2021年11月10日 14時25分

京都市/梅小路公園。

京都駅からJR山陰本線で1駅、京都鉄道博物館の最寄り駅である梅小路京都西駅下車。改札口を出て左に向かうとそこが梅小路公園です。1995年(平成7年)の開園とのことですが、2014年に市電広場が開設され、京都市電の展示が始まってから一度足を運んで見ようと思っていました。

梅小路京都西駅を出てすぐのところに置かれている2001。今にも動き出しそうなほど綺麗な状態です。

梅小路公園名物、京都電氣鐵道株式会社~京都市電で活躍し、昭和36年(1961年)に廃車となった27号。2014年からリチウム電池で動く動態保存化され、架線はありませんし、集電用のポールも上げていませんが、今の時期は土日祝の10:00~16:00の時間でこうして走っています。短い区間ではありますが乗ることも出来ます。

ところでこの27号、大正7年(1918年)7月,京都電氣鐵道株式会社の市営化に伴い移譲された136両の内の1両で、但し27号と言っても、京都電氣鐵道時代の27番目に作られた電車ではなく、昭和30年(1955年)に当時の残存車両28両に対して行った1~28号の連番への改番後の数字です。

※京都市営化時に、製造時に関する資料が無かったのか136両全ての製造年月日が不明。

(参考:京都市交通局ウェブサイト/市電保存館 on WWW (狭軌I型~2000型))

お子さん連れの方の乗車が殆どなので、大人が一人で乗るには勇気がいりますが、是非お試しあれ。

こちらは市電ひろば。4両の市電が「市電カフェ」「市電ショップ」となっています。「市電ショップ」はいわゆるお土産屋さんとお考え下さい。

ここに遊びに来る多くの市民の方にとって、「市電」があることが来園の動機付けにはなってはいないでしょうが、それでもかつての『京都』に触れる場所が身近にあるというのはうらやましく感じました。

2021年11月09日 13時28分

鉄印帳の旅(37)北条鉄道の鉄印。

北条鉄道の鉄印は、用意された鉄印による記帳ではなく、鉄印帳へ直接記帳されます。

「鉄印をお願いします」と駅員さんにお願いしたとき、駅事務室内がちょっとざわついた感じがしたのですが、それはどうやら折り返し時間が7分なので、出来る限り速やかに記帳しようとされたのではというのが私の感想。

で、上が「鉄印帳」。下が書き置き印で、購入時には3種類がありました。

北条駅の車止めの反対側には陶製の「手形」が飾られていました。何かの記念で作られたようですが、時間の都合でこの写真を撮影するだけで精一杯。恐らく解説もしくは案内の表示があったのではと思うのですが…。

北条鉄道で唯一交換できる途中駅、法華口駅。列車の交換は、昨年(2020年)から始まったばかり。

ホームには北条ふらわの「行き違い設備完成」のヘッドマーク風案内あり。

マジックアワー。特に秋の太陽が私は好きです。

ところでさりげなく「マジックアワー」という言葉を使いましたが、これは写真用語だそうで、私、知りませんでした。このブログを書くにあたり、語源ってなんだろうとか思い、調べました。

粟生駅。いつもなら撮らない写真ですが、マジックアワーの駅構内が美しく見えてシャッターを押しました。

北条鉄道で使用した乗車券はこの「1日フリーきっぷ」。片道(粟生駅~北条町)×2=840円なので、折角なら思い出として手許に残る方を選択。

2021年11月08日 18時23分

鉄印帳の旅(36)北条鉄道。

谷川駅を出てすぐの目と鼻のところに側線(?)が見えるのですが、架線が張られておらず、しかも精々電車2両分。何に使う線路だろう?

西脇市駅は同一ホームでの乗換ではなく、跨線橋を渡ります。125系から103系へとバトンタッチ。

さて10月29日の後半戦スケジュール。

(加古川線)谷川駅発  1513 2328S

西脇市駅着 1542

西脇市駅発 1545 1344S

粟生駅着  1605

(北条鉄道)

粟生駅発  1609  北条鉄道

北条町駅着 1632

北条町駅発 1639

粟生駅着  1702

(加古川線)

粟生    1707 1346S

加古川   1731

 (山陽~東海道本線)

加古川駅発 1736 3506M 新快速

京都駅着  1859

加古川線の谷川駅~西脇市駅間は1日9往復ですが、西脇市駅以南は1時間に1~2本。また日中は綺麗な60分ヘッドで、その上下電車が粟生駅で交換するようになっています。それに合わせて北条鉄道が接続し、なおかつ日中60分ヘッドの神戸電鉄も毎時粟生着00分、発10分なので1時間に1回、4本の列車がここに集まります。

たまたま私が乗車したのが通学“ラッシュ”の時間帯でしたので、狭いホームと階段が結構ごった返しました。

軸となるのは間違いなくJRのダイヤですが、粟生駅交換としたのが神戸電鉄はともかく北条鉄道との接続を考慮したのであれば、利用者の立場に立った正に「グッジョブ」だと思います。

16:06の粟生駅。先に到着したのが左の加古川駅行き。そして今、右側に西脇市駅行きが入線。左上には神戸電鉄6500系3両編成が停車中。北条鉄道の車両はこの写真では写らない場所に停車中。

次から次へと乗客が乗り込みます。と言っても1両に乗れる乗客数です。

北条町駅は私の想像と異なり、市街地の駅。人口42,839人(10月31日現在)の加西市の代表駅です。

2021年11月07日 22時09分

鉄印帳の旅(35)JR福知山駅と谷川駅。

福知山駅南口を出ると目の前にはC11(C1140)の姿が見えます。

広場には2本のレールのイメージのしつらえあり、腕木式信号機もあって良い感じ。

転車台はもともとこの地にあった福知山機関区の転車台を移設したもの。

ローカルの列車を乗り継ぐ場合、列車本数が少ないこともあり時間を持て余すこともままあるのですが、こうした保存機関車があると、ゆとりの時間は充実の時間へと変貌します。

14:06の福知山線篠山口駅行きに乗る前に、再度福知山駅名物の撮影。

「こうのとり9号」城崎温泉駅行きと「はしだて5号」久美浜駅行き。の表示がありますが、「はしだて5号」は実際には久美浜駅から快速となり豊岡駅まで行きます。もっとも久美浜駅の次の停車駅が豊岡駅で、1区間だけの快速列車。

もっと言えば「こうのとり9号」の豊岡駅到着は14:43。

「はしだて5号」の豊岡駅到着は15:35。

誤乗防止も合って「はしだて5号」の本来の終点を表示していないのかも知れません。

京都丹後鉄道のホームにふと目を向けるとそこにはJR西日本113系の姿あり。理由は不明。

谷川駅14:45。

加古川線の西脇市行きの発車は15:13。

時間があったので、一旦改札の外に出る。

そこには何故かコンクリート製の恐竜あり。「なぜ?どうして?」と疑問が膨らみ、駅員さんに聞いたところ、この近くで恐竜の化石が発掘されたことがあったそうな。納得です。

2021年11月06日 17時01分

鉄印帳の旅(34)京都丹後鉄道天橋立駅。

11:14、京都丹後鉄道天橋立駅に到着。

まずは鉄印を頂きます。なおこれを撮影したのは、帰路の特急「たんごリレー4号(丹後の海)」車内です。

その福知山駅行き特急「たんごリレー4号(丹後の海)」は11:54発なのでしばし駅前を散策。

駅から徒歩5分ほどの所にあり、智恵を授けてくれる文殊様で有名な智恩寺にお参り。「三人寄れば、文殊の知恵」という言葉はこのお寺のこととか。3人でなくとも、なんとか智恵が授けれないものかと考える俗な爺1人。記憶の泉の水は、老人力が強まるにつれて涸れつつありますが、せめて智恵の泉は枯らさないようにしたいものです。

智恩寺を抜けてすぐの所に、江戸時代には既にあったといわれる「智恵の輪 灯籠」。この石の輪を3回くぐれば文殊様の知恵を授かれると言われていますが、くぐるのは無理なので、実際には灯籠の周りを3回回るとか、頭を3回入れるとかをすると御利益があるそうです。なお今回私は手を合わせたのみ。さて御利益や如何に。

特急「たんごリレー4号(丹後の海)」の到着。

この列車は豊岡駅を10:53に1604D快速列車で出発し、途中の網野駅から特急となります。(特別料金不要の)快速~(有料)特急と変身する列車って、今日本でどれくらい走っているのでしょう。一度、調べなければ…。

車内。お客さんがいませんが、これは終点の福知山駅での撮影。

福知山駅  12:34着。

美しきサイドビューに別れを告げ、次は福知山線~加古川線経由で北条鉄道との乗換駅、粟生駅を目指します。

福知山駅発 1406 2540M 篠山口駅行き

谷川駅着  1445

谷川駅発  1513 2328S 西脇市駅行き

西脇市駅着 1542

西脇市駅発 1545 1344S 加古川駅行き

粟生駅着  1605

福知山駅では時間があるので、ゆっくりと昼食。そして、、、。

2021年11月05日 22時22分

鉄印帳の旅(33)京都丹後鉄道天橋立駅を目指す。

10月29日(金)の鉄印帳の旅。この日は「京都丹後鉄道」と「北条鉄道」の巻。

まずは京都丹後鉄道天橋立駅を目指します。

名古屋駅発 7:37 ひかり535

京都駅着  8:27

京都駅発  838 特急「はしだて1号」(京都駅~天橋立駅)

福知山駅着 954

福知山駅発 1013 4811D 快速丹後あおまつ1

天橋立駅着 1114

こんな予定。 京都駅出発時は「はしだて1号」と「まいづる1号」の併結で、見えているのは「まいづる1号」。 福知山駅名物、京都方面からの特急と大阪方面からの特急の同一ホーム接続。左側が今、乗ってきた京都丹後鉄道宮福線直通「はしだて1号」天橋立駅行き(9:54着 9:59発)。 右側の列車は特急「こうのとり1号」城崎温泉駅行き(9:49着 9:55発)。

福知山駅からの京都丹後鉄道宮福線は、特急で直行せず敢えて普通列車/天橋立駅行きに乗車。

その心は「はしだて1号」に接続する普通列車が、観光列車「丹後あおまつ号」だったから。

私の「鉄印帳の旅」ですが、若かった頃の「日本の鉄道の完乗を目指す」旅ならともかく、今は「鉄印収集だけが目的の旅」ではなく、時間に余裕もあるので、チャンスがあれば様々な車両のバリエーションを楽しみたいと考えつつ行程を組んでいます。何故って言えば、それがとっても楽しそうに思えたからですが、今回の京都丹後鉄道にもぴったりの車両がありました。それが「丹後あおまつ号」。この鉄道の他の観光列車と異なり、何せ予約不要の普通列車です。

乗車してすぐに目に付いたのはこのラック。書籍の時刻表が置いてあり、これは私にとっては初めてのこと。

水戸岡鋭治氏が担当された車内デザインは、想像だにしなかった低い背もたれにまずは驚き。もっともそのおかげでしょうが車内は広々とし、どの座席からも進行方向どちらの風景も楽しめます。

トイレの入り口も、列車のトイレとは思えず、面白いですね。

車内販売のコーヒー。左下にあるのは「もうひとつの京都 周遊パス 海の京都エリア(1日乗車券)」。それを購入するとこのコーヒーが無料で付いてきます。

この1日乗車券ですが2200円ですので、福知山駅~天橋立駅を普通列車で往復するだけならば元は取れません。しかし今回は帰路の列車は特急(自由席)の予定でしたので、特急料金を含めればまず元は取れ、更にこのコーヒーで「買って良かった」と相成りました。

沿線の名物が一目で分かるボード。手作り感満載で、個人的にはOK!

牧駅で5082D特急「はしだて2号」久美浜駅発京都行きと交換。

2021年11月04日 10時06分

名古屋市交通局のオリジナルグッズアンケート。

先日、名古屋市交通局のグッズ/タオルハンカチを買ったらアンケートの案内をもらいました。
ウェブサイトの受付フォームはなく、e-Mailにて回答するものだったのですが、何と漏れなく記念品あり。
真面目に答えてシールを頂きましたが、発送の手間とかを考えると交通局も大変そうだと思った次第。
それにしてもこのシール、良く出来ていると思いました。私が使うかと聞かれれば、さてどうしましょう?ですが、お子さんのいらっしゃる家庭なら喜ばれそうですね。
ところでこうした非売品ですが、視点を変えればその時代の状況の生き証人だったりします。将来的にこれを展示・公開したりする機会があるかどうかまでは、何とも言えませんが、それでも保管しておこうかとは思います。
販売品は、同好の方で誰かがコレクションとして購入していることが多いのですが、何せ今回で言えば「アンケートにメールで回答」しなければ手に入りません。

2021年11月03日 8時19分

名古屋の鉄道136年史(8)馬車鉄道。

なかなか名古屋の鉄道の話しが出てきません。次回からは多分、本題に入ることが出来るかと思います。今暫くお付き合い下さい。

「 鉄道80年のあゆみ 」運輸調査局 編(昭和27年(1052年)/日本国有鉄道)

馬車鉄道というものがかつての日本にありました。この写真は東京・新橋駅前。明治15年(1882年)に開業した「東京馬車鉄道」で、日本最初の馬車鉄道でした。

蒸気機関車よりも時代遅れに見えるこの鉄道が、明治15年開業とは意外かも知れませんが、馬車鉄道は長距離ではなく、市内交通として日本に登場しています。「えっ、電車じゃないの?」とか思われるかも知れませんが、日本で最初の一般営業用電気鉄道が京都市に登場したのは明治28年(1895年)のことなのです。

絵はがき「上野三橋ヨリ山下ヲ望ム」。当初は新橋と日本橋を結び、その後日本橋 ~上野~浅草~日本橋間の環状線も開業させています。当時、東京におけるというか、日本における2大鉄道ターミナルの新橋と上野、そして大繁華街の浅草を結んでいました。

※上野駅は明治16(1883)年に開業

「両国橋及浅草橋真図」井上探景画 出版/松本平吉 画工/井上安次

この部分には馬車の鉄道だけではなく、線路を走らない乗合馬車も描かれています。共存共栄の関係だったのでしょうか?

さてこの馬車鉄道(東京馬車鉄道)はその後、東京電車鉄道と社名を改めて路線の電化を進め、明治44(1911)年には、東京市が路面電車を経営していた民間会社3社を買収し、東京市電が誕生しています。

余談ですがこの東京馬車鉄道の軌間は1372ミリ。この軌間はその後の都電であったり京王線・都営地下鉄新宿線、東急世田谷線、函館市電が採用していますが、日本の1372ミリは以上で全て。何故この軌間が東京馬車鉄道で採用されたかは不明ですが、今の日本に1372ミリゲージがあるのは正にここが発端であることは間違いありません。

話しは変わってギリス/グレートブリテン島とアイルランド島に囲まれたアイリッシュ海の中央にある「自治権を持ったイギリスの王室属領」である「マン島」。

観光施設ではない世界唯一の公共交通機関としての馬車鉄道があります。(実質的には観光客用とも言える)

ダグラス・ベイ馬車軌道 (Douglas Bay Horse Tramway )。写真は2014年8月の訪問時のもので、その後廃止されるとのニュースが出ましたが、最終的には線路を付け替え現在も運行されています。

今は出掛けることは出来ませんが、今後渡航できるようになったら、都市交通の原点とも言えるこの鉄道を体験されては如何でしょう。

2021年11月02日 22時57分

名古屋の鉄道136年史(7)日本最初の鉄道は海の中を走っていた。

「東京真画名所図解 髙縄鉄道」井上安治作 明治15年(882年)頃?

この浮世絵には海中の土盛りを走る列車が描かれています。

その事実はつとに知られていましたが、その後の日本の発展で東海道本線を取り巻く環境は大きく変わり、いつしか「海上鉄道」は忘れられていきました。

それが昨年、JR東日本が高輪ゲートウェイ駅前を中心に進める品川再開発計画の工事現場で、何と「高輪築堤」が出土したのです。日本最古の鉄道の線路跡とも言える「高輪築堤」、その存在意義とは?

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(東京都港区のホームページ 2021年5月24日更新から転載)

高輪築堤跡/高輪築堤は、明治5(1872)年にわが国初の鉄道が開業した際に、海上に線路を敷設するために築かれた鉄道構造物です。平成31(2019)年4月、品川駅改良工事の際に石垣の一部が発見されました。

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(文化庁のホームページ 2021年8月23日更新から転載)

令和3年8月23日、東京都港区にある高輪築堤跡を史跡に指定すべきとの答申が文化審
議会から文部科学大臣に提出されました。

1.高輪築堤跡とは
明治5年(1872)9月12日、日本初の鉄道が新橋・横浜間に開業しました。東アジア初の鉄道の総延長は約29kmあり、そのうち約2.7kmは、海上に堤を築いてレールを敷き、その上を蒸気機関車が走りました。この海上鉄道敷の遺構が「高輪築堤跡」です。
なぜ海の上にレールを敷いたのでしょうか。それは、鉄道用地の取得が困難な地域を避けて鉄道を通すためです。政府が明治2年(1869)に鉄道建設を決定した後も莫大な建設予算の前に反対する人々が多く、加えて、平坦地の少ない東海道沿いには旧薩摩藩邸や兵部省の軍用地があったのです。

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それにしてもこの思わぬ発見は想像以上(異例)の速さで史跡指定されたのです。

では当時の東海道本線はどれほどの海際を走っていたのでしょう。ならば調べてみよう!

「日本写真帖」田山宗尭 編(明治45年(1912年)1月/ともゑ商会)

恐らく発行時期に近い明治末期頃の撮影を思われる品川停車場。東海道本線が、明治末期にあってもまだ海際を走っていたのは意外な発見でした。

「国鉄80年 機関車の発達」著者/本島三良・臼井茂信(昭和27年(1952年)/交友社)

前の写真より少し開業時に近い明治33,34年頃と思われる品川駅構内。機関車は後の国鉄1850形となるC形タンク車。

さて話しは海中鉄道に戻します。

「新橋横浜間鉄道之図」(国立公文書館デジタルアーカイブ)

国立公文書館で保管されている(開業時の)新橋駅~横浜駅間の鉄道地図。もっともこれでは何か良く分かりませんね。

右端が新橋駅。

左端が横浜駅。そして…。

高輪海岸~品川駅にかけて、線路は確かに海の中を走っていました。

話しには聞いていたものの、『本当のところはどうだったの?」とか言う疑問が湧いてきて国立公文書館のウェブサイトを探りました。それにしても東京まで行かずに公文書を探して見られるという時代が来るとは本当に驚きです。何せ先人の鉄道史研究者の方は皆さん、東京まで足を運んでいたのです。

それはそれとして歴史探訪は本当に面白い。

※「日本写真帖」「国鉄80年 機関車の発達」はNPO法人名古屋レール・アーカイブスの所蔵資料です。

2021年11月01日 21時45分

名古屋の鉄道136年史(6)鉄道が開通した頃の浮世絵。

鉄道の開業後、『陸蒸気(おかじょうき)』を題材にした実に多くの浮世絵が発行され、今の時代にまで残されています。今回はそうした中から一部の作品を紹介します。

「従汐留横浜迄蒸気車鉄道往辺之図」(人形町 具足屋)

開業直後の発行と思われる1枚。

この浮世絵の機関車は昨日紹介した「テンダ式」ではなく明らかにタンク式。デフォルメされて表現されるのは浮世絵の常とは言え、日本最古の機関車の1両である150形(1号機関車)で正解でしょう。

それにしても背広姿で、如何にもこの場に不釣り合いな方は一体誰なんでしょう?

「国鉄80年 機関車の発達」著者/本島三良・臼井茂信(昭和27年(1952年)/交友社)

これが150形の写真。現在は埼玉県さいたま市の「鉄道博物館」に保存されています。

鉄道博物館に行かれる機会がありましたら是非、自分の目でご覧下さい。

※この写真は2010年12月5日撮影。

「東京高輪鉄道蒸気車走行之全図」一曜齊国輝(と思うのですが、ネットで検索すると「曜齊国輝」とも出てきます)

この絵のポイントとしては「貨車」を繋いでいること。調べたところ、開通時から貨物輸送が始まっていたようです。

また橋の上には2頭立ての馬車がいて、当時の「バス」の役割を担っていたのではないかと思われます。

「東京府下自漫競 品川之鉄道図」広重(恐らく3代目広重。左下の「広重」は読めるのですが、姓の部分は判読出来ず)

鉄道が「自慢」を「競う」中での1つだったという話し。

ところでこの浮世絵には「電柱」と「電線」が描かれています。よって明治15年(1882年)以降の作画であることは間違いありません。描かれている機関車や客車に大きな変化が感じられないので、開通から10年の経過の中では、鉄道車両に大きな変化は無かったということでしょう。

※電気について/参照:電気事業連合会のウェブサイト



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!