2020年10月22日 11時22分

絵はがきに見る鉄道史(26)鉄道開通50年。

「鉄道開通五十年祝賀記念」(報知社代理部発行)。大正10年ですから1921年10月14日発行。参考までにこの翌年に「鉄道記念日」が制定されています。

絵はがきは3枚組でまずは東京駅。これは書いてなくとも多分、分かるのですが左下は?「鉄道省」とあるのでその庁舎であることは間違いなさそうです。写真には都電(当時は東京市電)の架線と線路らしきものも見え、当時、鉄道省があった場所との位置関係もあっているのですが、検索してもズバリの写真が見つけられず、99.9%の自信はあるものの残り0.1%の確信が得られない。何の話かっていうと、これが大正10年の発行日の直近で撮影されたかどうか。あまり拘るところではなさそうではありますが。

時刻表と運賃表(賃金表)。この「賃金」という言い方はいつまで続き、いつから「運賃」と言うようになったのでしょう?そのうち調べてみましょうか?

旧式機関車と最新式特急列車。

最新式の方は18900形(後のC51形)。私が鉄道に目覚める前に引退しましたが鉄道博物館、京都鉄道博物館などで今もその姿を見ることができます。

さて悩ましいのは旧型。5490形(イギリスのベイヤー・ピーコック社 )が一番近いと思うのですが…。これが正解ならば1882年(明治15年)製造。はあっ、、、とため息。

2020年10月21日 18時37分

鉄道ファン12月号。

鉄道ファン12月号の特集は形式記号「二」。荷物を運ぶ車両のことで、形式記号は「荷物」の「ニ」。だから「二」の特集。

若い方にはピンと来ないでしょうが、還暦を越えている私には「二」に馴染みがあります。

 

例えばこの写真は1973年7月の松浦線平戸口駅。駅頭には鉄道で運ばれた(運ばれる???多分、運ばれたであっているはずですが、、、)荷物が山積み。これが昭和の日常でした。実際に、私も駅留の鉄道荷物を送ったことがあります。記憶では長万部から熱田。一体何を送ったんだろう?それにしても宅配便が登場するはるか以前。郵便で送れない重量のものを個人が比較的安価に送る唯一の手段が鉄道荷物でした。

ところで今回の特集では、私の撮影した写真を使って頂いています。何々?

私鉄の「荷物車」の紹介ページで、近鉄西信貴鋼索線のコニ7形の写真。ケーブルカーでは唯一の「車籍」のある荷物を運ぶ「二」の付く形式の車両です。

私が国内の全ケーブルカーを乗っていることを知っている方から問い合わせがあり提供したものですが、光線の関係で荷物が見にくいのが残念です。と、それはともかく、意外と皆さんこの「コニ」は撮影していないのだそうです。

こちらは立山ケーブルカーの荷物運搬車。

2両とも荷物運搬車が付いているのですが、公式ウェブサイトでは「荷台」となっており、今回の特集である「二」とはならないようです。

皆さん、「二」に注目。そう言えば今発売中の鉄道ダイヤ情報は名鉄特集。その中に「新聞輸送」の記事がありました。でも「二」の付く形式の電車では運ばれません。

2020年10月20日 22時55分

絵はがきに見る鉄道史(25)お召し列車。

お召し列車の絵はがき。

日章旗は私の知るお召し列車の場所、煙室扉の前ではなく煙突についています。

沿道で出迎える国民はひれ伏しています。今の時代と異なり、天皇陛下のご尊顔を拝することは無かったでしょう。

そしてこの絵はがきが発行された時代はいつでしょう?

まず蒸気機関車の形式探し。色々調べましたがズバリが出てこない。似ていると思ったのは8850形。1911年(明治44年)にドイツのボルジッヒ社製。先輪が2軸、動輪が3軸で炭水車が3軸。つまり軸配置4-6-0(2C)。この軸配置の蒸気機関車は、日本で使用された例は多くなく、また煙突の長さがこの時代にあっては短いこともあり、8850形の可能性が高いと思っています。

次に客車。イラストでの確認ですが、3号御料車に似ていると思っています。1898年(明治31年)からの使用で、天皇陛下の専用としては1910年(明治43年)までのようですが、その後も使用はされていたようです。(参考:Wikipedia)

そして私なりの結論は1912年(大正元年)前後。

2020年10月19日 22時48分

絵はがきに見る鉄道史(24)東海道本線熱田駅。

熱田停車場(東海道本線熱田駅)の絵はがき。

熱田駅は1886年(明治19年)3月、武豊~熱田間(現在の武豊線~東海道本線)の開業に伴って誕生した駅で、因みにこの線は愛知県で一番最初に登場した鉄道です。

ところでこの写真ですが、時代考証として最初に挙げられるのは1896年(明治29年)の出来事。何かって言えばこの時に現在の熱田駅の場所に引っ越しているから。それまではもっと南にありました。

次に1900年(明治33年)。この絵はがきの様な私製絵はがきの使用が認められた年です。ですからこれ以前の発行はあり得ないと考えて良いのではと考えます。

※「総務省」・「体験博物館千葉県立房総のむら」他のウェブサイト参照。

ここまででギブアップ。まあ明治時代であることだけは間違いなさそうです。

2020年10月18日 18時09分

鉄道模型始めました。

タイトルは勇ましいですが、まずはそおっと足を動かし始めたというところ。

で、カルチャースクールの「鉄道模型(Nゲージ)ジオラマ製作講座」の門をたたきました。

これを作るわけではありませんが、こんな感じのジオラマを作ります。

舞台裏。発泡スチロールの3段重ねを切り出して土台を作っていきます。ジオラマの中がこんなになっているとは知らなかった。

もっともこの作り方が一般的かどうかもその判断は私にはつかない。

ゆるゆるっとしたカーブってどうやって作るの?も知らない初心者。これでよくぞ鉄道模型のイベントを担当したものだと我ながら恐ろしくなる。怖いもの知らずと言う言葉があるが、やはりそれはアウトだとつくづく思う。

講師の先生によると川の流れ(透明な水)を作るのは難しい技術では無いとのことですが、根気がいることは間違い無さそう。

昨日は発泡スチロールを2段積みし、その下に枠を作って終了。これでほぼ4時間ほどの作業。何せカッターナイフで工作するなんてやったことがない。いやっ、あったかも知れないが少なくとも50年は経っているだろうし…。とにもかくにもカッターナイフを使って寸法通りに切っていく作業がこれほど難しいとは思わなかった。そして最後は緊張で手が震えた。(これは本当です)

また切った部材を糊付けをしようとすると手に糊がついて、、、何をやっても思い通りに行くことは無し。講師の先生は慣れですと一言。きっとその通りだろうかもとは思うものの、50の手習いどころか66の手習い。まあ手先を動かすことはぼけ防止にもなるし、頑張ってみよう。

そして私はヘトヘトとなり、本当ならばこの日の夜は外呑みへの合流予定もあったのですが気力が続かず。トホホ。

ところで昨日は、私が悪戦苦闘していた場所から20歩ほどのところで木村裕子さんの講座が開かれていました。

本当に久しぶり。そして今日は稲沢で開かれた「スギテツ ファミリーコンサート 鉄道物語 in稲沢 vol.3」にゲスト出演されました。まずはこうしてイベントが出来るようになったことに感謝したいですね。そうで無ければ出会うことさえありません。

そして写真はありませんが、タックインの三根さんが木村さんの講座を「生中継」で紹介ということで、こちらもほぼ1年ぶりの再会。皆さんとまた一緒に仕事がしたいですね。

2020年10月16日 21時41分

絵はがきに見る鉄道史(23)1932年の上野駅。

今日は東京/上野駅。分かっているのはこの写真が1932年(昭和7年)に撮影されたであろう事。その撮影時期特定のヒントはこの絵はがきの宛名面にあり。

切手を貼るところをみたら、雑誌「主婦之友」昭和7年9月号の付録であることが分かります。であれば雑誌という特性に鑑み、それほど過去の写真を載せることはないでしょうから、撮影日は精々発売の一か月前あたりでしょうか。

こちらが昨年(2019年10月17日)の上野駅コンコース。87年が経過しても大屋根は変わっていません。ヨーロッパなどの拠点駅では、さほど珍しいことではありませんが、日本では貴重な景観でしょう。

宛名面左下の写真の解説にある「明るい、近代的な構成美…」は今も確実に感じることができます。

ところで過去の写真をどう見るかですが、ここまで時代が過ぎた写真を「懐かしい」と思うことはまず無いでしょう。でも過去が今に繋がっていることをこれほど感じさせてくれる1枚はそれほど多くないという気がしています。

2020年10月15日 20時06分

井上安治作 東京真画名所図解 「髙縄鉄道」。

浮世絵と錦絵の違い。ネットでの情報を纏めると下記の様になりました。

浮世絵とは江戸時代に流行った庶民のための絵画で、「浮世」と言うほどですから暮らし、風俗といった時代を描いたものであって肉筆画と木版画があります。

一方錦絵は浮世絵の内、多色刷りの版画のことで、例えば昨日UPした浮世絵は、錦絵とも言えます。ネットオークションサイトでも、私の場合は「浮世絵」と「錦絵」と両方で検索をかけたりしています。

さて今日は錦絵の続き。 井上安治(いのうえやすじ)作「髙縄鉄道」。 井上安治は明治時代前期の浮世絵師で、この作品は1882年(明治15年)頃か、それ以降のほど近い時代の作品と推察されます。どうしてそう言えるのかですが、この絵師は1864年(文久4年/元治元年)に生まれ1880年(明治13年)頃 にデビューしたものの、1889年(明治22年)9月14日に亡くなっており、そうした記述のあるネットでの情報を参考に私なりの結論を出してみました。

※参考:東京都府中市美術館ウェブサイト。

ところでこの錦絵の大きさははがきより一周り大きいサイズ。(11センチ強×17センチ強)

他の錦絵に比べ随分小さいものです。最初は本物?と思ったのですが、調べたところやはりこのサイズがズバリでした。

2020年10月14日 22時12分

鉄道の日。

1872年(明治5年)9月12日、新橋~横浜間(29 ㎞)を結ぶ日本で最初の鉄道が開業しました。えっ?9月12日で驚くなかれ。

これは太陰暦で、その日を太陽暦にすると10月14日。まあこうしたずれは当然あるのですが、鉄道の日が旧暦で9月12日だったことはあまり知られていませんね。

※参照;鉄道主要年表 – 国土交通省

日本で太陰暦(旧暦)が太陽暦(新暦)となったのは明治5年12月3日(天保暦)を明治6年1月1日(グレゴリオ暦)とするとした『明治五年太政官布告第三百三十七号 明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)』によります。鉄道の歴史で太陰暦から太陽歴への日付変換が必要な出来事は、意外と短い期間の間であったことを今回、調べていて知りました。

鉄道開業当時を今に伝える資料に浮世絵があります。この浮世絵「従汐留横浜迄蒸気車鉄道往返之図」だけではなく、他にも多くの浮世絵が今も残されており、ネットオークションサイトでは百花繚乱(ひゃっかりょうらん)と言ったら言い過ぎでしょうか?様々な視点の作品を見ることができます。

運賃と時刻表。

運転席の右にいるのはこの鉄道の開通に尽力したイギリス人でしょうか?とか考えるとロマンがありますよね。

2020年10月12日 22時43分

絵はがきに見る鉄道史(22)伊勢の絵はがき。

一昨日UPした「伊勢神宮参拝御図絵」の続編。

1930年(昭和5年)10月7日の消印の絵はがき。

神都線の電車が停まっているのは山田駅前(後の伊勢市駅前)電停。右側の建物は「宇仁館」。こうやって見ると立派な建物で圧倒されます。

戦前にあって日本を代表する絵師、吉田初三郎にオリジナルの図絵を依頼する力があったというのは納得ですね。

「伊勢内宮電車停留所」。神都線の電車が「内宮前」まで到達したのは1914年(大正3年)。

さてこの絵はがきの年代特定です。写真右側の解説に「伊勢電車は山田駅前より外宮神苑前を左折し内宮及二見方面に至る、、、」とありますが、「内宮前」までの路線は神都線最後の開通区間であるため、まずは大正以降であることは確定。

写真に写っている電車がダブルルーフの単車でポール集電から考えると、開通からそれほど遠くない時期での撮影でしょう。

また1枚目の画像に写る電車との比較で、何となくですが大正時代というざっくりとした特定とさせて頂きます。

こちらは宛名面に昭和7年(1932年)12月6日の消印がある実際に使用された絵はがき。宛名面の文面が達筆すぎて私には内容が判読出来ませんでした。

さて左下の写真には「内宮前終点」の記載があり、上の写真と合わせて大正~昭和の内宮前の雰囲気が伝わってきます。

2020年10月10日 23時08分

絵はがきに見る鉄道史(21)伊勢神宮参拝御図絵。

伊勢神宮参拝御図絵。

伊勢神宮は日本の神道の中心地というだけではなく、戦前から日本でも有数の観光地でした。こうした図絵・絵はがきは相当の種類が出ており、恐らくそれを全て把握している人はいないのでは。とか思ったりしています。

鉄道省指定旅館宇仁館の発行。最初の画像で赤色の下地に黒文字が目に付きますが、全て宇仁館の施設です。

そこには朝熊山のケーブルカーもありますし、神都線(この図絵の頃は合同電気の時代。1944年(昭和19年)に三重交通となる)の路線も見えます。

さてこの図絵が描かれた時代ですが、参宮急行電鉄の線路が「山田」止まりでは無く、左の宇治山田まで続いています。よってこれが1931年(昭和6年)3月17日以降であることが確定します。で、先の画像にある朝熊登山鉄道は昭和19年に第2次世界大戦時の不要不急路線として営業休止となっていますが、時代の確定の役には立ちそうにありません。

絵はがきではなく図絵での出版が、この図絵に限らず一般的に何時頃まであったかは定か(私の調べという意味)ではありませんが、戦後まであったとは思えません。そこで私の結論ですが、ざっくり昭和10年前後とアバウトにさせてもらいます。

この図絵の裏面には営業案内があります。

そこで私の注目は著作権所有者。その名は「吉田初三郎」。鳥瞰図で名をはせた絵師で、鳥瞰図の研究家もしくは愛好家であればまず知らない人はいないだろうと思える方です。

ポイントはその名前ではなく、住所。名古屋市外犬山町日本ライン蘇江。名古屋市そといぬやま町ではなく、名古屋市外の犬山町。はともかく、犬山をベースに仕事をしていたとは知りませんでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!