2021年10月04日 18時30分

名古屋の鉄道136年史(1)その前に、江戸時代の名古屋の街。

来年2022年は日本に鉄道が開業して150年、そして名古屋に市営交通が誕生して100年の記念すべき年です。

まず日本の鉄道150年ですが、 日本で最初の鉄道が新橋~横浜間に開通したのは明治5年(1872年)10月14日。

(開業時の日付は太陰暦の9月12日)

そして名古屋市営の交通機関の登場は大正11年(1922年)8月1日。当時、名古屋市内の路面電車を走らせていた名古屋電気鉄道(現在の名古屋鉄道の前身)の路線を市営化したものです。

そうした鉄道に関する2つの節目を迎えるに当たり、このブログでは名古屋を中心としたエリアの鉄道の歴史を振り返ってみることにしました。内容は私個人とNPO法人名古屋レール・アーカイブスが所蔵する資料類を中心に調べたものです。ただあくまでも私が知る限りを書く私家版であり、歴史の検証が十分に行えない部分もあるかと思います。その点はご容赦下さい。

ところで名古屋に最初の鉄道が開通したのは明治19年(1886年)3月1日。現在の東海道本線熱田駅~武豊線武豊駅間の開通によるもので、名古屋駅(開業時は名護屋駅。1887年4月25日に改称)まで線路が伸びたのは同年の5月1日のことでした。そこで本シリーズのタイトルは「名古屋の鉄道136年史」とし、来年の3月1日のゴールを目指します。お付き合いのほどお願いします。

第1回の今日はまず江戸時代の話し。

そもそも公共の交通機関っていつからあったのでしょう?思いつくままですが、当時の人の移動手段は徒歩か駕籠(かご)か馬、もしくは船。こんなところでしょうか?ということでまずは江戸時代を俯瞰。

「尾張志付図(尾張図)名古屋市蓬左文庫蔵 」(名古屋市博物館特別利用許可あり)

19世紀(1800年代)の愛知県尾張の地図で、現在と形はほぼ同じです。コピーなので解像度が低く地名が読めないのはご容赦頂き、それでも道路らしき線が張り巡らされていることは何となく分かります。

「尾府名古屋図 名古屋市蓬左文庫蔵」(名古屋市博物館特別利用許可あり)

正徳4年(1714年)頃の名古屋城下の地図で、一応、今の栄付近にチェックを入れてあります。市街地の部分は何となく読み取れると思いますが、今でいう名古屋市中区の範囲とお考えください。

市街地は名古屋城の南側で、西は堀川を越えたところまで。東は目印がないので分かりにくいですが、今のJR千種駅辺りまでで、そこから先の人家はまばらです。

赤の枠で囲ったのが江戸時代の「広小路」。今もある広小路で、地図でもその部分だけ、道路が太く描かれているのが分かります。右端が栄交差点付近で左端は長者町通り(地下鉄伏見駅の東の辺り)。そこから先、左方向に道路が延びていますが、堀川を渡る納屋橋まで広小路が達していません。

当時の名古屋の街のイメージが湧きましたでしょうか?文明開化の明治時代が始まる明治元年(1868年)頃でも名古屋の街は江戸時代からあまり変わることはありませんでした。

(このシリーズの年号表記について)

私のこのブログでは年号を表記する場合、西暦を先に書き、元号を括弧書きで入れることを標準にしています。ただ今シリーズに関しましてはそれを逆にして元号を先、年号を後にします。まあ小さな拘りということで…。

    

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    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!