2021年01月04日 17時17分

西枇杷島駅(3)謎の階段。

ところで今回の工事をする中で発見もあったようです。

こちらは上り(名鉄名古屋方面)ホーム。仮設で作られたホームの下が何だか階段っぽい。

こちらは下り(名鉄岐阜方面)ホーム。もっと階段っぽい。

この角度の方が分かり易いかも知れない。

西枇杷島駅は元々名古屋電気鉄道津島線の駅として1914年(大正3年)1月23日に開業。戦時中に休止した後、1949年(昭和24年)8月1日に多くの方が知っている今に繋がるデルタ線の駅として営業を再開しました。

※津島線はその後、枇杷島橋駅(今はありません) ~須ヶ口駅間が1941年(昭和16年)8月12日に「名岐線」となり、その「名岐線」は 1948年(昭和23年)5月16日に「名古屋本線」に名称変更しています。

今回この西枇杷島駅の歴史に触れたのはこの階段の歴史を紐解くため。

で、ここからは推察になるのですが、それは「開業時のホームの遺構」が発掘されたのでは…、ということ。開業時の西枇杷島駅は2両編成用のホームがあったとのことで、それを戦後の営業再開時に4両編成が停まれるように工事をしており、その際、階段を埋めてホームを伸ばしたというのが、この階段の存在を私に教えてくれた方の考察です。

かなりの確率で合っていそうだと私も思っています、

この地図は1915年(大正4年)1月1日発行の「名古屋附近交通地図」(発行:扶桑新聞)。今日のブログの投稿が、この地図にある「西枇杷島駅」が今に蘇ったという歴史浪漫であることを私は祈っています。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!