2020年11月19日 22時06分

絵はがきに見る鉄道史(31)名古屋名所 広小路通り。

「名古屋名所」の絵はがき。場所は広小路通り。

『名古屋駅と千種駅との中間で銀行、会社等宏大なる建物数知れず市内最も目抜きの街である

夜は露天の数々 一層の美観である』

当時の地図を見ると市街地と呼べる家並みが続く風景の東の端は「千種」となりそうで、それで『名古屋駅と千種駅との中間」という表現となったと思われます。

余談ですが、千種区(ちくさく)、千種高校(ちぐさこうこう)と読み方が異なるのを知っているのは卒業生もしくは友達がこの高校に通っていた人くらいでは?

参考までに1924 年(大正13年)4月8日発行「 大名古屋市街地図 中島大助 」によると駅名が「ちぐさ」となっています。が、これが当時の駅名の読み方として正解かどうかを判断する資料が少なすぎてギブアップ。

話を絵はがきに戻しますが、この絵はがきと対のものを見ても、撮影日時のヒントになるものが少ない。

唯一ヒントになりそうな1枚。「松坂屋呉服店」となっており、これが決め手で1925年(大正14年)以降の撮影であることは確定。何故って、全国で「松坂屋」の称号に統一され、かつ現在の位置に松坂屋が出来たのが大正14年なのです。

2020年11月18日 22時50分

“おかざき世界子ども美術博物館。(後編)

おかざき世界子ども美術博物館へのアクセスは少々難ありです。

名鉄の急行停車駅/美合駅が最寄りなのですが、接続する公共の交通機関がありません。徒歩ですと恐らく30分強。タクシーが便利なのですが乗車時間は約5分で1000円前後と思われます。参考までに私はタクシーで往復しています。

以前は路線バスでのアプローチがあったと記憶していますが、折角の良い施設なのでこうした状況が改善されることを切に願うばかりです。

さて写真はメインの展示スペース。

広大な鉄道模型ジオラマ。

この日は地元の小学校や幼稚園の見学が入っており、子ども達の目を釘付けにしていました。

一方こちらはパネル展示。NPO法人名古屋レール・アーカイブスの手による「走れ!夢の超特急」展です。この7月に名古屋市金山の名古屋都市センターまちづくり広場での展示と同一内容で、東京オリンピックの年に開業した新幹線の歴史を振り返っています。

このイベントの運営をされている方にお聞きしたところ、家族連れで会場に来た方の大人はこちらのパネルを楽しまれているとの事でした。小さなお子さんが見て楽しいとはとても思えないので、想定の範囲内内ですが、まずは反応があって何よりでした。

会場には0系からN700系までの新幹線の模型展示もあり、新幹線の歴史を改めて発見。

ドクターイエローの歴史は面白い!

リアルな鉄道イベントが殆ど開催されない中でもちゃんと開催されている模型イベント。希少な価値ありです。

2020年11月17日 23時15分

おかざき世界子ども美術博物館。(前編)

愛知県岡崎市の「おかざき世界子ども美術館」。取材で数度お世話になったことがあります。

ここで今、鉄道のイベント「わくわく鉄道博物館2020 鉄道模型と巨大ジオラマ」が開催中です。

(開催概要)

期間: ~ 令和3年1月11日 ( 月曜日 )

開館時間:9時~17時 ( 入館は16時30分まで )

休館日:毎週月曜日 ( ただし11月23日は開館 )

11月24日.( 火曜日 )

年末年始 ( 12月28日 ~ 1月4日 )、

観覧料:一般 〔高校生以上} 500円

小中学生 100円

(展示内容)

タイトル通りの鉄道模型とジオラマを楽しむイベントです。

会場に入るとまずプラレールが目に飛び込んできます。

ここは子ども向けと言えるでしょうが、作り込んでいるので、大人の鑑賞にも十分、耐えます。

音楽とイルミネーション、そして照明で楽しむ鉄道模型。いつもやっているわけではないので、開始時間を受付で確認することをお勧めします。

常設ではないにも関わらず、ここまで凝った模型展示はそうはないのでは?

2020年11月16日 23時29分

木曽路の片道急行、パート2。

11月12日(木)に「木曽路の片道急行」をUPしたところ、知人から10月31日(土)、11月7日(土)の2日間運転された急行「▲▲中山道トレイン2020号▲▲」 のことかと思ったと連絡がありました。確かに急行「▲▲中山道トレイン2020号▲▲」 は片道運転であり、このブログで紹介するにはタイミングとしてもドンピシャで、なるほどなあと思った次第。

だからということではありませんが、名古屋エリアの片道急行、但し変形版を紹介します。

先回と同じ昭和42年(1967年)10月発行の時刻表。但し高山本線。ここに2本の急行「しろがね」号がいます。1本は昼行、1本は夜行。この列車の特徴は何れも循環急行であること。名古屋~岐阜~高山~富山~金沢~米原~岐阜~名古屋と高山本線~北陸本線を一周しており、昼行の「しろがね1号」は名古屋発8:14で名古屋着18:49。「しろがね2号」は名古屋発23:50で名古屋着11:09。

高山本線の時刻表の最下段に「金沢」「名古屋」の駅名が見えるのがその証拠。ところで先に「片道急行」と書きましたが、名古屋から米原経由で金沢~富山~高山と走る「しろがね号」はありません。

「しろがね号」と対になるのはこの時刻表のほぼ真ん中にいる「こがね号」。

名古屋を出る時にどこに行くのだろうとの混乱を避ける措置だったのでしょうか?

でも循環急行で、上下で同じ愛称の列車も存在していたことはあるので、何かルールがあったと言うことでは無かったようです。

2020年11月15日 21時19分

鉄道模型事始めの2。鉄道模型を始めてみて初めて知ったこと。。

鉄道模型を始めてみて初めてしったこと。

Nゲージの車両を購入しようとして調べてみたら、定番品と言えるものは少なく、各メーカーから常時新製品が投入されていました。鉄道模型のイベントも担当していたので、ある程度は聞きかじっていたものの、実際にやるのとこれまでの耳学問とは大違い。

このD51とオハも中古品。

発売後、しばらく経っているようですが、ナンバープレートもまだ貼っていない状態で、こうして写真を撮ってみると何とも存在感がないこと夥しい。

ただそうした状態で保存し、そして中古品として売り渡し、それを原資にして次のモデルを狙うという心理は分かる気がしました。

1970年1月2日の中央本線落合川~坂下間。D51牽引の旅客列車の私にとっての原点。

2020年11月14日 21時51分

鉄道模型事始め。

鉄道模型事始め。ジオラマレイアウトはオークションサイトで落札。

いつかは自作のジオラマレイアウトを作りたいとの想いから、その見本ともなりそうなものを手に入れました。

走るのは中古のキハ81系。気分は関西本線~紀勢本線~阪和線を走った特急「くろしお」号。昭和の列車が私にはお似合いです。

2020年11月13日 22時52分

絵はがきに見る鉄道史(30)朝熊岳登山電車。

朝熊登山鉄道株式会社。

三重県の伊勢神宮の東にある朝熊(あさま)ヶ岳を登り下りしたケーブルカー。

(三重県総合博物館ウェブサイトから転載)

大正 9(1920)年 1月28日  会社創立
大正14(1925)年11月 1日  路線開業
昭和 3(1928)年11月 1日  会社合併で三重合同電気(みえごうどうでんき)となる
昭和12(1937)年 3月31日  東邦(とうほう)電力に合併
昭和14(1939)年 8月 1日  会社分離により神都(しんと)交通となる
昭和19(1944)年 1月11日  第2次世界大戦時の不要不急路線として営業休止
昭和19(1944)年 2月11日  交通統合により三重(みえ)交通となる
昭和37(1962)年 7月15日  営業廃止(書類上の手続きのみ)

このケーブルカーの絵はがきは多く出回っているようで、オークションサイトでも色々な種類のある中、どれにしようか迷うほどでした。

ただ風景として楽しめる写真がなぜかありません。

もっともこの急勾配こそが名物だったのかも知れません。

2020年11月12日 15時17分

木曽路の片道急行。

昭和42年(1967年)10月発行のボロボロの時刻表。国鉄583系(私にとっては「月光形電車」)運転開始と言うエポックメイキングな号なのですが、今回はその話ではなく中央本線の急行列車の話。

当時13歳の中学生にとって時刻表は正に大人への入り口。隅から隅まで読んでいたというのは大袈裟ですが、それでもそんな気分であったのは間違いありません。

その中でまあ地元でもある中央本線に目が行くのは自然の理(ことわり)。注目は急行「きそこま」。多治見始発の長野行きで、4:55という早朝と言うにもあまりにも早い時間の出発。そして停車駅はまあこんなに停まる急行があって良いものかと思うほどですが、後に沿線市町村の代表駅すべてに停車していたことを知ります。

更に長じてこの列車の目的は、長野県木曽地区の町村と県庁所在地長野市を結ぶ足であることを認識することとなります。

では戻りはどうでしょう。そこには急行「きそこま」の名前はありません。

強いてあげれば急行「第4しなの」が上松で普通列車(客車)に接続し、それで各町村に戻る設定がされているように見えます。

時は変わって令和2年。

今はどうなっているかと言えば、塩尻発18:50の普通電車は、上松着19:44。

ここで後続の特急「しなの24号」が19:54に追いつき、接続を取るようになっています。中央本線では木曽福島駅での優等列車退避が出来ないためこうしたダイヤなのでしょうが、もしも木曽福島で緩急接続が出来れば、「しなの」が上松に停まらなかったかもと思ったりしています。

話を急行「きそこま」に戻しますが、片道しか運転されない急行があることを発見し、当時、私は大きなショックを受けました。それが今回、上松での緩急接続を見て、記憶の海の奥深くからいきなりそのことが浮上してきました。

ところでなぜ「きそこま」が片道運転だったかという探求をしなかったのかと言うと、それは自分でも良く分かりません。多分、ずぼらな性格のせいでしょう。きっと。

2020年11月10日 17時08分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(14)上松町とボールドウィン。

本線での走行を終えた2台のモーターカー。次走るのはいつになるでしょう。赤沢森林鉄道の今年の運転は11月8日で終わるので、多分早くても来年の春以降かな。

さてここからはボールドウィンタイム。

前日に続いて照明を点けての撮影。17:19、青空がまだ見えています。

この日のボールドウィンのお供は理髪車。

(模擬)点検担当はかつて中央本線を走った蒸気機関車の機関士だった方。本職。

こうして充実の2日間が終了。

撮影を終え上松駅に戻ったところで、参加者の方から「ここ上松のマンホールはボールドウィンだよ」と教えられ、パチリ。ボールドウィンは町の誇り、象徴なんですね。

尻尾まであんこがつまったたい焼きの旅も残すところ名古屋に戻るだけ。

赤沢森林鉄道の撮影ツアー(完)

2020年11月09日 16時48分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(13)秋色の林鉄。

この日はもう1台のモーターカーも本線走行。15:28。まだ定期列車運転時間中なので、沿線に撮影に来ていた撮り鉄さんもきっとびっくりしていたはず。

なおこの写真を撮影している場所は先に紹介した遊歩道から別れ、エリア内に巡らされた散策コースの一つで、誰でも撮影出来る場所です。

秋色の木立から顔を出す定期列車。

戻りのモーターカー。あれっ?転車台の無い赤沢森林鉄道なのに顔が正面?実はこのモーターカーは車体下にジャッキがあり、それで車体を持ち上げてどこでも方向転換が出来るのだそうです。その方向転換の様子を今回は見ることが出来ませんでしたが、チャンスがあれば是非、見てみたい。

後ろ姿を見て、何故かほっこりするのはきっと私だけではないと思い。そう言えば人力車の後ろ姿に似ている気がした。

15:51、この日の最終列車が起点の森林鉄道記念館に向けて走り去ります。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!