2021年02月18日 22時39分
東海道電化完成記念郵便切手。
1956年(昭和31年)11月19日発行。電化にあたり、最後まで非電化だったのは米原~京都間。
EF58が牽く特急「つばめ」「はと」。当時の日本最高峰の列車です。
こうして書いていて思ったのは記念切手が発売されるという事は、やはりそれがその時代を象徴するような出来事であったという事。今、書きながら鉄道史をおさらいしている気分です。
東海道電化完成記念郵便切手。
1956年(昭和31年)11月19日発行。電化にあたり、最後まで非電化だったのは米原~京都間。
EF58が牽く特急「つばめ」「はと」。当時の日本最高峰の列車です。
こうして書いていて思ったのは記念切手が発売されるという事は、やはりそれがその時代を象徴するような出来事であったという事。今、書きながら鉄道史をおさらいしている気分です。
NPO法人名古屋レール・アーカイブスに寄贈された切手と消印。
こうしたファイルに整理しています。
北陸トンネル開通記念。
北陸トンネルは1962年(昭和37年)6月10日、北陸本線の敦賀~南今庄駅間に開通しました。全長13,870 メートルは当時、日本で最長のトンネルで、今も地上にある狭軌トンネルでは日本最長です。
消印はED70形交流電気機関車。
切手のキハ82は大阪~青森、上野を結んだ特急「白鳥」。どちらも北陸本線の歴史の生き証人。
国鉄七尾線。1935年(昭和10年)7月30日、津端~輪島間の全線が開通。
1987年(昭和62年)4月1日、国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道が継承。
その後、1991年(平成3年)9月1日に和倉温泉駅 ~輪島駅間がのと鉄道に経営移管され、2001年(平成13年)4月1日 に穴水 – 輪島間が廃止されました。
輪島郵趣会発行で、廃線でも第三セクター化でもないので、ここまでに紹介してきたローカル線の三セク化とは趣が異なります。
使用されている「さようなら鉄道郵便」の切手は同年の1987年3月26日の発行。タイムリーと言えばタイムリーな切手です。
中面はこんな感じ。数字の枠が並んでいますが、恐らくそこにその金額の切手を貼るようになっていたのではと推察しています。
昨日の続き。
「開業」あらば「さようなら」あり。
「さようなら国鉄明知線」、発行明知線沿線郵便局。
中を開くと「明知駅」の駅名標あり。あれっ?「明智駅」ではないの?
実は国鉄時代は「明知駅」だったのです。もっと言うと国鉄明知線開業時、明知は「明知町」でした。その後、町村合併で「明智町」となったのですが、「明知駅」が「明智駅」になることはなく、第三セクター「明知鉄道」の開業にともない、駅名は地名に合わせることとなりました。
そんな歴史の一端を感じるこのページ。
消印は「風景印」。恐らく特別なものというより、これまで使っていたものではないでしょうか?
そして、、、「▼キハ52型DL」はまあご愛敬と言うことで。
明知鉄道開業記念切手帳。
国鉄明知線が第三セクター明知鉄道として開業したのは1985年(昭和60年)11月16日。
ところでこの右上の消印の「串原」。今は岐阜県恵那市串原ですが、当時は恵那郡串原村。明知線の終点、明智駅のある恵那郡明智町(今は恵那市明智町)から更に南東方向に向かった人口1000人ほどの村で、東海3県の市町村を仕事でかなり回った私でさえ、この村に足を踏み入れた事はありません。
ところで岐阜市からこの村に向かうには明智経由が唯一の選択肢でしたので、この消印があるのは何も不思議ではありません。
ただ名古屋から串原に向かう際は、実際には豊田市経由で向かう事になります。私の知人に串原出身の方がおられ、『恵那市になったけど「恵那市」の中心地に行ったことが無い』と笑っておられました。
祝 天竜浜名湖線開業。
消印は「天竜浜名湖鉄道開業」。1987年(昭和62年)3月15日が開業日。
奥浜名の観光とSL紹介記念切手帳。
よく見ると消印のデザインが少しずつ違います。それぞれの「名物」がモチーフでしょうか?「天竜浜名湖鉄道沿線郵便局」のこの鉄道に対する期待と、各郵便局の意気込みを感じます。
ところで今回の「切手と消印」シリーズを始めてから、今回のような鉄道開業記念の記念郵便物があることを改めて知りました。それも結構な数あります。と言ってもNPO法人名古屋レール・アーカイブスで所蔵しているのはきっとその一部。もう少しこのシリーズを続けます。
昨日の名鉄常滑線の続き。というか同じ場所で振り向くと名古屋臨海鉄道。
東港駅を14:00発の石灰石列車。
この辺りでは南北に走る名古屋臨海鉄道ですので、午後は逆光。
撮影した日は晴れ。空がきれい。
ここに来て分かったのですが、沿線だけではなく東港駅を撮影できる場所も限られている。と、思いました。
ND55210が、コンテナを牽いて戻ってきました。
一見単機ですが、先頭のコキのコンテナが空なのでそう見えるだけです。この次のコキにはちゃんとコンテナが乗っていました。
次回はこの大江川橋梁で、順光での撮影をしてみようと思っています。
名鉄常滑線大同町駅界隈。高架駅を目指して上がっていく準急/中部国際空港行きと駅に停車中の準急/新可児行き。
大江川を渡る鉄橋。
こちらは下り電車。前の写真は上り電車。どちらにしてもあまり代わり映えがしないですね。ただのんびりした感じは結構気に入っています。
目の前には水鳥がいて、「電車に近づいてくれ」とお願いしていたものの、見事に無視されました。
昭和22年(1947年)は、日本の鉄道が明治5年(1872年)に開通してから75年の節目の年でした。
NPO法人名古屋レール・アーカイブスに寄贈された記念切手、記念の消印で一番古いのがこれ。
切手は弁慶号。開通時の1号機関車ではなく弁慶号。ひょっとすると1号機関車よりこちらの方が世間に知られていたのかも知れませんね。
一方、消印はEF57(で、間違いないはず)。鉄道省が太平洋戦争前に製造した最後の旅客用電気機関車で、国鉄になったからも東海道本線の客車の先頭に立っていました。
それにしても戦後の昭和22年にしてこうした記念切手、消印が発売されているという事は、すでにその頃、ある程度は混乱の時代を抜けつつあったという事ではないでしょうか。
1974年11月26日、門司の消印。
同じシリーズの②。
SLさよなら記念第2集。1975年2月25日の日付で消印の場所は盛岡。
「SLさよなら記念」はシリーズとなっていました。NPO法人名古屋レール・アーカイブスで所蔵しているものが全てかどうかまで私の知識が追い付いていないのが残念です。
もっともSLさよなら運転のご当地での、まさにずばりの日程で発売されたという事はなさそうです。このシリーズについてはまた暫くしてから調べなおすつもりです。