2021年10月05日 15時58分
昨日はいきなり古地図でしたが、そもそも鉄道と地図は切っても切れない相関関係にあると言えます。
これまで廃線となった鉄道路線はあまたありますが、その時になり地元の方が語る言葉に「地図から街が消える」がありました。一方、新たな鉄道を敷くことは新しい地図を作ることと言ったら言い過ぎでしょうか?
私の個人的感想です。
さて今日は江戸時代に旅をする人が見たのでないかと思う地図。
天保13年(1842年)「 東海木曽両道中懐宝図鑑」
江戸時代、江戸と京都を結び日本でもっとも重要な街道であった「東海道」を中心とした案内地図。今風に言えば旅行ガイドブック。
「宮」は今の熱田区。上部には「名古屋城」。また後日書きますが、東海道五十三次の「宮」の宿は当時、名古屋というくくりの中に入っておらず、宮の宿のある「熱田」の地が名古屋になるのは明治40年(1907年)の事です。
嘉永5年(1851年) 「旅中必携五街道中獨案内記 岡村屋庄助板」
雰囲気は先の地図と同じ感じ。
宮(熱田)界隈の名所と言えば「熱田神宮」であり、何よりこの地が「名古屋の入り口」であることが見て取れる「図」です。
慶応元年(1865年)「大日本行程大絵図」。その名古屋界隈を切り取ってみました。
さて今日の3枚の地図で、メインストリートとしての「東海道」を始め各地を結ぶ「線=道路」が描かれています。江戸から明治の時代へと進む中で、その線をなぞって鉄道が開通していくのかどうか?もしくは今ある鉄道網と江戸時代の街道との相違点は?結論から言えばいろいろなパターンがあります。の一言です。ざっくりすぎて申し訳ありません。
ところで今日の3枚の地図は地図と言うより絵図というのが相応しいですね。時刻表の路線図もデフォルメされていますが、これらはそれ以前の話しです。昨日UPしたのは今日と比べ、地図らしいものです。
それはともかく私は地図を見るのが子供の頃から好きで、それは今も変わりません。それもあって今回、このシリーズの下調べでは江戸から昭和にかけての地図をしこたま見ており、時間がいくらあっても足りません。
(余談)
図中に「尾張」という旧国名が書かれていますが、「尾張」という国名は実は「旧」ではなく今も生きているということを地図研究家の今尾恵介さんから教えて頂きました。
『法令によって廃止・禁止されたわけでもないので、現在も当然使用可能であり、「旧」と付ける必要もない。』これはWikipediaの「旧国名」の記事。
『廃藩置県の完成の結果、3府43県が確定して都道府県の区域が旧の国を上回る規模となるとともに、旧の国はしだいに一般的な地理的区分としても意識されなくなっていった。』
こちらは愛知県庁政策企画局企画調整部企画課のウェブサイトにあった『2 「旧の国」のまとまりについて』の記述。
「廃藩置県」はあったが、「国名」の廃止はされていないことを物語っており、もっともだから愛知県でも尾張と三河は、、、というのは止めておきましょう。