2021年12月31日 17時30分

1年間ありがとうございました。

2021年が終わろうとしています。

そこで今日は今年1年間、私が見た夕景をご覧頂きます。車窓からの風景が中心です。

3月4日、JR北海道/名寄駅前。

3月5日、JR北海道/函館本線岩見沢駅付近。

7月23日、東海道新幹線三河安城駅付近。

10月8日、秋田内陸縦貫鉄道角館駅を出て羽後太田駅~西明寺駅間。

10月9日、JR東日本/羽越本線羽後亀田駅~岩城みなと駅間。

10月29日、北条鉄道法華口駅~田原駅間。

11月3日、高松琴平電気鉄道陶駅~畑田駅間。

11月4日、フジドリームエアラインズ/高知~名古屋(小牧) 。

眼下にはセントレア。

12月14日、JR九州/長崎本線佐賀駅付近。

12月15日、JR東日本/水戸線小山駅付近。

美しきかな日本の風景。

さてこの1年間、拙ブログをご覧頂きありがとうございました。

皆さま、良い年をお迎えください。

2021年12月30日 21時28分

鉄印帳の旅(65)西九州新幹線武雄温泉駅。

JRのホームからの撮影。これで正面の山に家が立ち並んでいたら面白い構図になりそうだとか思ってはみましたが、夢絵空事。

佐世保駅発15:45 みどり22号

佐賀駅着16:54

佐賀駅バスセンター発17:35 佐賀市営バス

佐賀空港着18:10

佐賀空港発  19:05  ANA458便

羽田空港着  20:40

名古屋に戻らず東京に飛んだのには訳アリ。また後日。

これから乗車する列車、783系は昭和の時代に登場したJR九州初の新型車両。車両の真ん中にドアがある独特のスタイルは、それまでの車端に1か所が一般的だった特急のデザインをリセットし、私は大いに驚きました。

Aキャビンとあるのが、明らかに他の系列にはない表示です。

ところでその使い勝手ですが、着席までまるまる一両分歩くこともあったこれまでと比べ、合理的だとも思ったのですが、この系列以降、同じスタイルの車両が出なかったのはきっと何がしかそうなるべき理由があったのでしょう。

我ら「方向幕」世代。

佐世保線武雄温泉駅が近づいてくると西九州新幹線の高架が近づいてきます。

見た感じ、工事は終えているようです。

武雄温泉駅も出来上がった感じ。名古屋にいると西九州新幹線は遠い存在ですが、こうして対面式ホームでの新在連絡駅を間近に見ればああっ、開業は現実なのだと感じます。なお佐世保線肥前山口駅~武雄温泉駅間では現在、複線化工事が行われており、私はそれをここを通るまで知らなかったのですが、考えるまでもなく確かに必要な工事で、こちらは鋭意進行中といった段階です。

佐世保線大町駅。9600形蒸気機関車(29611)が静態保存されています。佐世保に向かっている時に気付き、帰路での撮影を狙っていました。ただこの写真、夕日を浴びて蒸気機関車が黒色ではなく黄土色に見え、ナンバープレートも赤色は赤色なのですが、不気味な色に見えます。本当は普通の地味な赤色です。

列車から眺める日没。この日の旅はもうすぐ終わります。という感じですね。佐賀駅。これまで乗り換えはあっても下車は初めて。

佐賀駅バスセンターの(実証実験中とあった)バスロケーションシステム。遅れの表示はありがたいですね。

九州佐賀国際空港(バス停名は佐賀空港)に向かう佐賀市営バスの案内表示。日本語と英語、中国語(簡体字)、中国語(繁体字)、韓国語/ハングルが一目で見えることについて、私の評価は高め。理由はバス停などの表示は基本、日本語だけなので文字を「形」で認識することで、降りるバス停をきっちり認識できるのではないかと思ったからです。

それはそれとして窓外を流れるイルミネーションは、一人旅の「一人」をより感じさせてくれる小道具だとなぜか感じてしまった。

2021年12月29日 14時53分

鉄印帳の旅(64)佐世保中央駅。

松浦鉄道は佐世保駅から佐世保中央駅まで1駅乗車。

佐世保駅発14:53 松浦鉄道250Dたびら平戸口駅行き

佐世保中央駅着14:55

佐世保中央駅発15:05 松浦鉄道347D

佐世保駅着15:07

JR最西端駅から、モノレールを除く日本最先端の駅へ向かう列車に乗車。

鉄印帳に参加している第三セクター鉄道でICカードが使えるのを見たのは2社目。あいの風とやま鉄道以来です。(多分、間違っていない。)

ただ、車内に設置してあるのは初めてです。まるでICカード対応のバス会社のバスに乗ったみたいで、運賃の支払い方法も同じでした。佐世保駅を出発した列車は少しの区間、高架線を走ります。

トンネルが見えてきました。

トンネルを抜けて視界に明るさが戻る瞬間が好きです。

そのトンネルの出口に駅のホームがくっついているとは思ってもいませんでした。

出発する列車の向こう側には都会?の予感。

この鉄橋の左側が佐世保中央駅。そして右側には中佐世保駅があります。佐世保中央駅と中佐世保駅の間はたった200メートル。1990年(平成2年)3月10日に佐世保中央駅が開業した時には、鉄道線では日本最短区間として随分、話題になりました。

ではなぜそんなところに駅が出来たのでしょうか?

まず佐世保という町ですが長崎県第2の都市で人口は24万人。かなりの規模の都市であると言えます。その町の中心街にはこのようなアーケード街であったり大型のショッピングセンターや病院のあります。そしてそこから一番近い場所に出来たのが佐世保中央駅なのです。「日本一長い「さるくシティ4〇3アーケード」の駅」という愛称も佐世保中央駅にはあります。

また佐世保中央駅は9:00~18:00(休憩時間あり)で駅員さんが常駐しており、乗車券も発行されます。

たった1駅でも乗れば何がしかその鉄道の姿を知ることができます。それだから鉄道の旅がやめられない。

帰路に乗った車両のラッピング。

左が「君野イマ」で奥が「君野ミライ」。環境省のキャラクターだそうです。

2021年12月28日 14時20分

鉄印帳の旅(63)松浦鉄道。

長崎本線「吉野ヶ里公園駅」を出て暫くすると進行方向右側に吉野ヶ里歴史公園が見えます。私にとっては吉野ヶ里遺跡という呼び方に馴染みがありますが、実はこの遺跡の整備中に取材に伺ったことがあります。旅番組であることは確かですが、こことどこの観光地を組み合わせて番組にしたかが思い出せない。

シートに貼られたステッカー。コロナの時代の記録にと撮影。

佐世保駅。

振り向けば急斜面に立ち並ぶ住宅群。長崎だけではなく佐世保もだとは思っていなかった。

日本最西端佐世保駅 JR。確かにその通りなのですが、、、。ちょっと苦しいとは思うけどまあご愛敬。

佐世保駅を海側に出るとそこはもう港。不思議なもので海を見るとただそれだけで旅気分に浸れる。

松浦鉄道のホームに上がる。

九州で最後の鉄印授与。

南阿蘇鉄道、肥薩おれんじ鉄道、平成筑豊鉄道、甘木鉄道と合わせ、今回の目的達成。くま川鉄道へは今回未訪問ですが、通信販売で鉄印はすでに授り済み。今は部分開通している同鉄道ですが、今後の完全復旧時に改めて訪問することにしています。それをしなければ私の(本当の)鉄印の旅は終わりません。

2021年12月27日 13時29分

鉄印帳の旅(62)鳥栖駅にて。

鳥栖駅。歴史的建造物として保存が検討されていたと思いますが、どうなったのでしょうね。

ここから松浦鉄道の鉄印を授かりに佐世保を目指します。

10代後半から20代前半にかけて何度か通っている地下通路。その当時と違うのは恐らく点字ブロックの存在でしょうか。

昭和の頃、東京・大阪と九州を結ぶブルートレインの全盛期には多くの列車がこのホームに停まっていた。その当時の活気を今、感じ取ることはなかなく難しいものがありますが、駅ホームのうどん屋さんはその変遷をずーっと見ているのでしょう。

駅ホームの屋根の支柱に古レールが転用されているのはよくあること。それでもこうして案内が表示されているのは珍しい、

鳥栖駅発12:58 みどり11号(佐世保行)到着。佐世保駅着は14:27。

立って食べるか座って食べるか迷った末に座って食べることにした。

私が鉄道に乗りまくっていた20代の頃、駅弁という選択は最後の手段で、この駅弁が食べたいと思って買ったのは本当に例外でした。何故なら金欠の若者にとって駅弁は高価な食べ物で、その割に中身は今一つでした。それもあって駅のホームの立ち食いそば、うどんは本当によく食べていました。そしてそれは「美味しかった」という記憶とともに私の心の中に今も残っています。

ただ時代は流れ、コンビニ飯や大都市の駅ならばデパ地下の弁当を買って列車に乗るようになり、そして今は結構な頻度で駅弁を買って食べるようになっています。理由は味と値段のバランスが良いと思えるようになったからです。700円のかしわめし。美味しかったです。

2021年12月26日 11時08分

鉄印帳の旅(61)甘木鉄道(あまぎてつどう)。

12月14日の1枚目の乗車券。直方~佐世保。

直方駅発09:40 福北ゆたか線(博多行)

桂川駅着10:09

桂川駅発10:21 筑豊本線(原田行)

原田駅着10:49

原田駅発10:54 鹿児島本線快速(荒木行)

基山駅着10:58

基山駅発11:18 甘木鉄道(甘木行)111レ

甘木駅着11:45

【甘木鉄道の鉄印収集】

甘木駅発11:53 甘木鉄道(基山行)112レ

基山駅着12:19

基山駅発12:28 鹿児島本線(羽犬塚行)

鳥栖駅着12:36

鳥栖駅発12:58 みどり11号(佐世保行)

佐世保駅着14:27

こんな感じの移動。

直方駅から原田駅までは筑豊本線なのですが「筑豊」ではなく「原田」となっているのが面白いですね。

甘木鉄道AR303。この車両の国鉄色は違和感なく似合っていると思います。(個人的感想です)

立野駅~小郡駅間にある大原信号場。列車本数増に対応し、2003年(平成15年)4月に設置。だそうです。福岡の都市圏内とは言え、路線長もそれほどではない(13,7キロ)鉄道で新設の信号場が出来ていたとは知りませんでした。鉄印帳の旅は日本の鉄道再発見の旅であると改めて確信。

小郡駅を出てすぐの車内から西鉄小郡駅を臨む。甘木鉄道の小郡駅はかつては筑後小郡駅でしたが、甘木鉄道への転換に際し、現在地に移転しています。その効果は確かにあり、私が乗った上下列車とも間違いなく小郡駅の乗降客が一番多かったです。

甘木駅到着。AR302のこの鮮やかなブルーの好感が持てます。

お約束の駅舎の写真。

初訪問は1978年(昭和53年)1月29日。

乗降客が少ない駅にありがちだった乗車券を使った代用入場券。

右側が通常の鉄印です。

意外と広大な甘木駅構内。

大刀洗駅には元航空自衛隊T-33練習機が置いてあった。その理由は調べ切れていません。

2021年12月25日 21時41分

鉄印帳の旅(60)甘木鉄道への道。

桂川駅着10:09

桂川駅発10:21 筑豊本線(原田行)に乗換。考えてみれば桂川(けいせん)もパッとは思いつかない読み方ですね。その桂川駅から一駅、直方駅駅寄りの「天道」駅。これを一発で「てんとう」と読める方はまずいないと思う。

また篠栗線の「筑前大分駅」。「大分」だけであれば「だいぶ」と読めそうですが、九州だけに私は最初「ちくぜんおおいた」と思い込んでいて、駅名標を見て「そうなのか」と(滝汗)。

キハ40形の単行。

座った席の目の前にあった「ご注意」。

電車しか乗ったことがないと確かに気動車のこのステップには驚かされるだろう。そもそも電車と気動車でステップの有無といった違いがあったり、そのため電車のホームとかつての気動車(含む客車)が鉄道車両の主力だった時代のホームでは、その高さに違いがあることを知る人は少ないと思う。

実はつい最近、私と同世代の方達との間で、この“ホーム問題”について語ったばかり。何かと言うと知人が列車を降りようとしたところ、ステップよりホームの方が高くなっており、危うく躓きそうになったと嘆いていたのです。高齢者となり、うっかりも多くなっており私自身も気を付けねばとここ桂川駅で思った次第。

原田駅(はるだえき)着10:49。今は閑散路線の筑豊本線桂川駅~原田駅間ですが、かつては特急、急行も走っていました。今回そこを改めて乗り直してはみたものの、かつての難所だった冷水峠(ひやみずとうげ)は気動車は思いの他あっさり越えており、なおかつ筑豊本線に沿って片側2車線の道路が併走しており、何とも風情がなく、写真を撮ることは諦めました。

●1972年(昭和47年)3月号の時刻表では特急「かもめ」(京都~佐世保)と急行「天草」(京都~熊本)が冷水峠を越えていた。ところでこの2本を除く普通列車ですが、その当時も今も本数そのものはあまり変わっていません。

原田駅発10:54 鹿児島本線快速(荒木行)

基山駅着10:58

昭和の気動車から平成の電車に乗換え。

基山駅到着。甘木鉄道のホームは直ぐとなり。基山駅舎は橋上駅となっていました。とかつてを懐かしんでいるかのように書いていますが、昭和の記憶は全くありません。ただ橋上駅となり、かつては駅を挟み、2つに分かれていた町が一つになった事例は枚挙にいとまがありません。日本だけではなく台湾でもそれを感じます。

「風情が…」という考えもあるかも知れませんが、橋上駅化による利便性の向上は確かにあります。

基山駅発11:18 甘木鉄道(甘木行)に乗車。

甘木駅着は11:45。

2021年12月24日 20時44分

鉄印帳の旅(59)金田からの道。

平成筑豊鉄道金田駅(かなだえき)。九州の駅って、読めると思いきやそうでもない駅が数々あります。「金田」と書いて「かなだ」と読むのも難しい気がしています。

駅前のポスト。2019年に登場した観光列車「ことこと列車」をモチーフにしているのは一目瞭然ですね。

その「ことこと列車」は車庫で休憩中。

広大な金田駅の駅構内に進入する伊田線直方駅行き(金田駅発09:06)。

平成筑豊鉄道の座席。座面のイラストが面白いですね。

遠賀川にかけられているのに「嘉麻川橋梁」。1893年(明治26年)に下り線(向かって右側)が、1909年(明治42年)に上り線(向かって左側)が敷設され、上り線の橋梁は建設当時のイギリス製のものとのこと、

(参照:福岡県町村会 小竹町 嘉麻川橋梁)

ところで平成筑豊鉄道伊田線は非電化の複線。全国的に見ても珍しい存在です。

1)JR北海道函館本線

2)JR北海道室蘭本線

3)関東鉄道常総線

4)東海交通事業城北線

5)伊勢鉄道伊勢線

6)JR九州筑豊本線

7)平成筑豊鉄道伊田線

以上で間違いないはず。(詳細な複線区間は省略)

大関魁皇像が私たちを迎えてくれる直方駅。この直方駅と博多駅の間には1日1往復の特急「かいおう」が走っています。大関魁皇は既に引退していますが、郷土の誇りとして特急「かいおう」は引退すること無く今も健在です。そのことでJR九州も粋なことをするなあと思ったのを今、思い出しました。

直方駅発09:40 福北ゆたか線(博多行)ので電車でまずは桂川駅を目指します。

2021年12月23日 11時20分

鉄印帳の旅(58)平成筑豊鉄道。

このまま九州の鉄印帳の旅を続けます。

列車に乗車までの時間を使い、しばし散歩。田川伊田駅の駅前にはアーケード街がありました。朝早い時間帯でしたのでどんな、そしてどれほどのお店があるかは分かりませんでしたが、平成筑豊鉄道の終点、直方駅のある直方市にもアーケード街があり、炭鉱が全盛期の繁栄ぶりが容易に想像つきます。

アーケード街の一角の小さな公園(?)それとも休憩スペース(?)。

同じく駅の目の前に風治八幡宮(ふうじはちまんぐう)。もう少し時間があったら参拝していた。

さて12月14日の前半戦。

田川伊田駅発08:25 平成筑豊鉄道伊田線(直方行)

金田駅着08:38

金田駅発09:06 平成筑豊鉄道伊田線(直方行)

直方駅着09:28

直方駅発09:40 福北ゆたか線(博多行)

桂川駅着10:09

桂川駅発10:21 筑豊本線(原田行)

原田駅着10:49

原田駅発10:54 鹿児島本線快速(荒木行)

基山駅着10:58

基山駅発11:18 甘木鉄道(甘木行)

甘木駅着11:45

午前中に「平成筑豊鉄道」と「甘木鉄道」の鉄印授与。そしてその移動経路としては、今やすっかり一地方のローカル線となっている筑豊本線で原田に向かうことが主題。

平成筑豊鉄道金田駅。

鉄印に日付がない?

実は自動販売機での発行。日付は自分で書き入れます。

(注意)

この自動販売機は100円硬貨専用で、お釣りは出ません。また駅窓口の営業時間は平日の10:00から13:00までと14:00から18:30までとなっており、いずれにしても鉄印を購入する方はあらかじめ100円硬貨を用意しておくことをお勧めします。

鉄印はこうした箱に入って出てきます。まあ温かい目で見ることにしましょう。

2021年12月22日 22時53分

鉄印帳の旅(57)田川伊田駅舎ホテル。

12月13日、20:21のJR九州日田彦山線/田川伊田駅(たがわいたえき)。もはや深夜とも言える雰囲気。

田川伊田駅の駅舎。今日はこの駅舎の中にある「田川伊田駅舎ホテル」。シャワールーム、トイレ、洗面所が供用で、ホテルではありますが、ゲストハウスであったりユースホステルといった感じの宿泊施設です。

いつもなら泊った施設の事を紹介することはないのですが、今回は駅舎隣接というレベルではなく、駅舎そのものに泊っているのでどんな感じなのかをリポート。

私の泊った部屋からの景色。スローシャッターでしたので、思ったより車両が流れてしまいました。

※平成筑豊鉄道田川線/田川伊田駅発20:44行橋駅行き。

ホテルのロビーからの景色。

手前の列車…平成筑豊鉄道伊田線/田川伊田駅発21:20直方駅行き。

奥の列車…JR九州日田彦山線/田川伊田駅発21:03小倉駅行き。

JR九州日田彦山線/田川伊田駅発22:03小倉駅行きの最終列車が出発していく。

12月14日、一夜明けた田川伊田駅。この駅舎の左の2階建て部分の2階がホテルです。

外が明るくなると距離感がつかめます。やはり近いですね。

私の部屋は線路沿いではなかったので、列車の音はそれほど気になりませんでしたが、線路沿いの部屋もあるので、一応気になる方用に「耳せん」の用意あり。

朝日を浴びて平成筑豊鉄道田川線/田川伊田駅発08:04行橋駅行きが出発。

JR九州日田彦山線/田川伊田駅発08:11小倉駅行き。朝の光が柔らかい。

平成筑豊鉄道/田川伊田駅のホームから見たホテル部分。なお私が泊った部屋は今見えている部屋の廊下を挟んだ奥側です。

ホテルは朝食付きとは案内していませんでしたが、実際には簡単ですがこうした朝食の用意があります。トースターでパンを少し焦がしてしまったのがご愛敬。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!