2020年12月16日 21時01分
樺太・大泊。
本土から樺太への玄関口。
稚内からの連絡船。「樺太大泊名所 樺太の玄関大泊港駅出船間際の連絡船亞庭丸」。大泊港の桟橋に駅があり、それが大泊港駅(で間違いないはず)。
この線路は桟橋の大泊港駅に向かっていた。
樺太大泊市街 銀座街(栄町)。
さて時代の特定。亞庭丸が稚泊(ちはく)航路に就航したのは1927年(昭和2年)。それ故それ以降の撮影で間違いありません。
大泊市街軌道。「樺太要覧 昭和15年(昭和16年 樺太庁発行)」の『第八章 交通通信 第一節 交通 軌道』によれば大正13年(1924年)、大泊船見町~楠渓町間で開通。ただ昭和3年(1928年)には休止。つまりこの写真はその数年の撮影であることは間違いありません。
一方、左上のスタンプ「香川県教育会主催 視察旅行」。流石にこれをヒントに検索しても手掛かりなし。
ところでこれまでUPした大泊の絵はがきとこの絵はがきではキャプションが右書きと左書きとの違いがあり、同時期の発行とまでは言えないでしょう。それでも街並みを見ればそれほど遠い時期ではないかと推察しています。
さて結論。上3枚の写真については昭和3年~昭和10年頃までで中らずと雖も遠からず(あたらずといえどもとおからず)でしょう。