*1908年(明治41年)鉄道院官制公布施行:鉄道行政を逓信省から内閣に移管

*1920年(大正9年)鉄道省設置

*1922年(大正11年)鉄道大臣通達により毎年 10 月 14 日を「鉄道記念日」と定められる

*1948年(昭和23年)日本国有鉄道法公布(24/6/1 施行)

*1949年(昭和24年)日本国有鉄道(JNR)設立、運輸省設置(日本国有鉄道を分離)

まあざっくりですし、それぞれを語れば本が一冊どころかとんでもないことになりそうです。そもそも私の手に負える話ではありません。でもなぜこの年表を書いたかと言えば、鳥羽駅の開業が、誰の手で行われたかを知るためです。この辺りの時代考証を誤り、不正確な内容をこのブログで書き連ねることは本意ではありませんので一応は念には念をいれています。

こちらはカラー。と言ってもカラー写真ではなく、間違いなく彩色写真。彩色写真とはモノクロ写真の撮影後に手作業で丁寧に色づけするもので、完成度というか色の信頼度はある程度確保されていると思っています。

さていつ撮影されたかの検証。列車の向こうにある鉄塔。かつてあった展望施設「日和山エレベーター」(1934年(昭和9年)7月完成)とは思えず、何か電波塔の様な感じ。

鳥羽市観光サイトに「無線電話発祥記念碑」の記述があり、『大正3年(1914)12月には、鳥羽~答志島~神島間の連絡用として、世界ではじめて実用化に成功』との解説があり、ひょっとするとそれかもと思ったりしています。であれば少なくともこの写真の撮影時は大正時代には入っています。

もっとも蒸気機関車、客車、しかも手前には単車の客車らしき姿もあるのですが、そこから時代を特定する術がなし。

一方、彩色写真。モノクロ写真と写っているものがほぼ同じなので同時代のものと推察しています。

ところで鳥羽駅は建設時に海を埋め立てて作られています。2枚目の全景でもよく分かりますが、見る限り、埋め立て後の工事がまだ終わっていない感じもします。

ということで私の推理…大正10年前後、遅くとも昭和に入った頃。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!