2021年11月24日 23時16分
明治19年(1886年)5月1日、官設鉄道の名護屋駅(翌明治20年4月25日、現在の名古屋駅に改称)として開業しました。
昭和17年(1942年)発行の「鉄道温故資料」(名古屋鉄道局総務部)に掲載されていた初代名古屋駅。
所有者名に高橋正照氏とあり、この本の出版時にその方からお借りした物と思われます。ところで初代名古屋駅の写真は、これしか見たことがありません。私が探した限りですが、オンリーワンでまず間違いありません。
何故ならば開業から僅か五年後の明治24年(1891年)10月28日、巨大地震「濃尾地震」がこの地方を襲い、駅舎が倒壊してしまったからです。
明治の時代ですので、写真そのものの希少性はあるのでしょうし、結局地震もあってこれ1枚しか残せなかったような気がしています。
ところで駅を倒壊させるほどの地震「濃尾地震」はどれほどの地震だったのでしょうか?
『内閣府/防災情報のページ/災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成 18 年 3 月/1891 濃尾地震』
にはこう記述されています。
<概要>
1891 年 10 月 28 日に発生した濃尾地震は、マグニチュード8.0と推定される過去日本の内陸で発生した最大級の地震であった。岐阜県美濃地方においては地表に明瞭な断層が発生し、その比高は 6 メートルにもなった。特に震源に近い地域においては近代建築が倒壊したのに対し、伝統的な土蔵が残った。
<教訓>
濃尾地震は、近世から近代への過渡期にあって、復旧のための資材、人員等の不足に悩まされながらも、マスメディアによる情報伝達、近代行政システムによる迅速な救援、地震原因の科学的研究、減災のための耐震建築の研究など、今日の地震対策の原型をつくり、その発展の方向を決定することとなった。この地震を機に「震災予防調査会」が設置された。現在においてもなお地震は避けがたい災害ではあるが、今後とも減災のための努力を続けなければならない。
新愛知社(名古屋市)が明治24年(1891年)に発行した「地震聚報 全」にその記録が残っています。
これは絵として残されたものですが、
写真でもその被災状況が伝わってきます。もっともそれほど甚大な被害とならなかった建物も中にはありますが、これを見れば名古屋駅が倒壊したのも頷けます。
この本の中の名古屋停車場の記述です。
この波形を見て、それがどれほどの大きさであるのかは分かりづらいですが、地震の激烈さは理解できます。
日本国有鉄道百年史 第2巻(昭和45年/1970年4月1日 日本国有鉄道) 229ページ
参考までに鉄道関係では、長良川の鉄橋の一部が崩落している写真が残されています。初代名古屋駅舎。その前には大きな水たまり。低湿地に作られた名古屋駅の立地が見てとれます。
乗客が使う駅舎の右側の大きな建物は貨物扱所でしょう。たった1枚残った写真。それでもこうして残っていることで、鉄道開業時の名古屋市の様子を窺い知ることが出来る貴重な1枚です。