2021年10月11日 11時55分

鉄印帳の旅(17)摩周丸に乗船。

函館本線0マイル地点紀念碑を横目に歩いている。

目指すは函館市青函連絡船記念館摩周丸。

『1988(昭和63)年3月13日の青函連絡船最後の日まで運航していた摩周丸を実際の乗り場であった旧函館第二岸壁に係留・保存して公開しています。』と摩周丸の公式サイトにありました。この日、函館駅から道南いさりび鉄道木古内行きに乗るのは15:15。摩周丸は1時間少々あれば見学できると思い乗船することにしたのです。

青函連絡船。学生時代の私にとって北海道は「津軽海峡冬景色」を口ずさみながら船で渡る地。ただ就職してからは飛行機で渡道しており、青函連絡船を使うことはありませんでした。

私にとっての青函連絡船歴。

1974年(昭和49年)2月8日に大雪丸、同年2月24日に羊蹄丸。

1977年(昭和52年)2月10日に十和田丸、同年2月25日に松前丸。

計4回の乗船で同じ船に乗ったことがないのはある意味奇跡かも知れませんが、今思えば摩周丸に乗船していればこの日の見学も違った気分になったのかも。

座席は一部が残されていますが、ここには座っていないはず。

私にとっての青函連絡船はこの桟敷席。上の乗船日をご覧頂ければ分かりますが、何せ真冬の季節。日中の便でも外は吹雪で景色はなく、それでもダッシュで窓際の席(席ではなく場所ですね)を取りに走り、そこにへばりついてただただ時間の通り過ぎるのを待っていました。

とか感傷に浸ろうかと思っていたら、修学旅行生の一団に想いを一蹴されました。でも修学旅行に来られて良かったね。

昭和の時代には入れなかった操舵室。しばし船長気分。

コンパス甲板に上ってみた。10月とは思えない暖かさ。

出入りする船を見ていて気付いた。ほぼ正面に縦に短い白い線が1本ある。

末広町電停からほど近い「八幡坂」に間違いない。と確信。

ということで市電の撮影に成功。

念のため写っていますよ!と証拠のためのトリミング。

こちらは函館駅の近く。電車の時間は函館市電のウェブサイトに出ていますのでそれが参考になります。

2016年6月11日に八幡坂から撮影した写真。これを事前に見ていれば摩周丸からこの坂が見えると分かったのでしょうが…。

参考までに道路ですので、電車の前を通る車は避けられません。またファインダーを覗きっぱなし、カメラを構えっぱなしでその瞬間を待ち続けることは、私の年齢では厳しいことを悟りました。それゆえ「いつ通過していったのだろう」は数度あり。

最初はどこか手近なところで市電を撮ろうと思っていたのですが、この機会を逃せば摩周丸に来ることは無かろうとばかりにやってきました。結論から言えば来て良かったの一言です。

ついでの函館駅前チョイ撮り。記録写真。

画面構成の勉強中。せめてもう少し空を入れ、左に余裕を持たせた方が良かったと思った一枚。これにて函館市電の撮影終了。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!