2020年12月05日 23時02分

絵はがきに見る鉄道史(37)名古屋市電が右側通行だった時代。

名古屋市電が右側通行?
名古屋市電(名古屋電気鉄道~名古屋市電気局~名古屋市交通局)は開業時、何と日本の常識左側通行ではなく右側通行でした。
今の名古屋/栄交差点東(中区役所近く)にあった「日清戦役第一軍戦死者記念碑」。 1900年(明治33年)に建立され、その後1903年(明治36年)に県庁前=久屋町から西裏まで開業した市電はその南側をぐるっと回って敷設されました。
※「日清戦役第一軍戦死者記念碑」の建立年は諸説あります。
この写真は普通の左側通行ですが、この姿になったのは1906年(明治39年)以降のはずです。
で、ほんの短い時代の右側通行時代の写真。
細かい歴史の話はここでは省きますが、その証拠となるこうした右側通行の写真はNPO法人名古屋レール・アーカイブスでも1枚しか所蔵していません。
オークションサイトで最近落札したものですが、長年捜していた一枚です。
    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!