2020年12月06日 18時52分
地下鉄覚王山駅を降り、日泰寺を目指して歩く。そして日泰寺を越え、姫池通(ひめいけどおり)を渡ったところに征清記念碑/日清戦役第一軍戦死者記念碑があります。
昨日UPした写真の中心にある征清記念碑/日清戦役第一軍戦死者記念碑は、1920年(大正9年)にこの地に移されました。
明治の時代にあって大通りの中心にこれだけの記念碑を作る意味合いが日清戦争にあったという証なのですが、ここ覚王山の地にこの碑が残されていることを知る人があまりに少ないのは残念です。とか書きつつ、私自身もこの存在を知ったのは、多少なりとも名古屋市電の歴史に興味を持ったことに端を発しています。
この碑の鋳造が完成したのは明治33年(1900年)。それは間違いありません。ただそれが「塔」そのものの完成とはなっていないようです。
では名古屋の街の真ん中にこの塔が完成したのはいつでしょう?資料によれば1903年(明治36年)に竣工式が行われたとのことです。そうするとこの塔の工事と市電の延伸工事はほぼ同時期に行われていたことになります。躍動する明治の息吹を感じると言ったら大袈裟でしょうか?
※参考:
*西尾林太郎「碑・玩具・版画に表現され、記録された日清戦争 ―新たな教材と資料を求めて― (PDF) 」 『現代社会研究科研究報告』第1巻、愛知淑徳大学、2006年3月、 71頁-88頁、2014年5月12日閲覧
*沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第2講 覚王山の広小路遺跡 第3回「逝く者は終に還らず」 作成日:2008年12月19日