2021年12月25日 21時41分
桂川駅着10:09
桂川駅発10:21 筑豊本線(原田行)に乗換。考えてみれば桂川(けいせん)もパッとは思いつかない読み方ですね。その桂川駅から一駅、直方駅駅寄りの「天道」駅。これを一発で「てんとう」と読める方はまずいないと思う。
また篠栗線の「筑前大分駅」。「大分」だけであれば「だいぶ」と読めそうですが、九州だけに私は最初「ちくぜんおおいた」と思い込んでいて、駅名標を見て「そうなのか」と(滝汗)。
キハ40形の単行。
座った席の目の前にあった「ご注意」。
電車しか乗ったことがないと確かに気動車のこのステップには驚かされるだろう。そもそも電車と気動車でステップの有無といった違いがあったり、そのため電車のホームとかつての気動車(含む客車)が鉄道車両の主力だった時代のホームでは、その高さに違いがあることを知る人は少ないと思う。
実はつい最近、私と同世代の方達との間で、この“ホーム問題”について語ったばかり。何かと言うと知人が列車を降りようとしたところ、ステップよりホームの方が高くなっており、危うく躓きそうになったと嘆いていたのです。高齢者となり、うっかりも多くなっており私自身も気を付けねばとここ桂川駅で思った次第。
原田駅(はるだえき)着10:49。今は閑散路線の筑豊本線桂川駅~原田駅間ですが、かつては特急、急行も走っていました。今回そこを改めて乗り直してはみたものの、かつての難所だった冷水峠(ひやみずとうげ)は気動車は思いの他あっさり越えており、なおかつ筑豊本線に沿って片側2車線の道路が併走しており、何とも風情がなく、写真を撮ることは諦めました。
●1972年(昭和47年)3月号の時刻表では特急「かもめ」(京都~佐世保)と急行「天草」(京都~熊本)が冷水峠を越えていた。ところでこの2本を除く普通列車ですが、その当時も今も本数そのものはあまり変わっていません。
原田駅発10:54 鹿児島本線快速(荒木行)
基山駅着10:58
昭和の気動車から平成の電車に乗換え。
基山駅到着。甘木鉄道のホームは直ぐとなり。基山駅舎は橋上駅となっていました。とかつてを懐かしんでいるかのように書いていますが、昭和の記憶は全くありません。ただ橋上駅となり、かつては駅を挟み、2つに分かれていた町が一つになった事例は枚挙にいとまがありません。日本だけではなく台湾でもそれを感じます。
「風情が…」という考えもあるかも知れませんが、橋上駅化による利便性の向上は確かにあります。
基山駅発11:18 甘木鉄道(甘木行)に乗車。
甘木駅着は11:45。