2021年11月02日 22時57分
「東京真画名所図解 髙縄鉄道」井上安治作 明治15年(882年)頃?
この浮世絵には海中の土盛りを走る列車が描かれています。
その事実はつとに知られていましたが、その後の日本の発展で東海道本線を取り巻く環境は大きく変わり、いつしか「海上鉄道」は忘れられていきました。
それが昨年、JR東日本が高輪ゲートウェイ駅前を中心に進める品川再開発計画の工事現場で、何と「高輪築堤」が出土したのです。日本最古の鉄道の線路跡とも言える「高輪築堤」、その存在意義とは?
**************************************
(東京都港区のホームページ 2021年5月24日更新から転載)
高輪築堤跡/高輪築堤は、明治5(1872)年にわが国初の鉄道が開業した際に、海上に線路を敷設するために築かれた鉄道構造物です。平成31(2019)年4月、品川駅改良工事の際に石垣の一部が発見されました。
**************************************
(文化庁のホームページ 2021年8月23日更新から転載)
令和3年8月23日、東京都港区にある高輪築堤跡を史跡に指定すべきとの答申が文化審
議会から文部科学大臣に提出されました。
1.高輪築堤跡とは
明治5年(1872)9月12日、日本初の鉄道が新橋・横浜間に開業しました。東アジア初の鉄道の総延長は約29kmあり、そのうち約2.7kmは、海上に堤を築いてレールを敷き、その上を蒸気機関車が走りました。この海上鉄道敷の遺構が「高輪築堤跡」です。
なぜ海の上にレールを敷いたのでしょうか。それは、鉄道用地の取得が困難な地域を避けて鉄道を通すためです。政府が明治2年(1869)に鉄道建設を決定した後も莫大な建設予算の前に反対する人々が多く、加えて、平坦地の少ない東海道沿いには旧薩摩藩邸や兵部省の軍用地があったのです。
******************************************
それにしてもこの思わぬ発見は想像以上(異例)の速さで史跡指定されたのです。
では当時の東海道本線はどれほどの海際を走っていたのでしょう。ならば調べてみよう!
「日本写真帖」田山宗尭 編(明治45年(1912年)1月/ともゑ商会)
恐らく発行時期に近い明治末期頃の撮影を思われる品川停車場。東海道本線が、明治末期にあってもまだ海際を走っていたのは意外な発見でした。
「国鉄80年 機関車の発達」著者/本島三良・臼井茂信(昭和27年(1952年)/交友社)
前の写真より少し開業時に近い明治33,34年頃と思われる品川駅構内。機関車は後の国鉄1850形となるC形タンク車。
さて話しは海中鉄道に戻します。
「新橋横浜間鉄道之図」(国立公文書館デジタルアーカイブ)
国立公文書館で保管されている(開業時の)新橋駅~横浜駅間の鉄道地図。もっともこれでは何か良く分かりませんね。
右端が新橋駅。
左端が横浜駅。そして…。
高輪海岸~品川駅にかけて、線路は確かに海の中を走っていました。
話しには聞いていたものの、『本当のところはどうだったの?」とか言う疑問が湧いてきて国立公文書館のウェブサイトを探りました。それにしても東京まで行かずに公文書を探して見られるという時代が来るとは本当に驚きです。何せ先人の鉄道史研究者の方は皆さん、東京まで足を運んでいたのです。
それはそれとして歴史探訪は本当に面白い。
※「日本写真帖」「国鉄80年 機関車の発達」はNPO法人名古屋レール・アーカイブスの所蔵資料です。