2020年11月08日 16時23分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(12)再び呑曇渕(どんどんぶち)。

丸山渡からは歩き鉄。この森林鉄道は、往復乗車するか、丸山渡から歩いて帰るかの2者択一。丸山渡まで歩いて行き、乗って帰ることは出来ません。ただかなりの乗客の方が、帰路の歩きを選んでいます。森林浴を楽しみつつ、ゆっくり20分程度の山歩きは本当に清々しいものです。

右側の木道がその道で、こんな感じで森林鉄道記念館まで続きます。

この日もモーターカーの撮影あり。私は呑曇渕(どんどんぶち)での撮影を選択。15:01に通過。定期列車を先行して走ります。シャッタースピードは1/10秒で、モーターカーは少しぶれています。遅い列車とはいえ、やはりこのシャッタースピードで車体をぶれずに止めることは出来ませんでした。

この場所は前日も撮影は可能でしたが、雨で足下が滑りやすくなっていたため、万が一にもスッテンコロリンしては、ツアーそのものもさることながら折角許可を出してくれた地元の方々に迷惑になるであろうと諦めました。高齢者はちょっとした冒険も絶対にしてはならないと肝に命じています。

15:07に定期列車が通りました。シャッタースピードは1/2秒まで落とし、水の流れを見せつつ列車のスピード感を出してみました。撮り鉄修行中。

水の流れを止めるべく1/500秒での撮影。

ここまでの写真は全て手持ちで撮影していますが、デジタルカメラの進化を本当に肌で感じています。そしてその能力をどう使うかが撮影者に問われる時代とも思っています。

前日も撮った場所。太陽が当る部分と当らない部分の陰影がどこまで出るのだろう?とシャッターを押す。

カメラの操作に少し慣れてきた。かも?まだまだ。

2020年11月07日 15時01分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(11)丸山渡のトイレ。

14時発の定期列車に乗ることに。

乗車券の裏側にスタンプを押すのが赤沢流。

爽やかだけど少し冷たい風が頬をなぜている。

※「なぜる」=「撫でる」なのですが、「なぜる」って名古屋風?調べると結構全国で使われている。

丸山渡までは1.1キロ。乗車時間は10分もありません。

そこから側線の様に線路が延びており、その先にはまだ線路がありました。将来は…とか妄想の世界に浸る。

その手前というか、丸山渡のほど近くにトイレがあります。何と列車!トイレットカー。

し尿処理施設がこの辺りにはなく、シーズンが終わるとこのトイレットカー(私が勝手に命名しています)を森林鉄道記念館まで引っ張ってきて、バキュームカーで中身を取り出しているとのこと。結構大変な作業だな。

2020年11月06日 14時22分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(10)理髪車のこと。

10月25日の赤沢森林鉄道の撮影。モーターカーから開始。

小さな車輪で、線路事情も決して良くはなかったでしょうから、乗り心地は察するに余りありますが、もし今、私が乗ることが出来ればきっと夢見心地の場所。というのは趣味の立場からの主張です。

シンプルな運転台。エンジンの始動スイッチ、スロット、ブレーキしか無い?

13時10分過ぎ、理髪車の撮影。

列車の最後尾に繋がれた現役時代の理髪車。上松停車場に停車中。この後、山に向かったはず。

中はこんな感じ。山で長期間、作業を続けてきた職員の方が下山する際、この理髪車で髪を整えたそうです。

上松の町に降り立つときはビシッと決めていたとのことで、それが男意気だったのでしょう。その気持ち分かります。

ボールドウィンにヘッドマークを付ける。

昭和50年の廃止記念列車の再現です。普段このヘッドマークは森林鉄道記念館で大事に保管されており、これまで「撮影会」であっても出たことが無かったそうです。この日は晴天に恵まれたこともあり、きっと外に出しても大丈夫であろうという判断がなされたものと思います。運が良かった。

ところで長野県上松町観光の公式ウェブサイトに今回の撮影会の話題がアップされており、

Front Page

の新着ページをご参照頂きたいのですが、その中に

「こういった撮影会の利点は、車両の整備も行き届くこと。機械だけに、走らせてあげないと傷みや老朽化が一気に進みます。今回も撮影に備えて塗装を吹き直し、部品を磨いてイベントに備えました。」とした一文があり、この撮影会が地元の方にも喜んで頂けていたようで、参加して本当に良かったと改めて感じ入っています。

2020年11月05日 10時58分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(9)木曽森林鉄道のこと。

1974年(昭和49年)9月26日~27日の一泊2日で、運行の終焉間近の木曽森林鉄道を訪ねました。

当時は写真の撮影メモを作っておらず、他の方の撮影記録から察するにここは恐らく滝越停車場。

これは滝越停車場から撮影した本線。これは間違いなし。私はこの日、滝越の民宿に泊まっており、それまで乗ってきた列車を撮影出来ました。

関西電力の専用線。森林鉄道車内からの1枚。今となってはこれもきっと貴重な1枚だと思います。

大鹿停車場。木曽森林鉄道有数のヤードがあったと記憶あり。

鯎(ウグイ)川線に入る小型のディーゼル機関車と客車(当時の状況から、間違いないと思うのですが…)。

流石にこの列車への添乗は不可。

車が入れない場所では森林鉄道が唯一の荷物の運搬手段。

日常の風景。

木曽は山の中。中央本線に乗っているだけでもそれは十分に実感できますが、更に山中に分け入ればその言葉はより強く迫ってきます。

今日UPした写真は、今回訪問している赤沢ではなくその北側のエリアです。しかしその日常は恐らく同様であったことでしょう。赤沢森林鉄道は私にとってはある意味懐かしく、若い年代の方には新鮮に映っていると思います。今こうして懐古出来ること自体が奇跡としか言いようがありません。何故って赤沢森林鉄道が正に生きているからです。

2020年11月04日 10時23分

長野県上松町/紅葉の中央本線「寝覚めの床」倉本~上松間。

次に向かったのは中央本線(中央西線)で屈指の名所である寝覚の床。名前の由来などは割愛しますが、ここにある「ねざめ亭」というレストランのテラスからの撮影。なおここで昼食を頂き、お土産を買っています。念のための報告。

写真の赤枠が「寝覚の床」。走る列車と「寝覚の床」を一緒に写せる場所は限られており、このテラスが一番の撮影地であろうと思っています。

(10:54頃。829M中津川発松本行き、JR東日本の211系電車)

同じ電車の後追い。後追いでもこの方がまとまっているかな?

11:21。1007M特急「しなの7号」長野行き。この日は8両編成での運転。

11:37。1008M特急「しなの8号」名古屋行き。

参考までにこのテラスには電車の通過見込み時間が目立つ場所に掲示されており、ダイヤ乱れが無ければ概ねここに書いてある時間に電車は通ります。車を降りて歩いて1分の撮影スポット。なかなか得がたい場所ですね。

2020年11月03日 9時57分

長野県木祖村/紅葉の中央本線 薮原~奈良井間。

10月25日(日)、宿泊した長野県木曽郡木曽町の天候は晴れ。但し気温はネットで調べたら何と2度。寒い!

ところでこの木曽町と言う名前、平成の大合併で当時の木曽福島町を中心に木曽福島町・日義村・開田村・三岳村が合併し木曽町となってものですが、私のなかではやはり木曽福島で時計が止まっています。

この日の朝一番は中央本線の撮影からスタート。場所は分水嶺(太平洋側…木曽川、日本海側…奈良井川→犀川→千曲川→信濃川)にほど近い薮原~奈良井間。

時刻は9:05。1004M特急「しなの4号」名古屋行き。

9:15、今度は1827M中津川発松本行き。で、この画像の真ん中やや左寄りに電車あり。米粒は見つけられるか?見つけられなかったらごめんなさい。

日の当る場所とそうではない場所とのコントラストの違い。これを上手く表現する力がまだ私にはないと実感。

9:37。1003M特急「しなの3号」長野行き。紅葉にはほんの少し早かった感あり。自然現象を相手にするのは誠に難しい。

2020年11月02日 9時57分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(8)ボールドウィンの夜間撮影会。

夕方の5時が近くなり、照明を点けての撮影会のスタート。(この写真は16:52にシャッターを押しています)

写真家/神谷武志さんの発案によるもので、更に言えばここ赤沢の方や、鉄道の保存活動に尽力されている方々の協力で実現しました。

サイドに照明が当り、これもなかなか。

17:26。日没後は、刻一刻雰囲気が変わっていきます。(絞りF4.5 シャッタースピード1/6秒)

後ろからの照明はそのままに、正面でなく、サイドの位置から照明を当てる。空が漆黒とはならず、まだ色が残っています。ひたすらシャッターを押しながらその時間の経過を楽しむ至福。

記念館(車庫)の中からの1枚。

機関士さんによる点検の再現。

「撮り鉄をもっとオトナの趣味に」が神谷さんの活動の源。オトナの方々が熱心に被写体に向かう姿は正にその通り。

夜の帳が下りる(よるのとばりがおりる)。もうすぐ夜の6時。

照明による光芒(こうぼう)を強調した、私の今回のお気に入りの1枚。敢えてのモノクローム化をしてみました。

2020年11月01日 23時10分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(7)ボールドウィンが走る。

木曽の地に網の目の様に線路が張り巡らされていた木曽森林鉄道。今の赤沢森林鉄道はその一部で、廃線後に一旦線路が剥がされたものの、1985年(昭和60年)の伊勢神宮御用材伐採のため再び線路が敷かれました。そしてその2年後、観光施設としての「赤沢森林鉄道」がついに復活し、「森林鉄道」が現代に復活したと言うことで当時、大きな話題を呼びました。

木立が線路を覆い隠すような令和のこの風景は、きっと森林鉄道が“現役”だった頃とあまり変わっていないのでは?この写真では機関車の顔が見えるものの客車は良い感じで隠れており、雰囲気だけは材木を運ぶ列車そうろう。

営業運転が終わり、煙をはくボールドウィンの撮影会の始まり。

機関車が煙をはいていますがこれは舞台やテレビでも使われる「スモークマシン」を使った疑似「煙」。

また自力で走ることが出来ないので、ディーゼル機関車が後ろに付いています。

もっともスモークマシンだけでは煙が上々になることはなく、発生させた煙をコンプレッサーを使って空気を押し出すことでこの走っている感を表現しています。

 



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!