2021年01月18日 17時23分

パルスオキシメータ。

パルスオキシメータ=動脈血の酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を採血することなく、指先などに光をあてることによって測定できる測定器です。

※コニカミノルタ株式会社のHPなどを参照。

コロナ禍の中で、つとに注目されているこの装置ですが、どれ位の数値が症状の目安になるかは、ここでは触れませんが、私の通常の生活では98位。

この写真は標高3800メートルを超えているペルーのチチカカ湖畔で計測したもの。私のような観光客の場合、90を切ることはそう珍しいことでは無いそうで、とは言うもののゆっくり歩く程度ならばなんとかなりましたが、名古屋と同様に歩こうとすれば眩暈(めまい)がしますし、息が切れます。もっともその前に足が前に出ません。

またこの数字を下回り、80を切った場合は、確実に治療が必要とのことでした。

ペルーを始めとした高地へのツアーの場合、旅行会社が用意していることが多いそうです。私の参加したツアーも添乗員さんがいつも持っており、私も体調に不安を感じた時にお借りして測っていました。

その時は、「健康に旅を続けるためにこうした装置を活用している」と思った程度でしたが、今やコロナ禍の中で我が家でも1つ購入し、体調に不安があると測っています。

なお先に書いた「98」は名古屋の病院での計測値です。そして平地で「85」であれば呼吸器科での診察はマストと聞きました。

2021年01月14日 12時05分

絵はがきに見る鉄道史(46)中川運河。

2020年12月19日にした「絵はがきに見る鉄道史(44)大名古屋三十二景。」の続編。

「名古屋港上空ヨリ見タル中川運河全景」。

今の中川運河は市街地に埋もれており、私もそうですが、多くの方にとっては単なる一本の川筋といった印象ではないでしょうか?

ところがこの写真におけるその存在感たるや相当なものです。

名古屋の街を南北に、一直線に走る運河。その川幅にも圧倒されます。もっとも現代の川幅が狭くなったということは無いでしょうが、それでもこの運河を大正から昭和の時代にかけ、ゼロから作ったのは偉業と言っても過言ではないでしょう。

撮影時期ですが、まず中川運河全線開通の昭和7年(1932年)以降であることは確定でしょう。

次に中川運河の主たる目的である鉄道省「笹島駅」(貨物駅)と結ぶという視点から見ると、この写真では「らしき駅」が見えます。もっとも中川運河より笹島駅の方が先に使用(昭和12年の正式開業前、昭和4年に一部の工事完成)が始まっており、昭和7年以降は間違いなし。

また判別できないものの、名古屋駅が「2代目」とも思え、よって「3代目」の工事のことも考えると昭和10年前後ではないかと思っています。

2021年01月13日 20時39分

交通の専門研究誌「運輸と経済」2020年10月号。

「運輸と経済」という雑誌があることを知人に教えてもらいました。

まず、「運輸と経済」という雑誌が何かという事ですが、一般財団法人交通経済研究所が発行する交通経済・経営の専門誌。ここから先は出来れば「運輸と経済」を検索して調べて頂きたいのですが、一般の書店の店頭では売っていないので、私は一般財団法人交通経済研究所のサイトから申し込み、手に入れました。

その2020年10月号。特集は「交通愛好者が育む市場」。私のような鉄道愛好家に限らず航空機、バスなど交通機関というジャンルを(趣味として)愛する人々と経済活動との関連について書かれた研究論文が並んでいます。

んっ、でもちょっとニュアンスが違うものもあるかも?まあ興味を持たれた方はご購入の上ご一読下さい。こうした真面目な研究ものは私はあまり得手ではありませんが、最後まで楽しく読ませて頂きました。

で、私がちょっと気になった記事で、かつ皆さんにも分かり易い話。

(鉄道趣味者の呼び方)

*鉄道愛好家

*鉄道ファン

*鉄道マニア

*鉄ちゃん

*鉄道オタク

*鉄オタ

まず鉄道を愛する方にはどんな総称(呼び方)があるでしょう?

そして私はどんな呼ばれ方が嬉しいでしょう?と一考。

このブログでは、私は「鉄道愛好家」「鉄道ファン」「鉄ちゃん」などは使いますが、「オタク」は使いません。何となくマイナスのイメージがあり、例えば「鉄オタ」の「〇〇さん」と紹介されて「嬉しい」とする人は何となく少なさそうかなと思ったりもします。

一方、アニメやアイドル系の趣味の方に「オタク」と呼ぶことは割と一般的な気がしていますし、あまり「負」なイメージはしていません。この差は何でしょう?(私の個人的な見解です)

振り返って昭和の時代、私は子供の頃から一貫して「趣味は鉄道です」と自己紹介しており、その際「10歳からの鉄道ファンです」としていました。さて皆さんの自己紹介や如何に?

(鉄道趣味者の分類)

*撮り鉄

*録り鉄

*乗り鉄

*模型鉄

*時刻表

*収集鉄

*歴史研究

などなど

一方、ジャンルで言えばそれほどマイナスイメージはないでしょうが、ただ「撮り鉄」は一部のマナーの良くない方の行動が社会のひんしゅくを買ったりしてます。もっとも大きなマイナスではなく、趣味のジャンルを聞かれて「撮り鉄」と答える人は多いでしょう。

で、私は「乗り鉄です」と自己紹介していますが、ここ10年ほど前からはそれ以上の説明が要らなくなりました。以前ですと「何ですか?それ」と聞かれたのが、昨今は「どこの線が印象に残っていますか?」とまでなっており、時代は確実に変わっています。

2021年01月10日 17時29分

東山動植物園のスカイビュートレイン。

気温は低いものの暖かそうな陽の光に誘われ東山動植物園に爺散歩。

65歳以上の名古屋市民の入場料はワンコインの100円。

一応、見るものは見て。

スカイビュートレイン。

自分でも何やってんだ、と、思う。

また散歩に来よう!

2021年01月01日 0時01分

謹賀新年。普通の生活が出来る有り難さ。

2020年。

愛する家族や友達に会えることが当たり前でないことを知りました。

趣味の鉄活を気ままに行えない時があることを知りました。

そして普通の生活が出来る有り難さを知りました。

(鉄友からのプレゼント)

2020年の最後に、嬉しいことがありました。100円ショップで買いそびれたとぼやく私に、と。

こうしたことは2019年までなら日常の一コマだと思っていたけど、2020年では何故か特別なことに思えました。

2021年。

今年が皆さんにとって心穏やかに過ごせる1年であることを祈っています。

2020年12月29日 14時19分

絵はがきに見る鉄道史(45)参宮線。

亀山橋ヨリ参宮線ヲ望ム。

亀山橋は今もあります。場所は亀山市を東西に流れる鈴鹿川に架かっており、亀山駅の南東に当ります。ところで亀山で参宮線ということで「あれっ?」と思う方もいるでしょうが、今の紀勢本線が亀山起点になったのは昭和34年(1959年)の事。それまでは亀山~多気間も参宮線でした。

参考までに亀山橋を渡る参宮線(開通時は関西鉄道)は1891年(明治24年)の開業です。

ここからは撮影年代の特定。15.6.10の印がありますので、まあ昭和15年以降ということはないでしょう。もっともこの日付は大正15年ではないかと私は思っています。

最初に発行所である「亀山加藤書店」を検索。「加藤商店」「加藤活版所」というのが亀山市歴史博物館のHPで見つかりました。加藤商店は「図書 文具 印刷」を行っていたようなので、その会社から発行されたのではないかと推察しますが、あくまでも推察の域を出ません。

次に蒸気機関車から撮影年代を特定できないかと思いつつも、私の力では確かに紐解くことは出来ませんでした。

最初8620形(1914年~製造)の初期型?に似ていると思ったけど多分、6700形かなとも思う。煙突の形状や全体の印象からです。

因みにどちらも亀山を走っていますが、8620形は関西本線/亀山~湊町での運用という資料もあるので。それを含めて6700形かな。

一方、では自動車ならば、ということになりますが、こちらも力及ばず。後部にスペアタイヤを積んでいることからT型フォードであろうとは思うものの確定できず。

で撮影時期ですが、無難に大正15年頃としておきましょう。

今日は亀山駅130周年をお祝いし、この絵はがきを紹介することとしました。

2020年12月25日 17時33分

絵はがきに見る鉄道史(44)大名古屋三十二景の3。

12月20日にUPした市電の路線の話の補強。これは1939年(昭和14年)発行の電車運転系統図。3系統が栄町起終点となっています。

「ビル並ぶ広小路通り」。電車とバスと車。それより自転車が目立ちます。こうした写真を見ると当時の生活を垣間見ることが出来ます。

「百貨は松坂屋」。建物に掲げられた大型の看板には「綿布破格廉売」とあり、今風に言えば「バーゲンセール」。

「県政を司る愛知県庁」。昭和12年まではこの姿で、昭和13年3月には今の愛知県庁本庁舎が完成し移転していますので、その事実からもこの絵はがきの作成時期が特定できます。

「広壮なる名古屋市庁舎」。いちいち辞書を引かないと良く分からないタイトル。

 

2020年12月23日 11時00分

正縮尺の鉄道地図本。

*新潮社刊「日本鉄道旅行地図帳」(2008年刊 監修:地図研究科/今尾恵介)

たまたまの話の展開で、『新潮社の鉄道地図本より遥か以前、正縮尺で、鉄道地図本が出ていた』ことが話題に。

それは1966年に鉄道図書刊行会(株式会社電気車研究会)から出版された「日本鉄道線路図」という書籍とのことで、「鉄道ピクトリアル」誌の2009年1月号に復刻版が掲載されていることも教えて頂きました。
ここまではお安い御用。(笑)
さてここから本家本元の「日本鉄道線路図」を捜す!という事になるのですが、NPO法人名古屋レール・アーカイブスの蔵書にあるのでは?と微かな期待は持っていました。しかし、事務所で蔵書リストを検索しても見当たりません。
ただリスト化されていない蔵書も相当数あるので、所蔵庫を徹底的に探したところ、、、発見!!
書棚を見て回り、書架が残り3本となったところで目に飛び込んできました。
私好みの軽便鉄道「歌登村営軌道」の地図。
名古屋市内に市電が走っている時代。電停名は手書き?ところどころ訂正?がありますが、詳細は不明。
さて「正縮尺の地図」の定義ですが、「日本鉄道線路図」は確かに正縮尺ですがイメージとしては白地図です。それもあって新潮社刊「日本鉄道旅行地図帳」の方が“地図”らしいと思えます。よって「日本初」のキャッチフレーズはそれはそれで良しと言えそうです。

2020年12月20日 19時49分

絵はがきに見る鉄道史(44)大名古屋三十二景の2。

交通頻繁(ひんぱん)なる栄町交差点。ところでこの絵はがきのシリーズは、表題が左から右に向かって読みようになっています。当時としてはかなり珍しいと思え、私も昭和10年代までの出版物で右書き以外を見たのは恐らく2~3例目。

栄町交差点をトリミング。左手前のレンガ造りの建物は日本銀行名古屋支店。建っていたのは東北交差点。

右奥。栄町交差点南西角の屋上にドームのある建物は、かつてのいとう呉服店(後の松坂屋百貨店)。そして正面奥の建物が1925年(大正14年)に移転開業した松坂屋百貨店です。

ということでこの写真は手前が今の市役所方面、奥が南大津通~金山方面。右が名古屋駅で左が今池方面という事になります。

また真ん中の名古屋市電では、折り返しで金山方面に向かう様子が写っています。恐らく熱田電気軌道が開業し、名古屋電気鉄道を経て名古屋市電となった東築地線の南陽館前との間を結ぶ系統。昭和10年代前半の名古屋市電で、栄町で折り返す南北を結ぶ系統は1系統のみでした。

遊楽街の大須門前。「Playing Center」の英訳になるほどという感想あり。

殷盛(いんせい)を極むる御幸本町通り。「The Commercial Circle Of Nagoya」って英訳が私の中では意味不明。

 

 

 

2020年12月19日 22時15分

絵はがきに見る鉄道史(44)大名古屋三十二景。

大名古屋三十二景。三十二枚入。袋の図案は名古屋の象徴「名古屋城」。

名古屋城/外苑の眺望名古屋城。

名古屋城/仰ぐ鯱名古屋城。

名古屋城/世界一金の鯱。

名古屋城だけで3枚。それにしても昔の金鯱は金網でガードされていたんですね。

新名古屋駅。まずはこの絵はがき集が発行された時の時代の特定。

既に何度もこのブログで書いていますが、写真の三代目名古屋駅の開業は昭和12年。「新名古屋駅」という書き方もあり、この絵はがき集が撮影されたのは昭和11年末~昭和12年初で間違いないでしょう。

で、その歴史的視点で今回は全32枚を何回かに分けて全てUPします。

海の玄関名古屋港。

海陸の交通は中川運河。

中川運河は昭和7年に全線供用され、海運の名古屋港と鉄道の笹島駅(貨物駅)を結ぶました。それにしても名古屋を紹介する絵はがきに「運河」が出てくるという事で、この運河が当時の名古屋でどんな位置付けだったかが分かります。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!