2020年12月16日 21時01分

絵はがきに見る鉄道史(42)樺太/続 大泊。

樺太・大泊。

本土から樺太への玄関口。

稚内からの連絡船。「樺太大泊名所 樺太の玄関大泊港駅出船間際の連絡船亞庭丸」。大泊港の桟橋に駅があり、それが大泊港駅(で間違いないはず)。

この線路は桟橋の大泊港駅に向かっていた。

樺太大泊市街 銀座街(栄町)。

さて時代の特定。亞庭丸が稚泊(ちはく)航路に就航したのは1927年(昭和2年)。それ故それ以降の撮影で間違いありません。

大泊市街軌道。「樺太要覧 昭和15年(昭和16年 樺太庁発行)」の『第八章 交通通信 第一節 交通 軌道』によれば大正13年(1924年)、大泊船見町~楠渓町間で開通。ただ昭和3年(1928年)には休止。つまりこの写真はその数年の撮影であることは間違いありません。

一方、左上のスタンプ「香川県教育会主催 視察旅行」。流石にこれをヒントに検索しても手掛かりなし。

ところでこれまでUPした大泊の絵はがきとこの絵はがきではキャプションが右書きと左書きとの違いがあり、同時期の発行とまでは言えないでしょう。それでも街並みを見ればそれほど遠い時期ではないかと推察しています。

さて結論。上3枚の写真については昭和3年~昭和10年頃までで中らずと雖も遠からず(あたらずといえどもとおからず)でしょう。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!