2021年01月31日 21時41分
東京/浜松町の世界貿易センタービルディング展望台「シーサイドトップ」が、本日の1月31日をもって営業を終了しました。
鉄道は写っていませんが海側はこんな眺め。
名古屋の方には馴染みの薄い場所かも知れませんが、そこからの眺望のすばらしさはこのブログでも2019年12月02日に書いています。
この写真は再掲。一期一会。
もう一度行きたかった。
出来れば夜!
東京/浜松町の世界貿易センタービルディング展望台「シーサイドトップ」が、本日の1月31日をもって営業を終了しました。
鉄道は写っていませんが海側はこんな眺め。
名古屋の方には馴染みの薄い場所かも知れませんが、そこからの眺望のすばらしさはこのブログでも2019年12月02日に書いています。
この写真は再掲。一期一会。
もう一度行きたかった。
出来れば夜!
NPO法人名古屋レール・アーカイブスでは鉄道の切手などの寄贈を受け、それを保存活用しています。
まずは「鉄道100年記念」。
昭和42年(1968年)10月14日の消印有り。
FIRST DAY OF ISSUE(ファーストデイオブイシュー)。日本語では「初日カバー」。切手収集が趣味の方にとっては馴染み深いものですが、そうではない方には少し遠い存在かもですね。
今日からこうした消印付きの切手を中心に収蔵品の一部を紹介します。しばらくお付き合いください。
東海通の踏切から名古屋港方面。
シートレインランドの大観覧車が見えます。
こちらは名古屋駅方面。どちらも手軽な撮影ポイントは見当たらなさそう。
さてこの踏切の警報灯。おしゃれな街路灯のような形。全方向(全方位)踏切警報灯。
こうした全方向(全方位)踏切警報灯は、その存在は聞いたことがあるものの点滅している所を私は見たことがありません。このタイプの警報機のある踏切をきっとどこかで通過しているはず。…と思うのですが。
かと言って週3往復のこの名古屋港線、しかも運休も結構あると聞いている名古屋港線で見るのは、ダイヤが分かっていてもハードルが高いですね。
JR貨物名古屋港(なごやみなと)線。東臨港線という呼び方の方が私たちの年代には馴染みがあります。
今や週3往復の列車が走るのみとなったこの線の踏切を、今日は見てきました。
その名古屋港線と東海通が交差する踏切。車はちゃんと一時停止していますが、列車がほぼ通らない踏切だけに信号機では駄目なのだろうか?いう気持ちになります。
それはさておき踏切が近づくとこうした「踏切あり」の警戒標識が出てきます。
※国土交通省のウェブサイトで、このタイプの標識が正式にあるのをちゃんと確認しています。
ところが一か所だけ???何か違和感。
非電化の路線に「電車」のマークも何だかなあですが、この標識はJRなのに名鉄電車。
しかもパノラマカーで種別が特急。全国津津浦浦(つづうらうら)の警戒標識で、国が定めていない標識はかなり珍しいかそもそも全国でここだけ?
そしてこの標識のインパクトには絶句!
●この警戒標識の情報は、鉄友のAさんから教えて頂きました。多謝。
東海道五十三次41番目の宿場、宮宿。その宮宿と桑名宿の間は東海道唯一の海路「七里の渡し(宮の渡し)」で結ばれていました。
宮宿の船着場は今は宮の渡し公園(名古屋市熱田区)となっており、市民の憩いの場として親しまれています。私自身、取材で何度かここを訪れています。
海路の港であっても、やや内陸に入っているので羽を休めているのは海鳥ではありません。でも水辺の風景がそこにあります。
1月26日の昼下がり。
公園から新幹線が見通せます。
天候が今一つなので「いざっ」という時のための準備。
北から南方向を見ているので晴れていれば必ず逆光。でも晴れている時に来てみたい。
帰りがけの駄賃。名鉄常滑線神宮前~豊田本町間。
名鉄の本笠寺~本星崎間。桜で知られた場所以外の捜索。これって大事ですよね。
急行豊川稲荷行き。
かつては「用水」だったと思われる水路。水鏡にならないかと挑戦したけど撃沈の1枚。
撮影できる場所が限られるので、皆さんに「おっ!」とか言ってもらえるどころか、残念な写真も紹介するこのブログでしかUP出来ない1枚。
撮影ポイントが出尽くした感がある名鉄沿線。新味はなくとも私にはどこもお初。
自転車鉄の旅は続く。
內田 百閒(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 ~1971年(昭和46年)4月20日)著「阿房列車(あほうれっしゃ)」。
三笠書房刊 1952年12月30日第1刷刊行。
私の手元にあるのはその第2刷。真ん中にある「印」は著者検印。いつの時代まであったか覚えていませんが、見なくなって2~30年は経っていそうです。
価格に「定価」と「地方価」があるのを見たのは、私にとってはこの本が初めてでした。
「地方価」って何だろうと調べたら、国立国会図書館が運営するレファレンス協同データベースに、三田市立図書館 (兵庫県)『書籍の「地方売価」がなくなった年を知りたい』があり、回答欄に『『日本雑誌協会日本書籍出版協会50年史』のWwb版 P.38によると、“1959年9月1日に「全国均一運賃込み販売制」が、書協・取協で取り交わされ、廃止となった。”との記載があった。
http://www.jbpa.or.jp/nenshi/ 「地方売価」は、「地方価格」または「地方価」ともいう。』を見つけました。
書籍が全国一律価格でなかった時代があったことは分かりましたが、それ以上は私はギブアップ。
ところで今回はそうした事ではなく、この本そのものの話。
內田 百閒は小説家で随筆家。で、この本は自身の旅の紀行文(随筆)。この著者は今風に言えば乗り鉄で、鉄道に乗ることを目的にした旅を楽しんでいました。そしてこの本を私は随分前に一部を読んだ記憶があるのですが、シリーズ全作は手つかずです。
さてこの本の価値について一言。なおあくまでも私の私見です。
昭和の時代だけではなく、それ以前でも鉄道そのものの歴史(路線、車両、駅などの施設…)は、公文書などで探ることが出来ます。しかし当時の車内の様子などを記録した公文書はどうでしょう?
サービスを提供する側ではなく、サービスを受ける側から見た駅員さんや車掌さん、食堂車や車内内販売の様子はなかなか見当たらないというのが実情ではないでしょうか?「阿房列車」のシリーズはそうした当時の風俗も描かれており、遠い過去の出来事なのに「へーっ」という感想も持てる興味深い一冊です。
私の鉄道史を研究している知人は、「この一冊を読まずして戦後の鉄道を語るなかれ」というほどの勢いで、それは私にとってもうなずける範囲ではあります。
とまあそんなこともあって現在、絶賛読書中です。
(参考)
この本は、NPO法人名古屋レール・アーカイブスの蔵書です。この会では、鉄道事業者やメーカーに関する資料だけではなく、宮脇俊三氏を始めとした鉄道に関する随筆などの読み物も数は多くありませんが所蔵しています。
そう言えば、昨年(2020年)10月2日が大井川鐵道井川線のアプト式区間の30周年でした。
確か式典があったはずだが…、と調べたら、大井川鐵道のウェブサイトに『なお、10月2日(金)に記念式典を予定しておりましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、来年に延期し開業30周年+1周年記念式典を行う予定です。』とありました。
写真はアプト式区間。
アプトいちしろ駅〜長島ダム駅間の90パーミル区間。
ここまでの写真は2011年11月にこのブログでアップした写真の再掲ですが、井川線については「乗った」時の写真はありますが、列車の撮影はしたことがありません。
今年の10月に「30周年+1周年」のお祝いがてら撮影に行けるようになっていることを願うばかりです。
ところで先着2000名の「記念マイバッグ」はどうなったでしょうか?私としては気になっています。昨年の11月29日に大井川鐵道に撮影に行ったときは時間的に千頭駅まで行く余裕がありませんでした。
笠寺駅界隈で撮影できそうな場所は無いかとしばし散歩。
名古屋臨海鉄道の単機がやってきました。
名古屋臨海鉄道は、笠寺駅から東港へは暫く高架線を走るので、JR笠寺駅界隈でこうした撮影ができるのは多分ここだけ。
次回はちゃんとダイヤを調べて来ようかと思った次第。
笠寺駅構内には東海道本線のコンテナ列車が停車中。多分、1054レ。EF210-2。
「桃太郎ラッピング」、思わず検索してしまいました。勿論、初見。
ということで発車を撮影。JR貨物、攻めていますね。あっ、でも私はこういうのも結構好きです。