2021年11月25日 23時25分

名古屋の鉄道136年史(10)名古屋駅の位置と東海道本線の経路の謎

さて名古屋駅はどのようなところに作られたのでしょうか?そして東海道本線はどうして今の場所を走ることになったのでしょう?

国土地理院 125,000デジタル標高地形図(名古屋)

これで名古屋エリアの各地の高度が分かります。

名古屋駅界隈をトリミングしてみました。その色から標高がとても低い土地であることが分かります。ところでそもそもどうしてこのように標高の低いところに東京と京を結ぶ日本で最重要の幹線の線路が敷かれたのでしょう?

全体図に現在の東海道本線の位置を赤線で描いてみました。

金山駅を中心としたトリミング。

赤線の南北の高台は熱田台地と呼ばれており、当時の市街地はその上にありました。よく見ると東海道本線は熱田台地が狭くなったくびれの部分を堀割にして通っています。

つまり明治に開業した鉄道は、当時の市街地であった高台に上がることなく、それを避けるように線路が敷かれているのです。

「国鉄80年 機関車の発達」著者/本島三良・臼井茂信(昭和27年(1952年)/交友社)

明治30年代の東京/新橋駅の様子。

「国鉄80年記念写真集 車両の80年」編集者/日本国有鉄道工作局(昭和27年(1952年)10月14日/鉄道博物館)

鉄道草創期を走った蒸気機関車は見かけ以上に非力で、坂道は可能な限り避ける形で線路は敷かれたのです。

もっとも市街地の中心に線路を通すことは、明治の御一新の時代であっても住民の反対は避けられなかったでしょうし、住居などの立ち退きなどを考慮すれば、市街地の縁(へり)に線路を通すのが現実的な選択であったと私は考えます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!