2021年07月17日 14時35分

名古屋鉄道株式会社の御乗車記念(の絵はがき)。番外編。

この7月8日~10日で紹介した名古屋鉄道御乗車記念(の絵はがき)。

この件で昨日紹介させて頂いた岡崎市在住の地方史研究家/Fさんからアドバイスを頂きました。

名古屋鉄道の前身の一つである愛知電鉄の「御乗車記念絵葉書」。

絵はがきにあるのは聚楽園大仏、三河三弘法、熱田神宮、豊川稲荷、時志観音、鳳来寺、南知多、鳴海球場、新舞子海岸、岡崎公園、新箱根ドライブウェー、天竜下り。

愛知電鉄が名古屋鉄道となったのは1935年(昭和10年)。よってこの絵葉書はそれ以前の発行。ただ、豊橋駅は1943年(昭和18年)まで吉田駅を名乗っており、この絵はがきでは正式な駅名より一般市民の分かり易さを優先させたものと思われます。

河和線(当時は知多鉄道)の成岩~河和口間が開業したのは1932年(昭和7年)なので、この絵葉書はそれ以降の発行。

ただ要注意は、愛知電鉄が名古屋鉄道となったのは先に書いたとおりで昭和10年ですが、知多鉄道が名古屋鉄道に吸収されたのは1943年(昭和18年)の事です。

それはともかくここでの考察は、

1)一枚の絵はがきにいくつもの観光地が紹介されていること。

これは7月10日に紹介した絵はがきの再掲ですが、これまで私が見てきた絵はがきは1枚1箇所が一般的で、複数箇所の紹介があっても精々2~3箇所です。ということから名古屋鉄道の絵はがきは愛知電鉄の絵はがきのスタイルを踏襲したものと推察されます。

2)絵はがきに選ばれた場所は必ずしも同一エリアではない。

この写真は天竜下りですが、当時まだ飯田線は全通していません。大嵐駅 – 小和田駅間 (3.1 km) が延伸開業して現在の飯田線が全通したのは1937年(昭和12年)のことで、この絵はがきが発行されたと思われる昭和9年頃ではまだつぎはぎ状態で、豊橋からの観光には適していません。もっとも長野県飯田市の「天竜川下り」ではなく、今の「中部天竜」駅の近くでそれがあったのかも知れません。

また合わせて愛電沿線図に、「佐久間」の先に「中部」があることについても今は調べ切れていませんのでここまでとします。ところで何が言いたいかなのですが、どうやら愛電でも名鉄でも、1枚の絵はがきに紹介されているのが同一エリアで無い可能性があると言うことです。

    

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    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!