2021年08月18日 22時02分
1896年(明治29年)6月19日号の時事新報。
その中に、愛知馬車鉄道の広告あり。
もともと名古屋市内初の公共交通は、「馬」が車両を牽く鉄道での開業を目指しており、会社の名前も愛知馬車鉄道でした。
しかし明治29年、この広告にあるように馬車鉄道ではなく、電車が走る電気鉄道での開業を目指すこととし、1898年(明治31年)に(名前を変えた)名古屋電気鉄道によって笹島~県庁前(今の栄付近)が開通しました。
その後今を去ること99年前の1922年(大正11年)8月1日、名古屋電気鉄道の名古屋市内の軌道事業を名古屋市が買収。運営を行ったのは名古屋市電気局(後の名古屋市交通局)。名古屋市営の公共交通の歴史はこうして「市電」から始まりました。
なおこの画像はその年に名古屋市が発行した「電鉄市営記念絵葉書」の1枚をトリミングしたものです。
同じ絵葉書から、こちらは市電の路線図。今もこの路線があれば、どの辺りに走っていたかが一目瞭然なのですが、残念ながらそうはなりません。ただ当時の名古屋市営の交通網を少しでも感じて頂ければと思います。
と、何とも前置きが長くなりましたが、つまり来年は名古屋の市営交通100周年の記念すべき節目の年。
そこで今、地下鉄東山線名古屋駅の藤が丘駅方面行きのホームにある広告スペース、ビッグウォール(壁面広告と柱巻き)を使い、市営交通100年のPRがされています。
とはいうものの目立つのは名古屋グランパスの「鯱の大祭典」。実は今回のPRの主役はこちらで、市営交通100年も一緒に盛り上げようと、コラボしているそうです。
ところで今回、この話を詳しく書いている理由ですが、私が会員となっているNPO法人名古屋レール・アーカイブス(NRA)所蔵の写真が一部使われていること。
名古屋市が所蔵している写真に付随して、NRA所蔵写真が役に立っていることは、アーカイブズの役割を果たすことが出来、有難いことと感謝しています。
どの写真が名古屋市所蔵であるとかNRA所蔵という事ではなく、全体で名古屋の市営交通の歴史の一端を感じて頂ければ幸いです。