2021年06月10日 11時33分
名古屋市役所のウェブサイトに『国指定文化財(建造物)一覧』というサイトがあります。
これは国指定重要文化財のことであり、名古屋市内であれば名古屋市庁舎、愛知県庁舎などがあり、そこに「東山植物園温室前館」も載っています。
以下、文化庁の国指定文化財データベースからの転載。
『名古屋市東山植物園温室前館は,園内の中核施設として市土木部建築課の設計により,昭和11年に建設された。
平面は,中央ヤシ室,東翼のシダ室及び西翼の多肉植物室を東西の花卉室で繋ぎ,中央ヤシ室の正面中央に玄関を張り出している。
構造は,基礎と腰の部分を鉄筋コンクリート造とし,アングル材を主とした鉄骨で架構をつくり,ガラスを張る。架構の主要部は全て電弧熔接により施工されている。
名古屋市東山植物園温室前館は,我が国最初期の本格的な鉄骨造温室建築として重要であり,鉄とガラスによる建築物の造形的特質を良く示している。また,我が国最初期の全熔接建築物として建築技術史上,高い価値がある。』
指定されたのは2006年(平成18年)12月19日。その当時の印象があまりないので申し訳ありませんが、今回はその保守修理工事が終わったというニュースがあって、初めてこの建物が重要文化財だと知りました。
学校の遠足で入り、それ以降、多分数度は入っているものの前回いつ行ったのかは記憶がありません。が、それでも1歩足を踏み入れれば私にとっては昔と変わらぬ姿。
東山動植物園の内、植物園が開園したのは1937年(昭和12年)3月3日。(※東山動植物園公式HP)
※「東山植物園温室前館」の完成はその前年。
当時の絵葉書「名古屋名勝」に入っていた8枚の写真の一つが「東山植物園温室前館」。名古屋城、大須観音、日泰寺などと並び、名古屋を代表する観光地だったという証となります。
この昭和12年という時代の名古屋は、昭和9年に人口が100万人を突破(※名古屋市役所のウェブサイト)し、東洋一の駅舎と言われた名古屋駅(今のJR名古屋駅)が開業(それまであった笹島から線路を高架化して移転)。そして入場者数が480万人と言われた「名古屋汎太平洋平和博覧会」の開催と、勢いがあった時代だったと思います。
ところで今回、「東山植物園温室前館」を紹介したわけ。
目の前を走るモノレールを撮影出来る。
ではなく、名古屋市内の公共交通を語る上で、重要な場所だからです。
当時の名古屋市電が東山公園に達したのは1937年(昭和12年)2月27日。名古屋市営地下鉄東山線が東山公園まだ開業したのは1963年(昭和38年)4月1日。
来年(2022年)は名古屋の市営交通の100周年。今私は、それがあって名古屋の公共交通機関の歴史を調べ始めています。
もしも東山動植物園がこの地につくられなかったら、それでも名古屋の町は東に膨張していったのでしょうか?そんな歴史の「もしも」を妄想しつつ今日はこのブログを書いてみました。