2021年03月08日 12時00分
昨日の続きです。
https://www.town.horonobe.lg.jp/www4/section/jumin/public/le009f000001hwoa-att/le009f000001jop1.pdf
幌延町役場では上幌延駅と安牛駅の古い写真を探しています。
平成17年(2005年)までに撮影されたものは既に締め切られていますが、平成18年(2006年)以降に撮影された写真は今月末が締め切りの予定です。なおこの情報は「広報誌 ほろのべの窓2020年9月号」に掲載されたもの(上記URL)です。
それにしても時代だなあと思うのは、全国の広報紙がネットで見られること。自分たちは凄い時代を生きていると改めて実感。
同じ幌延町内の雄信内駅(おのっぷないえき)。
幌延町のウェブサイト『幌延町内における宗谷本線「極端に利用の少ない無人駅」に係る町方針について』にあったこの駅を存続するに至った理由は下記の通り。
*雄信内駅:宗谷本線の歴史を伝える国鉄型木造駅舎の希少性について考究が必要なこと
雄信内駅は1925年(大正14年)7月20日、現在の宗谷本線(当時は手塩南線)の駅として開業しました。その後、1953年(昭和28年)に改築されているとの記述を見つけましたが、「改築」なので大正時代の建物が残っている部分があるのかも知れません。ただ幌延町役場の資料には「国鉄型木造駅舎」とあるので、改築は大がかりであったものと推察しています。
この駅での定期列車の行き違いは朝の下り4321Dと上り4324Dの1日1回です。冬期、上りラッセルが走る時は(ダイヤ通りであれば)10:14頃、4323Dとラッセルがここでこのように交換を行っています。もっともこの光景がダイヤ改正後もあるかどうかは定かではありません。
この風景は、私が初めて北海道を訪れた1974年(昭和49年)の頃からきっと変わっていない。そしてこうした風景は当時、各所で見られたのですが、言われてみれば既に希少価値があるのではと幌延町役場の記述に納得しています。
幌延町が予算にゆとりがあるとは言えない中で、それでもこの駅を残すと判断したことにまずは敬意を表したいと思います。明治、大正期の建造物の保存は、比較的保存理由が分かりやすいのですが、「昭和」の産業遺産の保存は意外とハードルが高いのでは?もっともこれは私の個人的な感想です。